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兄弟で挑む、夢の共演
ア式蹴球部には兄弟が所属している。鈴木郁也と鈴木俊也。中学時代は同じチームに所属していたが、高校は別々の道へ。しかし、兄弟の行き着く先は同じ。大学では再び同じチームで戦うことになった。なぜ早稲田なのか。なぜア式なのか。兄弟で挑む夢物語を追う。
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○鈴木兄弟
ーーまず始めに、どうして2人はそんなに仲が良いんですか?
郁也:仲良い?
俊也:そんなに仲良いですか?
ーーえ、仲良くないんですか?
郁也:いや、仲悪くはないけど…
俊也:悪くはないと思いますけど…
郁也:結構普通の兄弟みたいな感じじゃない?
俊也:一般的な感じじゃないですか?
郁也:雰囲気が似ているからじゃない? いじってくるやつもいるけど、そういうのもあって余計に仲良く見えるんじゃない? 仲良くないことはないけど、特別仲良くはないよ。
俊也:別に”仲良し”って感じじゃないです。
郁也:同じ部活だっていうのはあるけど、サッカーの話とかは家でするかもしれない。DAZNで試合を一緒に観たりはする。この間はドライブとまでは言わないけど、2人で車の練習に行ったりもしたけど。
俺のイメージだと、世間一般的に兄弟ってあんまり仲悪くないイメージもあるから、自宅とか同じ空間には割といると思う。そんなことない?
俊也:そんな感じですかね。
郁也:別にそんな仲…
俊也:まあ部活も含めて同じことをしているので、自然と話題はありますよね。
郁也:まあ確かに。
ーーてっきり「ザ・仲良し」みたいな感じだと思っていました。
俊也:そんなことはないですけど、普通だと思いますよ。
郁也:出かけたりはしないな。
ーー喧嘩はしますか?
俊也:喧嘩はあんまり。昔はしていたけど。今はしないですね。
郁也:もうしないな。
ーー意外でした。
郁也:あと、洋服は一緒だわ。結構シェアすることはある。なんかそれも、俺が買ったものは結構俊也が使うイメージがあるの、俺が買ってもらったものも。でも、俊也は全然貸さない。絶対に貸さない(笑)。
俊也:一個言いたいのは、郁也の服は、母親が買っている。母親が買ったものだから、俺が着るのも分かる。でも、俺の服は俺が買っているので、それを郁也が着るのはちょっと許せないなと。そういうことですよね。
郁也:いやいや。(自分の服は)俺が買いに行っているからね。
俊也:いや、(金を)払っているのは母親だから。
郁也:俺が買いに行っているから、俺の所有権ではある。俺が朝に「着ようかな」って思ってクローゼットを開けると服がない、みたいな。そうすると俊也が着ているか、俊也のクローゼットの中にある、みたいなことが起きる。
俊也:それは、母が子供のために買ったものを、俺が着ている!
郁也:いやいや、あれは俺に買っているんだ!
ーー兄弟だからこそ知っている、お互いの意外な一面はありますか?
郁也:寝言がうるさい。俊也の方がいつも早く寝るんだよね。そうすると結構壁を蹴るし、寝言はヤバいっていうイメージ。
俊也:とか言うけど、郁也はいびきがとんでもない。それは合宿でも証明されたんですけど、本当にいびきがヤバくて。部屋が隣なんですけど、聞こえてくる(笑)。
郁也:あと、通販が好き。金があるのか分からないけど、すぐに通販で物を買う。
俊也:俺は割と金があるんですよね(笑)。
郁也:Amazonとかすぐ家に届くイメージ。
俊也:そこは結構対照的で、俺は貯金するタイプなんですけど、郁也はすぐに金を使うんで、金がないイメージですね。だから母親に服を買わせているんですよ。この前なんか本を1冊買わせていますからね!
郁也:俺は結構使っちゃうからね、なくなっちゃうんだよね(笑)。
○サッカー人生の始まり
ーー2人がサッカーを始めたきっかけを教えてください。
郁也:俺が始めたのは小学校の時かな。幼稚園の時に遊びのスクールみたいなものはやっていたけど、ちゃんと始めたのは小学校1年生の途中くらい。幼稚園の時に仲の良かった親のコミュニティーで「運動させたい」ってなって、サッカーと水泳とかも行っていたし、色々やらされた結果、俺が1番好きそうだったのがサッカーだったみたいな感じだったと思う。そんなようなことを親が言っていたような気がする。
それで俺がサッカーを始めたから、俊也はそのままサッカーっていう選択肢になったんだと思う。
俊也:他の選択肢はなかったですね。郁也の影響で。
ーー小学生の時から同じチームだったんですか?
