【#Real Voice 2024】 「まわり道」 1年・後藤周平
「ごっつって今まで何してたの?」、この部活でよく聞かれる質問である。この質問はこの部活だけではないのだけれど。
せっかくの機会なのでお答えします。
みなさま、初めまして。一年、学生コーチ、後藤周平と申します。駄文ではありますがお付き合いいただければ嬉しいなと思います。
ここまでについて
出身は埼玉、戸田という荒川沿いの郊外です。基本的に東京のベッドタウンで花火大会が有名なくらい、そんな場所です。生意気な少年期を過ごし塾に通わせてもらい、ちょっとした幼馴染への対抗心からアイツが受かるならオレも受かるだろというつまらない理由で麻布学園というところに進学しました。
麻布学園では部活よりも文化祭実行委員会というところでほぼほぼの時間を過ごしました。麻布学園では文化祭というものが非常に重視されており、各々の自主自立というものを表現するハレの舞台です。人々はド派手な髪などで各々を表現し、踊り騒ぎ祝祭を最大限楽しもうとします。
まあ僕はジュース売って、衛生管理してたんですけどね。中3の頃には赤いモヒカンなんかにしちゃったりしてました。いい思い出です。
一応進学校ではあるので高校2,3年くらいから大学受験にシフトしていきます。とはいえみんなやりたいことがあるわけではなく、なんとなく東大、京大、そのほか旧帝など、とりあえず身分を固めて考えるかという感じでした。そんな中僕は大学でやるような遊びは大体高校までにやってしまっていたり、大学は学問の場であるべきなので学問に専念できない状態であるならば高い塾代、受験料、学費を払ってまで進学なんぞしてもしょうもないと思っていました。尖ってますね。とんがりコーンです。
結局僕は、みんなが受験勉強している間に人生舐め太郎仲間と共にふと深夜にドライブで日光に行ったり、深夜の新宿を徘徊するなど高学歴マイルドヤンキー活動をしていました。なんで高学歴とマイルドヤンキーが繋がるのか持論はありますが、これはまた別の機会に。
そんなこんなで高校を卒業させてもらって、さてどうするかとなるわけですが、僕は今やりたいことをやっていってその先で残り続けるやりたいことこそ真剣に学ぶべきだという信念の元、まず自転車での日本一周をやろうかとなりました。
まず資金を集めるために労働というものをしなければなりません。戸田という土地は荒川を挟んで東京都という土地柄物流倉庫街でもあります。近くだし、生活リズムはグリニッジ基準なので深夜割り増しも魅力的ということ倉庫で労働することにしました。深夜ということもあって多様な人々が働いていました。
元反社のおじさん、漫画家、昆虫写真家、日本人より圧倒的に日本語の上手いインド人、夢はガントリークレーンを乗りこなすというお姉さん。アットホームでとてもとても楽しい場所でした。元気で過ごしているでしょうか。
そして資金が貯まりついに念願の自転車旅行を開始。日々100km近くを漕ぎ見慣れぬ土地にワクワクと不安を持ち合わせていく日々が始まりました。
阿蘇の雄大な景色、イメージと違い穏やかで美しい日本海、美瑛の壮麗なモザイク模様etc…書ききれないような、素晴らしい景色、様々な人との関わりを楽しむことができました。旅の話を書こうと思えばいくらでもかけてしまいますが、どこかでいずれ。
一つだけ、旅で得たものを紹介すると、都市、里、村、山、谷、原野、岬それらを何度も通過して感じた、人間の営みの快適に生活しようとする意志の強さ、それを包み込んでいる世界のスケール感です。原野を開拓し、畑を耕し、路を作り、村を広げ、祭りを行い結びつき、さらに街を作っていく。その歴史の強さと三陸沿いの原野に戻りつつある景色を見た際の圧倒的な自然の力。旅をして得たとても大事な感覚です。
そんな10800kmの旅を終えた途端、コロナがやってきました。日常生活が変わりました。これでは外で出来ることはほとんどないなと思ったので、読書と映画を浴びながら自分の内側を掘り下げていくことにしました。
テーマとしては「世界はこんなにも美しい。では自分は何なの?」でした。
歴史を知る、思想を知る、わたしと世界の関わりについて知る。そして自分に反響させていく。そんな日々の中でノイローゼ気味になったりしたり。
結局のところ無限に自分の中身を掘り下げていくと自分の穴に吸い込まれて身動きが取れなくなるのではと思います。たまには立ち止まるのもいいけど何かをやらなきゃ始まらない。
外と内に対してやりたい放題やってみて、畢竟やりたい学びたいと思ったのは、自分の感情が一番動かされるサッカーを追求することでした。サッカーの文化圏ごとにおける解釈の違いはなぜ発生するのかという文明論に近いこと、そしてサッカーによる共同体性の構築、再建は可能なのかということでした。そのために大学で時間を使ってやるのが一番だと考えようやく大学進学の準備を始めることに。
