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ひとくち小説#5
轟
会場は歓声で包まれる。
ある者は立ち上がり、全身を使って歓喜を表現し、またある者は涙をぬぐうのに必死でその場から動かない。
私は天才舞台女優だった。
整然とした病室で私はただ天井を眺める。
「気の毒よね…あんなことさえなければ…」
「本当残念よね…彼女の舞台楽しみにしてたのに…」
病室の扉は薄い。廊下の声は筒抜けだ。
「うぅ…ぐすっ…」
故に泣き声は容易にこだまする。
それに呼応するように廊下には足音が響く。
看護師二人はいたたまれずそそくさと立ち去ったようだ。
私は大きく伸びをした。
「ふぅ~っ、やっと居なくなりましたか」
2年前、私は両足を失った。まさに悲惨な事故だった。
天才女優シェリーは舞台を終えた帰り道、その美脚で地雷を踏みぬく。
けたたましい爆音が路上に鳴り響いた。
日常でおおよそ嗅ぐことのない硝煙と焦げた肉の匂い。
彼女が有名女優でなければ、救助の手をためらうものが出てもおかしくはなかったかもしれない。
彼女は神に愛されているとも言うべきか、即死に思えたその衝撃の中、奇跡的にも命をつなぎとめた。
だが、演技のために磨き上げられた両の美脚は跡形もなく散ってしまっていた。その日以降、舞台業界は多大なる打撃を受けることになる。
ショックで泣きわめく者、役者から足を洗う者、加速する演劇離れ。
まさに悲惨だった。
「ふふっ、まさかこんなにも上手くいくなんて」
誰も知らない彼女の顔。
「あぁ、たまらない」
どうあがいても無駄なこと。世間はもう私から目が離せない。
彼女は想像を易々と超えていく。底の見えない狂気の渦。
「義足はちょっと痛いけれど、大した問題ではないわね」
誰も思いもよらない。
彼女はあの日、自ら両の足を手放した。
事前に火薬を調整した地雷を用いて、彼女は両の足だけを吹き飛ばしたのだ。
「残るはあの看護師ね。彼女は確かB棟の方で研修を受けてるはずだから…」
「帰り道としてはここかしら」
手帳を閉じ、さっと彼女は立ち上がる。
演目は悲劇の舞台女優シェリー。現実に負けじとリハビリを続ける彼女。
その姿は人々に勇気と希望を与え、さらなる信仰を産む。
そして、絶えず先細りしていく業界はもう彼女なしではいられない。
彼女にしか成しえない。圧倒的才覚があって初めて成立する計画。
自分への絶対的自信。命を失うリスク。想定外の事態。
あらゆる要素を考慮したうえでそれを決行する胆力。
まさに異常だった。
計画を終えた彼女は再び壇上に立つ。その所作には一切の不自由がない。
努力の甲斐あって彼女は再び完璧な演技を取り戻したのだ。
彼女の登場に会場は狂喜で包まれる。
そして、彼女の存在は観客だけでなくキャストをも奮い立たせる。
それまで彼女を待っていた信者達のコンディションは最高潮。
しかして、彼らは比類なき引き立て役へと至る。
あくまで独壇場であってはならない。
観客の視線を、そして心を自然と自分に導かせるように。
流れる空気のまま、主人公ステラは悲劇の運命を辿る。
いたぶられ、逃亡を図ろうとした彼女は足を断ち切られる。
彼女にしかできない表現。
迫真の演技とともに両断された両足は見る者に衝撃を植え付ける。
もう彼女は止まらない。
表現の怪物は多くの意思を巻き込んで世界を動かし始めた。
そして、1895年。天才女優シェリー・フロストは帰らぬ人となる。
当時29歳の誕生日。街を歩いていた彼女をライフルの銃撃が襲う。
放たれた弾丸は頭部を貫く。即死だった。
彼女の死は世界に衝撃を与え、後を追うように自殺する人が急増した。
業界は立て直しに苦しみ、中には彼女の亡霊が付いて回っていると口にする者もいた。
次第にこの事件は都市伝説として語り継がれるようになる。
犯人の特定に至れなかったこともこれに拍車をかけた。
犯人もまた別のだれかに殺されただとか、今もどこかでシェリーは生きているだとか、口々に放たれる持論は今もシェリーを語り継ぐ。
かくいう私も持論を持っている。
シェリーはあの日、自ら銃撃を受ける予定だった。
口にしたことを後悔するほどの非難と罵声が当時の私を襲った。
次第に主張する気も失せ、今ではどうでもよくなった。
だが、私の意見は変わらない。彼女は自ら死を望んでいた。
私はあの日確かに聞いたのだ。
暗く、冷たい声でつぶやくあの声を。
「あぁ楽しみ…ようやく私は不滅になれる…」