郁也:小学生の時は学校の少年団に入っていて、俺が5年の時にアスルクラロ沼津のジュニアが静岡だと県大会で優勝したりするくらい強くて、俺は「そっちに行きたい」って言って、5年生の時からチームを変えた。でも、小学校を卒業して親の転勤で東京に来たから…。
俊也:俺は小5の始めに東京に転勤してきたんで、4年間(地元の)少年団でやって、5・6年はこっちで金田佑耶(新4年)と同じフレンドリーっていうチームに入ってサッカーをやっていた感じですね。
ーー出身地は東京じゃないんですか?
郁也:そう、静岡の三島市。
俊也:俺は10歳まで静岡にいて、郁也は静岡で小学校を卒業しています。
郁也:父親の東京勤務は俺が小6の時くらいから始まっていたんだけど、俺は「(静岡で)卒業したい」って言ったから、それまで待ってもらった。
俊也:だから郁也は転校していないんですよ。静岡で小学校を卒業してから、東京で中学校に入学していて、俺は転校で小5からこっちにいます。
○FC東京
ーー中学生からは2人ともFC東京U-15深川に入団していますね。
郁也:俺は向こう(静岡)でチームを探す予定だったんだけど、親の転勤が決まって。元々静岡のクラブに行こうと思っていたんだけど、そのクラブの方にFC東京を紹介してもらってセレクションも受けて、FC東京に入った。
俊也:俺は小5の時から、FC東京のアドバンスというセレクションがあるようなスクールに入っていて、小6の初めくらいにジュニアユースの内定はもらっていたので、躊躇なく入りました。
ーー一緒に試合に出たりはしていたんですか?
郁也:中学校の時は学年ごとに分かれていたから、一緒に試合をしたことはないな。
俊也:上にあがる人は上がるんですけど、僕は全然ダメだったので。
郁也:一緒に練習したこともほとんどない。練習時間は割と一緒なんだけど、土日は結構違ったりする。
俊也:交わることはほぼないですね。
郁也:でも走りは一緒なの。でもこいつは遅かったから、「遅いなー」ってイメージ。
俊也:1周差つけられていました(笑)。
郁也:あと、FC東京U-15深川はご飯がきついんだよ。練習終わった後にご飯が出されるんだけど、その量が結構多くて。俺は食べられるタイプだったんだけど、俊也は食べられなくていつも残っていた。食べないと試合に出られないんだけど、吐いちゃう人も結構いて。
俊也:俺は口に含んでトイレまで行って吐いて、なんとか時間内に食べ終える、みたいな(笑)。
ーー2人はチーム内ではどういう存在だったんですか?
郁也:俺は中3の時はキャプテンだった。でも、キャプテンという感じではなかったし、自由気ままにやっていて、その分副キャプテンの金田佑耶が大変だったのかな。サッカー的に言えば中心だったけど、声を出してチームを引っ張る杉山(耕二・新4年主将)みたいな感じではなかった。
俊也:俺は全く逆ですね。俺も中3の時にキャプテンだったんですけど、あんまり試合に出ていないんですよね。半分くらいしか出ていなくて、その代わりにチームマネジメントのところは少し頑張っていました。
ーー当時は2人のどこに差ができていたんでしょうか?
俊也:シンプルにめちゃくちゃ背が小さくて、細くて。さっきも言ったんですけど、走れない、ご飯もたくさん食べれないで、小さい時から郁也とはプレースタイルが全く違うんですよ。
郁也:俺は馬力というか、大胆なプレーをするけど、俊也は分かりやすく言うと小手先というか、テクニカルなプレーが好きだったのかな。
○別々の道へ
ーー中学卒業後は別々の進路を選んだ2人ですが、その進路はどのように決めたのでしょうか?
