見出し画像

【#Real Voice 2023】 「ド素人の挑戦」 1年・天野いちか

ア式蹴球部(以下ア式)に入ったばかりの頃、先輩方がよく聞いてくださった。
「なんでア式入ったの?」
それもそうである。わたしはサッカー未経験者だ。サッカー自体は大好きである。小学校の頃は男子やサッカー女子に紛れていつもボールを追っていた。中学高校とずっとサッカー選手をテレビで見ていた。サッカーから離れたことはない。でも、実際にプレーしたこともない。
ア式に入った自分はインサイドもまともに蹴れないド素人である。
そんな私がア式に入ってトレーナーになれるのか、答えは誰が考えたってNOだろう。


「おまえの力不足だよ」
「今日のアップあがんないわ。」
「このままじゃ公式戦出すことできないよ」
「勉強しろよ」
「素人にはわかんねーよ」

耳に入ってくる言葉に自分の力不足を何度も痛感させられた。ア式にいる意味って何だろう。自分の存在価値って何だろう、自分はこの組織にいていいのだろうか、迷惑ではないだろうか。考えるたびに自分は無価値に思えて、ア式にとっていない方がいい存在に思えて、やっぱりやめようかなと考える毎日。それでも自分の夢を追うために、「おまえがトレーナーなんてできんの?」と鼻で笑ってきたやつを実力で見返すために、何を言われようと、努力しようと心に決めたド素人の挑戦。



初めまして。本日の部員ブログを担当させていただきます。学生トレーナーの天野いちかです。見出しにもあるとおり、サッカーに関して私は全くのド素人です。怪我をしたこともあり、もう競技はやめてしまいましたが、8年間新体操をしていました。いきなり新体操からサッカーへの路線変更。分からないことだらけですが自分なりに精一杯ここまでやってきました。そしてこれからも。是非最後まで読んでくださるとうれしいです。


中学3年、左足母指関節炎を発症。病院に行き、薬をもらって指示通り処置をするも治らず、新体操をするにあたって基本中の基本であるつま先立ちができなくなった。その後すぐ腰椎分離症を患い、自分の得意であった腰の柔軟を用いた技をこなすことが難しくなった。今まで楽しかった新体操が楽しくなくなった。動こうとするたびに左足が痛み、技をこなそうとするたび腰が悲鳴を上げる。病院に行っても一向によくならず、1年で最も大きな晴れ舞台である学園祭に出演することを自ら断った。何不自由なく演技をするチームメイトを見て、「怪我してなかったら自分の方がうまいのに」と根拠のない自信から勝手にチームメイトを恨み、新体操に関わることもチームメイトと話すことさえも嫌になった。新体操を演技することが唯一の楽しみであった自分は次第に日常生活もやさぐれていき、気づいたら学校にもまともに通わない高校生活を送っていた。新体操をしなくなったからといって勉強をしていたかというとそうではなく、微塵も勉強なんかしてこなかった。


そんな自堕落な毎日を送っていたが、医療に関わりたいという思いから高3の12月に早稲田大学スポーツ科学部(スポーツ医科学コースがあるため)を第一志望に決め、なんとか合格した。スポーツ医学を学んでメディカルトレーナーになりたいと考えていた私は早稲田大学に入学し、どこかの部活の学生トレーナーをやろうと考え始めた。新体操をやっていた経験から体操部に入ることも選択肢にあったが、体操部に入れば自分に醜い感情が湧き上がってくることは目に見えていたので、入らないことに決めた。残った選択肢は、観るのが好きなサッカーかバスケ。サッカーの方が小学校の頃から長い間見てきていたたことと、クラスメイトにア式の人がいたこともあり、ア式の門をたたくことに決めた。


仮入部を始めてからは、とにかくがむしゃらにピッチ内で動いた。知識の1つもない今の自分に何ができるのか、知識を少しでもつけるために何ができるのか、ア式に必要な存在になるためには何を考えればいいのか。スタッフの中で誰よりも働いてるよね、ア式のために頑張ってくれてるよね、選手たちにそう思ってもらえるように自分にできることは何でもしたつもりだった。
一方であっという間に入部していくほかのスタッフを見て顔には出さなかったがとても焦った。人生で1番焦っていた。自分じゃだめなのかもしれない。自分はア式にとって全く必要ない存在なのだ、だから入部できないんだ。変に自分にダメ出しをして自信をなくして、今まではやりたいと心から思っていたアップも自信を持ってすることができなくなった。自分に対するマイナスな意見しか耳に入ってこなくなった。入部してからも自信は持てなかった。

