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最高の3年間

はじめに

平素よりお世話になっております。
高田から指名を受けました、社会科学部4年の稲月です。

まずは、この早稲田大学フットサル部を創設した代表の田中や、フットサル部に誘ってくれた西木や徐、練習中サポートをしてくれたその他メンバーに感謝を申し上げたいと思います。

フットサルとの出会い

私は小中高とバスケ部に所属していたため、大学入学当初はフットサルとは無縁でした。そもそもフットサルという競技の存在を知らないレベルでした。1年生の春学期はとにかく遊んでいましたが、徐々に怠惰で軽い大学生活に寂しさを覚えるようになりました。そんな中、とある授業で、同じ社会科学部で代表の田中に出会いました。彼から「一緒に早稲田に体育会フットサル部を作ろう」と言われた時は正直戸惑ったのを覚えています。何か熱中できるものに出会えると思い、軽い気持ちで承諾をしました。秋に行われたはじめての決起集会でとりあえずマネージャーの席に座って話を聞いていたのはとても懐かしい思い出です。思い返すと、この決起集会に参加せずに今の部員たちと出会っていなければフットサル部の部員として卒業を迎えることはなかったと思います。

大学1年の秋に早稲田フットサル部が始動することになりましたが、高校サッカー部でもなかった私はプレイヤーではなくマネージャーとして部に関わることとなり、なにかやりきれない気持ちがありました。全くの0からの状態で部を作り上げていくことに果てしなさを感じ、結成から3ヶ月程で部を辞めることにしました。SNSを通して部員たちが頑張っている姿を見たり、新しいメンバーが入って活気が出てきているのを見たりすると、結成メンバーでありながら早々に退部してしまったことがとても悔しかったです。ただ、それでもまた部に戻ろうという気持ちは湧いていませんでした。

帰還

それから半年ほど経った大学2年の6月頃、仲良くしていた部員の西木や徐からフットサル部に戻ってこないかという連絡をもらいました。全く想定していなかったことですが、正直嬉しかったのを覚えています。今度はプレイヤー(ゴレイロ)としても部に関わることを決めました。コーチがいなかった時はYouTubeを見たり、チームのゴレイロに聞いたりして勉強したのがとても懐かしい思い出です。初めての練習ではセーブすると手が痺れて、想像以上に痛かったです。コーチが来るようになってからは奥深い戦術など知れるようになってとても楽しかったです。初めて出た公式戦ではかなりの失点をしてしまいましたが、一緒に部を結成したメンバーと試合に出れてとても幸せな気持ちでした。

最高の経験

プレイヤーとしての思い出も沢山残っていますが、やはりフットサル部での1番の思い出は営業部の部長として渉外や協賛金の獲得に注力したとことです。フットサル部に復帰して早々に営業部に入ることが決まり、部長を務めることになったため責任を感じていましたが、結果としてとても充実した日々を送ることができました。
営業部では企画書を作って営業メールを送ったり、実際に商談をしたり、協賛の案件の管理をしてメンバーに実施を促したりと業務が沢山ありましたが、とてもやりがいがありました。プレイヤーとしてはなかなか部に貢献ができませんでしたが、活動資金を集めるという目的で、営業部長としては少しは部に貢献ができたと思います。フットサル部に入らなれければ絶対にできなかったような経験をできたことは今後の私の人生において大きな財産になると思います。営業部の活動がきっかけで始めた長期インターンでは学生の協賛関連の仕事をしました。そこでの経験がフットサル部における協賛金獲得に役立ちました。

最高の仲間

大学4年の夏に行った、初めてのフットサル部での旅行はこれまでの学生生活の中で行った旅行の中で1番楽しかったです。それはどこに行ったかや何をしたかが重要なのではなく、誰といった旅行なのかが1番大切だと実感させられるものでした。これまで部を作り上げた仲間たちだったからこそ最高の時間になっただと思います。今後はみんなそれぞれ新しい場所で頑張ることになりますが、また集まれたらいいなと思います。

まとめ

最後になりますが、ありきたりな大学生活を送っていた私に「早稲田大学フットサル部」という最高の場所を提供してくれた田中をはじめとするメンバーには感謝してもしきれません。これからも一期生として部の発展に貢献しながら、ここでの経験を活かして社会で活躍できる人間になろうと思います。4年間本当にありがとうございました。

最後に

次回のブログは徐慶太を指名します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

早稲田大学社会科学部4年 稲月新

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