郁也:俺は学院(早稲田大学高等学院)に進学したんだけど、もともと早実(早稲田実業学校高等部)を志望していた。個人的には勉強にも重きを置いていたから、「勉強もできて、サッカーもそれなりに強い(当時、選手権の東京都予選で準優勝していた)早実に行きたいな」みたいな話をしていて。だけど、ユースに昇格できることが決まって少し進学先に迷っている時に、当時の監督が「早稲田大学高等学院みたいなものがある」という話をしてくれて。「だったら、大学進学までを見据えたら早稲田に行けるし、学院で勉強しながらサッカーも頑張ろうかな」って思って、学院に進学する選択肢を選んだんだけど、高校生活は大変だったね。
当時は早稲田に対するこだわりはなくて、慶應でも良かったんだけど。俺はブランドが好きで、FC東京も誇りに思っているし、”ブランドに守られたい”わけじゃないけど、”ブランドの中にいる自分が好き”みたいなところはあって、「早稲田とか慶應に行きたいな」とは中学生ながら思っていた。それぞれの良さは知らなかったけど、すごいところだっていうのは知っていたし、シンプルに大学受験をしたくないとも思っていたから、高校に推薦で入れる機会があるのであれば入っちゃおうかな、みたいな感じ。
あと大きかったのが親の存在で、「行け」って言われたわけではないけど、紹介してくれてそういう選択肢を自分に持ってきてくれたところもあったかな。
俊也:最初の希望では、ユースに上がって学院に行きたかったです。でも、ユースに上がれないってなってからいろいろな高校に練習参加に行って、参加した中で1番強かった某有名高校から内定をもらっていたので、最終的にそこか早実かで迷った感じです。
そこでなんで早実が出てきたかというと、中学生の頃は試合に出ていなかったし、強豪校に行って3年後に自分がプロになるイメージができなかったし、そこに進む勇気は俺にはなかった。だったら、「早稲田で過ごせる7年間を確約された世界の中で、”自分が本当にやりたいものが何なのか”を探した方がいいんじゃないのかな」と思ったのが1番大きな理由ですかね。
深川の同期で俺を含めて3人が内定をもらって、俺以外の2人は行ったんですけど俺は迷っちゃって。迷った時点で「もうないかな」とは思いました。
ーー当時は早実のサッカーに対してどういうイメージを持っていましたか?
俊也:早実って練習参加がないんですよ。1回だけ深川の監督と一緒に練習は見に行ったんですけど、練習参加していないのでレベルも分からなかったですし、金田佑耶からは「あんまり強くないよ」とは聞いていたんですけど。それでも、人工芝のグラウンドだし、「ちゃんとできればいいかな」みたいな感じでした。早生まれで1個上の国体に出ていた人もいて、毎年Jの下部チームから推薦も取っているし、そこまで酷い環境ではないと思ったし、「自分次第でちゃんとできる環境だな」とは思っていました。
ーー2人は推薦で高校に入ったんですか?
俊也:スポーツ推薦です。
郁也:俺はスポーツ推薦がなかったから、自己推薦で自分1人と面接官3人の50分くらいの面接があった。就活と似ていて、願書をもとに「何頑張っているの?」とか聞かれたり、学院がスーパーグローバルハイスクールに指定されていて第二外国語が必修なんだけど、「第二外国語で何を学びたいの?」「なんで学びたいの?」とかも聞かれた。学校として多様な人材を求めているから、「自分はこういう人間です」「自分にはこういう特技があります」というのをアピールする感じ。俺は全国大会で準優勝したし、何回か代表に入ったりもしたから、「サッカーを頑張っていました」っていうので結構話はしたかな。
中学生だったし、緊張したよね。大人と1対3で50分くらい話すし。合格発表で合格が出て安心しすぎて、そのままインフルエンザにかかったのは覚えている(笑)。早実はスポーツ推薦があるけど、学院はスポーツ推薦じゃないから全然不合格になるし、やっぱり不安はあった。
ユースに上がるという選択をした以上、ある程度学校では勉強したいと思っていたし、受験しないといけなかったから推薦で決めたいなとは思っていた。だから、決まって本当にほっとしたね。
ーー結構ちゃんと考えていたんですね。
郁也:中学生なりには考えていたかな。親の影響はもちろんあって、今ではすごく感謝しているけど、当時は勉強に関して少し厳しい部分もあったよね。
俊也:厳しかったですね。サッカーよりも勉強の方が優先、みたいな感じはありました。
ーー高校時代は2人とも違うチームでプレーしていたわけですが、お互いの活躍をどのように見ていましたか?
