![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/102465922/rectangle_large_type_2_63b703ed3f2736217d6a5ab8b180bd60.png?width=1200)
選んだことを正解にしていく
はじめに
平素より大変お世話になっております。
阿部からご紹介に預かりました、法学部4年の久保雄汰です。
彼は同期とほとんど一緒に飯を食べないことで有名ですが、そんな阿部くんと何回も飯に行けたことを誇りに思います。ほんの数回だけど。冗談はさておき、彼は本当に頼れるフィクソでした。潰してほしいタイミングでしっかり相手を潰してくれる、ゴレイロにとって有難い存在でした。プレー以外の部分でもなんかわからないけど分かり合える部分があって、真剣な話をしたこともありましたね。「卒業ブログが真面目すぎないか心配」とありましたが安心してください、しっかり真面目に書く予定でございます。
何を書くべきのなのかこの文章を書きながらもわからない状態にありますが、素直に感じていることをそのまま書こうと思います。
そのため拙い文章になってしまっていると思われますが、ぜひ最後まで読んでいただけると幸いです。
懐古
引退してから日が経ちますが、改めて思うことは日々充実していたな、ということです。
家から練習場所まで往復で約3時間半、練習時間も21時から23時なのでギリギリまで練習に参加して終電に間に合うように駅までダッシュ。今思えばよくこんなことをずっと続けていたなと思います。
しかしそんな生活を続けられたのも、自分がフットサル部のような環境を求めていたからかもしれません。
自分の中では、本気でスポーツに打ち込むのは高校サッカーで一区切りだと考えていました。そのため、フットサル部ができる前の1年生の入学当初、なんとなく入ったフットサルサークルでやってみたかったという理由だけでゴレイロ(キーパー)というポジションを始めました。
余談ですが、高校まで10数年続けていたサッカーではフィールドでプレーをしていました。高校では1年で主にフォワード、2年でボランチなどの中盤、3年では主にサイドバックと少しだけフォワードでもプレーしていました。そして大学で始めたフットサルではゴレイロをしているというかなり特殊な人間です。
違和感と決意
話を戻しまして、その当時は何事もなくただ楽しく大学生活を送るんだろうなと思っていました。
しかし、途中から物足りなさを感じることもありました。高校サッカーではほぼ「声」と「気持ち」で戦い、感情表現も含めて全力でプレーすることに楽しさを覚えていた自分にとって、それをサークルという環境で中々味わうことが難しかったためです。一区切りをつけたはずなのに、段々とその感覚を味わいたいという気持ちが芽生え始めていました。
それを感じつつあった秋ごろ、「一緒にフットサル部を創らないか」と誘われました。
ゴレイロというポジションを軽い気持ちで始めてしまっていたので、部という組織で迷惑にしかならないのではないか。最初はそう思っていました。しかし、結局諦めきれていなかった高校サッカー時代に味わっていたあの感覚をもう一度味わってみたい。そして新しいポジションだからこそ成長できる部分しかないと思うようになり、最終的にはこの部に残りの学生生活を捧げるくらいの気持ちで入部を決意しました。
最初の一歩
とはいったものの最初からうまくいくはずもなく、創部後初めての練習試合では高校生相手にたしか1-8くらいで負けました。更に、新型コロナウイルスにより活動を停止せざるを得ないという状況になりました。
組織としても、1人のプレイヤーとしても難しいスタートでした。
2年生となり感染状況も落ち着いたころ、初めての公式戦に臨みました。結果は昨季準優勝の明治学院大学に4-0。自分も無失点で終えることができました。試合終了のホイッスルが聞こえた瞬間は、この部に入った意味を実感できた瞬間でもありました。
臥薪嘗胆
3年生は自分にとって一番辛かった年でした。
高校からゴレイロとしてプレーしている1年生が2人入部しました。当然のことですが、ゴレイロとしての基礎技術に差がありすぎてかなり絶望していました。
しかし、逆にその差があったことで日々の練習はより刺激あるものとなりましたし、試合に出るためにその2人にはない自分らしいプレーをするようにもなりました。
有難いことこの年も多くの試合に関わることができましたが、自分が嫌になるような試合ばかりでした。多摩に0-16、慶應に3-15でボコされました。しかしそれ以上に、残り1分を切ったタイミングで勝ち越された東工、明学との試合や後半から出場したにもかかわらず4失点して引き分けに終わった東大との試合は自分の無力さを実感するとともにチームに対する申し訳なさを感じました。
4年生になると更にゴレイロが1人増えました。ゴレイロ経験者ではなかったため初めて教える側の立場になりました。それまで感覚でプレーしていた部分もありましたが、この立場となり自分のプレーを言語化するようになったことでより成長できた年でした。
