早稲田卒ニート80日目〜これ、どうすっかなあ〜
ジン45mlに5mlのフレッシュライムジュースを加え、ステアをしてから適量のトニックウォーターを注ぐ。無事、ジントニックの完成である。ところがライムの酸味には個体差がある。常に5mlを、つまり決められた量を入れておけばそれで良し、ではない。密集して成っている果実たちにだって、吸収してきた養分や生長の条件に微妙な差がある。ライムだって「生命」なのである。今日は随分と酸っぱいライムに当たった。「これ、どうすっかなあ」である。
「手技」は、その時その場次第で限りなく変化する具体的な状況に応じて為される。五十年経ってもなお、「これ、どうすっかなあ」が続くのである。が、これは変化への従属ではなく、変化に身を委ねつつもそれに対応できる「強かさ」であろう。中途半端に強がりな奴ほど、つい変化に対して抗おうとするものだ。もしくは、変化を法則のうちに閉じ込めて解決しようとするものだ。
「これ、どうすっかなあ」と言う時、そこには具体的な「問題」が出現している。そしてその問題を「どうにかする」ために骨を折ること。そこに、生命の不断の努力が注がれる。これもまた、人間の実存を作る一つの動機であろう。しかしながら、それを「節約」しようとする流れが、確かに勢いを増している様に思われる。