郁也:全国大会のレベルではないかもしれないけど、俊也は1年の時から早実で試合に出させてもらって活躍していたのは見ていたし、それはすごいなとは思っていた。そもそも俺は学校の勉強が想像以上に辛くて、留年も1学年30〜40人くらいいるし、テスト前3週間は練習を休むことも1・2年の時はあったから、Aチームで試合に出ていなかったし、ちゃんと試合に出て活躍できたのは本当に高3の時だけ。1・2年の時はTリーグに出ていた。
俊也:(自分が上がれなかったユースに上がった郁也を見て)ジェラシーを感じたりすることは全然なくて、当時の郁也を見て「相当苦しそうだな」って思っていました。あとは郁也の試合をあんまり観に行ったことがなくて、全国大会の決勝を観に行ったくらい。
郁也:高3のクラブユースの時は大会期間中にJ3の試合があって、そこで初めてスタメンで出たんだけど、その試合で肉離れをしてしまって準決勝から出られなかったんだよね。準決勝はベンチ外で、決勝は一応ベンチには入ったけど全然出られる状況ではなくて結局出られなかったんだけど、チームは優勝して、それに来たのかな。
俊也:そう。だから見てないんですよ、郁也のプレーを1回も。
ーーJ3に出るのは普通のことではないですよね?
郁也:俺らの代は同期が12人いて、7人くらいJ3デビューしているから。チームもそもそもU-23だけどプロ選手が全然いないことも結構あったから、ユースの選手が試合に出ることはそこまですごくはない。ある程度結果は残さないといけないけど、出ている選手はいっぱいいるから。
俊也:俺は(高校時代)東京都の中の試合にしか出たことがないから、J3だけどJリーグの中で試合をやっている人が近くにいて、結構不思議な感覚でしたね。「そんなに差があるんだ」みたいな不思議な感覚がありましたね。
○再び得た、共演のチャンス
ーー2人とも早稲田に行きたくて高校を選んだのであれば、ア式に来ることに対してそこまで壁があったわけではなかったですか?
郁也:最初はア式に入るつもりはなかった。付属校の人って早くからア式にくるけど、俺が練習生になったのは5月初めとかそのくらい。高校の時から「留学したい」ってずっと言っていて、大学でサッカーをする気は本当になかったんだけど、高3の最後は卒論とテストで忙しすぎてサッカーをやりきれなかったのね。だから、最後の引退試合も学校の授業で行っていなくて。そういう感じでここまで続けてきたサッカー人生が終わっちゃったんだけど、自分では「別にいい」と思っていた。でも、その時に父親から「もう1回お前のプレーを見たい」みたいなことを初めて言われて。どこか自分の中でも”ア式”という選択肢は完全には消えていなかった中でそういうことを言われたし、俺がア式に来ていないことを知ったFC東京のスタッフも「どうしたんだ?」っていう連絡をくれたりもして、自分の中で「もう1回チャレンジしようかな」っていう想いが芽生えてア式にチャレンジした。
でも、ランテストはきつかったね。「やろうかな」って思ったのが3月くらいで、もともとそんなに走れるタイプじゃないし、引退から2ヶ月くらい空いていたから、ランテストを受ける前に深川でお世話になってランテストの練習をして、4月末くらいにランテストを受けてア式に入った。
だから、ユースを引退する時も「ア式に行きます」っていうことは言っていなかった。言われた言葉だけできたところはあったから、入ってからは特に何もせずに、何も考えずに適当に過ごしちゃったよね。その2年間は本当にもったいなかったと思う部分はあるけど、「その自分があったからこそ今ちゃんとやれている」ってポジティブには捉えている。
俊也:僕は早実に入った時からア式のことは考えていましたね。ア式と練習試合もよくしますし、練習参加も高3の夏と冬で1回ずつ行っていたので、「(ア式に)行くでしょ」っていう感じでした。郁也がいたこともあって、逆にア式側も「来るでしょ」みたいなスタンスだったと思うんですよね。
もともと行きたかったところではありますし、早実って東京都2部とか3部なんですけど、FC東京U-15深川からそこに行く人ってほとんどいないんですよ。周りはみんなユースに行ったり、他県の強豪高校に行ったりして。そういう中で早実を選んだ自分に対する周りの目は結構気になる時期もあって、自分の選択は否定されたくなかった。学業においては間違いなく早実の環境は良かったし、それに加えてサッカーの部分でも「(諦めて)もういいや」みたいな選択ではなかった。実際、(深川時代の同期で)今大学の関東1部リーグで出ているのはおそらく自分だけなんですね。だから、「自分の選択が良かったんだよ」っていうのを伝えたかったっていうのはあります。
ーーア式でやっている兄を2年間見てきて、何か感じていましたか?