【INTER MISSION】サッカーとの関わり
サッカーにいつからのめり込むようになったのだろうか
主体的に見るようになったのは南アフリカ大会であろうか、鳴り響くブブゼラ、黄金世代のスペインが戴冠した大会である。大会の大部分を見たことでサッカーってこんなに多様で同じような展開にはならないのかと、素直にワクワクさせられた。
そして個人で言えばスアレスである。ガーナ戦でのハンド事件、観戦してるこちらの方が情緒が乱されるほど、一試合、競技に思いをかけられる選手がいるのかと驚いた。
その後Jリーグをスタジアムで見るようになり目を奪われたのは原口元気だった。闘志剥き出しの姿勢、魔法のようなドリブル、チームを救う得点、まさしくヒーローだった。そこからスタジアムに足繁く通うようになり、埼スタの狂騒も楽しむようになっていった。
ここでサッカーをやるより見る方になったのは、面白いなと思う。最初からそこまで上手くはなれないと無意識に察していたのではと思う。そして自分の好きな選手は上手いのではなく感情を曝け出す選手だというのも今思えば面白い。
ワールドカップ、Jリーグときて次はヨーロッパシーンである。惹かれていたのはリバプール。圧倒的なホームの熱狂。画面越しからでも鳥肌が立つ雰囲気が作れることに魅力を感じた。あの頃は暗黒期でダメダメだったけれど。
戦術などに興味を持ったのはペップバルサとモウマドリーの頂上決戦によってであろう。あの頃はどっちが勝つのか、どのように勝つのかとてもとても盛り上がっていた。戦術を知れば知るほど、あの熱狂の中でどれだけの工夫や知恵が詰まってるのかとどんどん沼にハマっていった。
あの頃は愛らしくてヘンテコな監督のチームが多くて楽しかった。ピューリスのストーク、パコへメスのラージョ、ゼーマンのローマ、などなど。
いつか自分でもサッカーに関われることしてみたいなとぼんやりと思う日々を過ごしていた。が、高校時代までは結局ボールも蹴れない人間の言うことなんて誰も聞かないだろと思い行動することはなかった。やっておけばいいのに。
とはいえどんどんサッカーを見ることにはのめり込み、ついには日本からUSAまでほとんどのリーグ、カテゴリは一度は見ることに。土日は地球のどこかでいつもキックオフしているんです。
【INTER MISSION】終
ア式での日々
サッカーをまともに教わったことがないような人間が本気でプロを目指して、日本一を掲げている組織に入れるのだろうか。しかもこの歳で。
見学フォームをクリックする手は不安でいっぱいだった。とはいえ実践の場に関われる機会なんてもうこの先二度と無い。どうせやるなら上を目指している場所で。やらなきゃ死ぬまで絶対後悔すると思い門を叩いた。
いざ見学をして話を聞くと、組織のために日本一を目指すため行動できるなら頑張ってほしいとのことだった。
そして面白いね、一緒に頑張ろうと言ってくれた兵藤さん、オザさん社会人コーチたち。本当にありがたい限りです。
とはいえやっぱりど素人なので、トレーニングのオーガナイズ、どのタイミングでコーチングすべきなのか、チームとしての雰囲気の作り方、選手たちとの距離感が掴めない。初めの頃は移動式ポゼでゴタついて木庭くんに怒鳴られるなど迷惑かけてしまった。
山本くん(2年・山本優時)のアドバイスや川﨑(1年・川﨑雄斗)、平野(1年・平野裕大)のサポートおかげで何とか微速前進の毎日です。
日常の関係性では同期は特に変なおじさんが突然入ってきて戸惑ったことだろうと思う。ところが変に堅苦しくならずにオープンに受け入れてくれたのは本当にありがたかった。特に一年スタッフ陣、石場(1年・石場和馬)はどんどん絡んできてくれて助かった。これからもどうかよろしく。
タイトルは、ヴィム・ヴェンダースの「まわり道」(1975)から。
主人公である作家志望の青年が停滞した日々を打開するために旅に出るというお話。様々な人々と出会った旅路の果てに主人公は自己を確立し成熟するわけでもなく、再び日常に戻るだけである。名高い「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」の翻案である。ヴェンダース作品の中ではそこまで評価は高くないが(僕は「パリ・テキサス」の方が好き)とても印象的な作品である。
長い長いまわり道の先でたどり着き、受け入れてくれたこの場所でみんなの目標に貢献できるよう精一杯頑張りたい。
次の担当は神田拓人(1年・尚志高校)です。
ピッチ内では誰よりも駆け回り相手に襲いかかるボールハンター。結構序盤から絡んでくれて、自主練では僕や平野(1年・平野裕大)を誘い毎日熱く自主練に勤しんでいます。ところがピッチ外では飄々として澄まし気味です。このオンとオフの落差に何が隠されているのか。とっても気になります。
彼から何を明かされるのか、明日をお楽しみに!
【過去の記事はコチラ↓】