詩と私
ワセジョです、こんばんは。今日は、「詩」について。
高校の現代文の先生が、授業中に詩を朗読してくれたことがあったんです。
今でもその時のことをはっきり憶えています。高校2年生の秋でした。
先生が読んでくれたのは、茨木のり子「自分の感受性くらい」。
大学受験を控え、どこかピリピリしている気持ちで、自分にも周りにも言い訳しがちだった当時の私にとって、
その詩の内容は、軽い衝撃でした。
「…自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」
その言葉で締めくくった先生に、「はい。」と素直にうなずく自分がいました。
その日から、勉強でうまくいかないことがあっても、周りや自分に言い訳せずに、堂々と受け止め、前に進むようになりました。そのおかげからか、今は憧れのキャンパス早稲田大学で学ぶことができています。この詩に出会わせてくれた先生に深く感謝します。
先日図書館の詩コーナーをぶらぶらしていたところ、茨木のり子の詩集が目に飛び込んできました。きっと、高校生の時の記憶がよみがえってきたんでしょうね。
何冊かずらっと並べてあったので、パラパラっとめくって気になったものを2冊借りました。(『わたくしたちの成就』『倚りかからず』)
先ほど2冊とも読み終わったばかりですが、茨木のり子の詩はどれも繊細で、それでいてダイナミックで、心に響くものばかりです。
目で追うだけでは物足りず、誕生日プレゼントに幼馴染(慶應ボーイ)に貰ったノートと万年筆を使って、詩を写してみました。
不思議なことに、心に響いたところは特に美しく、すらすらと書けている。
大好きなピアノを弾くように、もうすっかり夢中になっていました。
書写するだけではなんだか物足りず、
あの現代文の先生のように、朗読してみました。
茨木のり子の言葉ひとつひとつが、ゆっくりと私の身体に吸い込まれ、音声となり、
生き生きと輝きだすのを、はっきりと感じました。
贅沢な、至福の時間でした。
詩を読むこと、書くこと、朗読すること。新しい楽しみが増えてうれしいです。
なにより、高校生の時に聞いたよりもずっと、今では詩の意味を深く理解できたようになったと思います。
ひとつ、脱皮したかな。
もっともっと吸収して、もっともっと、大きくなれますように。