郁也:俊也が来るまで本当に怪我が多くて、ほぼプレーしていなかった。
俊也:ア式でやっていなかったんですよ(笑)。やっていなかったんで、ア式がどう感じなのか分からなかったです。
郁也:ア式内で仕事もやっていないから、遊びに行っているみたいな感じ(笑)。須田さん(元トレーナー)と省一郎さん(今村トレーナー)と戯れに行っているみたいな(笑)。
俊也:家ではア式の話はほとんどしなかったですね、郁也は。
郁也:することがなかった。
俊也:やってもいないのに、「仕事がヤバイ」「仕事がキツイ」みたいな話はしていたけど(笑)。ア式の活動、とかサッカーについては話をしたことはなかったですね。
郁也:俺は、俊也が「ア式に行きたい」と思っているか知らなかったからね。「どうなんだろう?」って思っていたから、別に話をすることでもないのかなとは思っていた。
ーーということは、2人がちゃんと一緒にサッカーをするのは大学が初めてということですか?
郁也:初めてかもね。
俊也:一緒に試合に出たのは、俺が小2で郁也が小4の時の県大会以来です。10年ぶりくらいですね。
ーー2人が同じピッチに立って一緒にサッカーをしている感覚はどんなものなんですか?
俊也:俺はすっと受け入れられたんですけど、親とかFC東京のサポーターの人からの反響が大きくて。
郁也:(俊也がサッカーをしている姿で)最後にちゃんと記憶があるのは、深川の時の1年生の姿。その後も早実の試合を観に行ったりもしたけど、「東京都の中でこういう立ち位置なんだな」っていうくらいにしか感じていなかった。自分の中で見下すまではいかないけど、ちょっと下に見るイメージはあったけど、ア式に来た俊也を見て成長は感じた。
もともと左足のキックとか、覗き方とか良いものは持っていたけど、それを表現するフィジカルが全然なかったから、そこがついてきてプレーに迫力が出てきたんじゃないかなとは思うけど。
俊也:シンプルに身長が伸びて、急激に足が速くなった。だから余合(壮太・新2年)はびっくりしたと思います、深川時代のイメージがずっとあったと思うので。身長も違うし、体格も変わって、スピードもついて、激変っていう感じですね。中学の時は本当に背が小さくて、3年間で24cmくらい伸びたんですけど、高校に入ってからも7cmくらい伸びたのかな。
ーー昨シーズン、最初に関東リーグで結果を出したのは弟の俊也でしたね。
郁也:俺は「悔しい」っていう感情はなくて、普通に嬉しかった。
俊也:あ、そうなんだ(笑)。
郁也:サッカーは好きだけど、最近はあんまり悔しいっていう感情は抱かないんだよね。残りのサッカー人生が短くなってきて、サッカーを楽しみたいというか、「自分がどう思うか」みたいな。「自分がどう思うか」みたいなところにフォーカスしていた時期だったから周りのことは全然気にしていなかったし、”ユースに行けなかった”俊也を見てきたから、関東リーグに出ている姿を見て普通に「頑張れ」って思っていた。劣等感みたいなものは全然なかったかな。むしろ、ミスをしてやらかさないか心配だった。
ーー実際に関東リーグに出てみてどうでしたか?(第11節 vs筑波大学 2○1)
俊也:だいぶきつかったですね。左サイドバックで出たんですけど、隣のスギくん(杉山耕二)にずっと声をかけてもらって。攻撃は左サイドハーフが神くん(神山皓亮・令和2年卒)で、あの時の神くんはキレッキレで自分は何にもしていないですし。ピッチにいただけというか、当たり前のことを当たり前にやったらたまたまチームが勝てて、それに対して評価してもらっている自分が不思議な感覚でした。でも、勝てたのは本当に嬉しかったし、西が丘でサッカーをしたのも中学生以来だったので、単純にうれしかったですねあの時は。
ーー後半のフリーキックは惜しかったですね。
俊也:決めていれば最高でしたね。そんなに甘くなかったです。
郁也:デビューした時は嬉しいというか、覚えているよね。
ーー後期リーグの筑波大戦(第12節 0●5)はどうでしたか?