しかし、それもこれもすべては自分の責任である。



自分の目標はメディカルトレーナーになることでありフィジカル系であるアップには正直あまり興味がない。私のしたいことではない。私がアップをしてもどうせあがらないし、だったらやらない方がいいのではないかと思っていた。それが選手のためとさえ思い込んでいた。試合前や、どうしても人が足りないときだけすればいい。そんな甘い考えで過ごしていた結果、自分のアップの質は下がり、実際に必要なときに選手にとって何のためにもならないアップを提供してしまうようになった。
自分の甘い考えにより、質の低いアップをしてしまい、選手たちの信用を失ってしまう。こんな悪循環を繰り返していた結果、いつしか私のアップへの評価は最低ランクになっていた。仮入部期間の方がまだいいアップができていた。入部して月日がたって本来であれば成長するべきなのに自分は成長しないどころか退化してしまっていた。


そんな中、浅木くん(4年・浅木柊人 / 学生トレーナー)が私に尋ねてきた。「今日のアップどうでした?」と。仮入部以来久しぶりの質問だった。
正直私は浅木君のこのアバウトな質問が大嫌いだった。なぜなら、「最悪でした。」と答えるしかないからである。端から見て一目瞭然なほどぐだぐだになっている私のアップがどうだったか聞かれて、ここがだめでこれが自分の課題なのでこう変えたいですと具体的に言えなかった。あまりにも課題が多すぎたからである。アップのすべてが課題点であった。アップを始める際の雰囲気作りも、選手に的確な指示を伝えることも、目的に沿ったアップの内容構成も、最初から最後まで何1つうまくできなかった。そのためこの質問に私はヘラヘラ笑って全部うまくいきませんでした、と答えるしかなかった。最悪のアップをして、その上どこが課題なのかも分かってなさそうな私の様子を見て、浅木君は厳しく「このままじゃ公式戦出せないよ」と言ってくださった。この言葉は私の心にグサッときた。

ア式蹴球部には3人しかトレーナーがおらず、人手不足状態である。そんな状況でも公式戦に出せないほど自分は戦力外なのだと痛感した。アップをすることから逃げてないで改善していかなければならないなと強く感じた。この日から私はトレーナーとしての自分の課題に言い訳をつけないようになった。逃げることをやめた。耳に入ってくる私に向けられた評価コメントをすべて真摯に受け止め、一歩ずつでいいからレベルアップしていこうと決めた。


この日から数日たった頃、アップを担当する機会があった。選手への的確な指示と、目的に沿った内容構成という点について、これまで自分にあてられた意見を振り返り、自分なりに今できそうな課題を対処しようと意識して、アップをしてみた。完璧なアップだったかと言われたら自信を持ってそうだったということのできるアップではなかった。ここはこうした方がいいなと思う箇所はいくつもあった。それでも明らかに今までの最悪なアップよりは確実に良いアップになっているなと感じることができた。実際に選手にも意見を伺ってみたところ、アップに変化があったことに気づいてくれていた。
ア式蹴球部に入ってから初めて自分の成長を感じることができた瞬間だった。



ア式に入るまで私は何もかもから逃げてきた。新体操、勉強、自分にとって必要なものか否かに関わらず、すべて中途半端に終わらせて何も完遂させずにここまで生きてきた。今までの自分であったら、ア式からも逃げていただろう。自分のアップがうまくいかない原因を自分ではなく他人に押しつけ、だから仕方がない、必要ないならア式をやめればいい。ア式に適応できなかったとしても探せば自分に合った環境があるはずだ。そう考えれば自分は悪くないと思い込めるから。

でもそうじゃない。少なからず自分に何かしらの原因がある。原因を探せば悪いところを良くなるように変化させることができる。誰だって成長できる。そう気づかせてくれたのがア式蹴球部という存在だった。自分に成長という経験を初めてさせてくれたア式蹴球部に、勝利への貢献という形でトレーナーとして最高の仕事ができるよう、私はこれからも成長していきたいと思う。

天野いちか(あまのいちか)
学年:1年
学部:スポーツ科学部
出身校:鴎友学園女子高校


いいなと思ったら応援しよう!