俊也:地獄でしたね。失点にも絡んだし、「早く終わってくれないかな」っていう感じで、試合終わった瞬間泣いちゃって。ただのリーグ戦のたかが1試合で負けて泣くのは小学生以来だったんですよ。自分が何もできないというか、「こんなにもすごい人が関東リーグにはいるんだ」って。どうしようもない感じでしたね。次の日からは本当にサッカーをしたくなかったです。それで、直後に怪我をしてしまったので、後期は全然サッカーをやっていないです。
ーー郁也選手は昨シーズン6試合出場・1得点という成績でした。チームも得点力不足に悩まされていた中でこの成績をどのように見ていますか?
郁也:昔からあんまり得点は入らなかったからな。深川の時から、得点を取る選手というより、起点になったりチャンスを作り出すタイプだった。
でも、コンスタントに試合に出るのは大学に来てからは初めてだし、そもそもシーズン通してちゃんとサッカーをできたのが去年が初めてだった。
ーー2年次(2試合出場・1得点)と何か違いはありましたか?
郁也:プレッシャーもあったし、シンプルにきつかった。俺もリーグ戦で泣いたことはなかったんだけど、中央大学戦(第19節 1●3)でオウンゴールした時は帰ってから泣いた。セットプレーで味方のヘディングしたボールが俺に当たってオウンゴールしちゃったんだけど、その週は「セットプレーだけはやられたくない」っていう空気感の中でセットプレーの練習には時間をかけていたし、その中で絶対にやられてはいけないニアの部分でやられてしまったことには結構責任を感じて。試合後は学年LINEで「ごめん」ってメッセージを送ったし、あの時はきつかったよね。スタメンで出れたのは嬉しかったけど、前泊のホテルは嫌な雰囲気で緊張はあったかな。
ーーそのような悩みは兄弟間で共有するんですか?
郁也:「サッカーはこうだった」とか話はするかな。「今日どうだったと思う?」みたいな話はしてたかな。でも、泣いたことは共有しなかった。
俊也:俺もしてないですよ。あの日は両親が車で来ていたので4人で帰ったんですけど、その時に俺が明らかに落ち込んでいたので、それには両親も気付いていて。でも、相談とかはしていないですね。
ーー2人はどうやって立ち直ったのですか?
郁也:俺はしょうがないと言えばしょうがない部分もあったりしたから、まずは同期が慰めてくれた。そこは同期に支えられたのはある。
俊也:俺がそもそも泣いちゃったのは、菅平合宿とか本当にきつくて、でも「後期リーグ頑張ろうよ」っていう雰囲気を4年生が作ってくれている中での後期リーグ開幕戦があの試合で、「本当に申し訳ないな」って思って泣いちゃったんだと思うんです。その後の練習から、上級生を中心に声をかけてくれたことが多くて、なんならすぐイジってきたというか、それはそれで自分の中ではありがたかったです。
○2人が思い描く、兄弟の未来
ーー2人とも、サッカー人生はどこで区切りをつけようと思っていますか?
郁也:仕事にはできないというか、するつもりはない。ただ、サッカーはどこかで続けたいと思ってはいるけど、本気で打ち込むのは今年がラストだと思う。社会人サッカーとかやってみたいと思うけど、自分がどんな仕事を選ぶかにもよるね。でも、サッカーのプレーをやめたいとは思わない。
俊也:俺は大学でスパッとやめたいです。自分の中でちゃんと時間制限を設けたいっていうのがあって、「あと3年しかない」っていうのは最近よく考えますし、そこは区切りとしてスパッといこうかなとは考えています。
ーーということは、今年は2人が本気で同じピッチに立てるラストチャンスかもしれませんね。
郁也:「アミノバイタル®︎」カップ(1回戦 vs東京国際大学 1○0)に2人で出たんだけど、俺ら何にもできなかったんだよね。俊也からいいパスが来たわけでもないし、いい連携を見せられたわけでもないし、本当に何もできなかった。だけど、普段サッカーを一緒に見て「ああだね、こうだね」っていうのを話すから、「俊也はこうやりたいんだな」「俊也は持ち運んでここを覗きたいんだな」「俊也がクロスを上げた時にここに来るだろうな」みたいな感覚は分かるし、理想は関東リーグに一緒に出て、俊也から出たボールを自分が決められたらいいし、それは親も1番喜ぶと思う。お互い努力すればそういうチャンスは今年どこかで巡ってくると思っているから、そこは成し遂げられればいいなとは思うけどね。
俊也:郁也は根は優しいので、最後のサッカー人生を「親のために」みたいに考えるところはあると思うんですよ。だからそれに協力したい。実際まだ何も分からないですけど、今年は一緒に出ることが少し現実味が出てきたというか、一緒に出れる可能性はゼロではないと思うし、頑張り次第でチャンスを掴めそうな手応えもあるので少し意識はしていますし、「(サッカー人生は)あと3年あるけど、今年が最後だな」と思って今年に懸けている部分はあります。
ーー俊也選手のアシストで郁也選手がゴールを決めるシーンに期待したいです。
郁也:別にパスじゃなくてもいいけどね。「一緒に出て勝つ」とかでもいいけどね。でも俺は大学最後だからやるしかないと思っているし、やるつもりではいるよ。
ーーでは最後に、2人にとってお互いの存在って何ですか?
俊也:俺は「兄」です。小さい時からそうだけど、基本的に俺の人生を決定づける大きな要因となっているのは郁也だし、FC東京に入ったのも郁也がいたからだし、早稲田に入ったのも郁也がいたからだし。俺の一歩先を常に行っているのが郁也だし、サッカーも実際そうだし、話していて考えていることも郁也がいつも一歩先を行っているんだろうなって実感するし、それはこれからも続くと思うんですよ。ずっと追いかけているような感じはしますね。
郁也:そんなこと言うと、俺も「弟」だよ(笑)。1人でちゃんと考えられる部分もあるけど、やっぱり心配。サッカーもそうだし、怪我のこともそうだし、ランテストの時も相当心配だった。自分もまだまだ子供な部分もあるけど、自分が歩いた道の後を追いかけているから、自分の経験をもとに「大丈夫かな」「そろそろこういう壁にぶつかるだろうな」っていうのも分かるし、いつも心配しながら見ている。俺がア式にいるうちに残せるものがあるなら残しておきたいけど、やっぱり心配。頼りになる部分もいっぱい出てきたけど、心配かな。「気にしなきゃ」って思う、未だに色々。
ーー2人は死ぬまで関係性を切ることなく、今のままでいられそうですね。
俊也:両親ともに未だに兄弟とずっと連絡を取っている感じはあります。
郁也:確かに、家庭的に仲良いかもしれない。
俊也:母親とかは毎日のように妹と電話しているような気もするし。
郁也:俺に子供ができたら、俊也にはぜひ貢いでもらいたいですね。お金はいっぱいあるらしいので、自分のことに使うようであれば貢いで欲しいですね(笑)。
俊也:まずは「自分のものは自分で買え」っていうところからですよね(笑)。
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「俺たちは”仲良し”ではない」という最初の一言で面食らってしまいましたが、2人の関係性が分かる対談となりました。表向きには「”仲良し”ではない」と言っているけれど、実際はお互いを認め合い、お互いの存在を常に気にかけ、お互いをリスペクトしているのかな、という印象を抱きました。
今シーズン、2人の共演・活躍でチームを勝利に導く姿に期待したいです。
(インタビュー:林 隆生)
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♢鈴木郁也(すずきふみや)♢
学年:新4年
学部:社会科学部
前所属チーム:FC東京U-18(早稲田大学高等学院)
♢鈴木俊也(すずきしゅんや)♢
学年:新2年
学部:商学部
前所属チーム:早稲田実業学校高等部