その一方で、今シーズンそれまでで唯一勝った試合が自分がメンバーから外れた試合だったことや、引退が近づいてきたことによる焦りで気持ちやプレーが空回りしていた時期もありました。
そんな中で行われた東工との試合では、ゴレイロ3人で試合を繋ぐという珍しい形で勝利することができました。試合が終わった瞬間、前年から中々チームの勝利に貢献できていなかったこと、そして自身が苦しい想いをしていた時期だったことなどから、勝ったのに泣いた記憶があります。
早慶戦
そして引退試合となった2月14日の早慶戦。
自分がメンバー入りした試合で初めて出番がありませんでした。
控室に戻り、最後のミーティングが始まった瞬間から様々な感情が溢れてきて涙が止まりませんでした。
結果は3-7。自分としても、チームとしても決して良いといえる終わり方ではありませんでした。とはいえこの3年半を振り返ってみると、自分の大学生活の中心にあったフットサル部の活動でそれまでは考えられなかった貴重な経験を多く味わうことができました。
道を振り返って
本当に0からスタートしたこの組織が気づけば部員はもちろんのこと、指導者やスポンサー様にも非常に恵まれた環境にありました。自分たちが作ってきたものがここまでの形になったことは本当に感慨深いものがあります。
中学、高校時代はそれまで続けていたサッカーを辞めるという選択肢は全くなく、当然のようにサッカー部に入っていました。それが大学生になり、選択肢を与えられたことでより周りと比較するようになりました。
そのため、組織としても個人としても全くうまくいかなかったフットサル部での最初の1年は自分の決断に自信が持てず、友人に遊びや食事に誘われても「部活があるから」とは恥ずかしくて言えない自分がいました。
しかし、今となっては堂々と周囲に伝えることができます。それは組織として部らしくなってきたからという部分もありますが、それ以上に自分が本気で取り組んでいく中で自身の行動に段々と自信が持てるようになってきたことが一番大きな要因です。特に初の公式戦で勝てたことは、自分の中でも気持ちに大きな変化があった瞬間の1つです。
「選んだことを正解にしていく」
という言葉がありますが、まさにこの言葉の通りだと思います。
ただし自分にとってのこの言葉は、自らの選択を無理矢理に正当化しようとするものではなく、本気で取り組んできたという自信から生まれてくるものです。
こんな風に思うようになってから、それまでの選択も見え方が変わってきました。
浪人を選ばなければ、この大学に来ることはできなかった。
この大学に来ることがなければ、自分たちで部を創ることはなかった。
この部にいなかったら、このような考え方になることはなかった。
そういった意味でも、この部に関われたことは自分を大きく変えてくれました。
この部に入らないという選択をしていたら今ごろ何をしていたかなんて誰にも分かりません。
しかし、胸を張って言えることは、ここまで本気になれる最高の環境と仲間たちに出会うことは絶対になかったということです。最後のミーティングで涙が止まらなかったのも、これ程までに本気で取り組んできたからこそのものだと思います。
そしてこれは自分が追い求めていたものでもありました。
まとめ
「早稲田大学フットサル部」という組織の一員であった約3年半は間違いなく自分にとって濃密で充実した時間であり、人としても大きく成長させてもらいました。
これから社会人となり、今まで以上に大きな決断に迫られることが多くなると思います。そのような中でも大学生活で得たこの学びを今後の人生に生かしていきたいです。
以後はそれぞれに感謝の言葉を述べたいと思います。
同期へ
個性的なメンバーばかりで日々楽しかったです。
更に時には言い合いになるくらいまで腹を割って話し合える、信頼できる仲間たちでした。
今後も宜しくお願いします。
ひとまずは3年半、ありがとうございました。
後輩たちへ
学年関係なく先輩をいじってくるような素晴らしい後輩たちでした。笑
個人的には同期と後輩の架け橋のような存在になれればなと思ってましたが、少しは達成できたのかなと思います。
短い期間でしたが、ありがとうございました。
ゴレイロ陣へ
まずは幸輝と陽生。2人がこの部に入ってきてくれたからこそゴレイロとしての自分を確立できたし、大きく成長させてもらいました。
そして隆登。短い期間だったけど少しでも成長の手助けになっていれば嬉しいです。
3人は仲間としても、ライバルとしても最高のメンバーでした。
ありがとうございました。
指導陣へ
大変お世話になりました。
こんな自分を信頼し起用してくれたこんさん。
自分のプレーにいつもポジティブな声掛けをしてくれる西村さん。
怪我した時には何度も助けてもらったすいっち。
ゴレイロとして多くのことを教えてくれたちゃぼさん。
こんな環境は他にはありません。
ありがとうございました。
両親へ
そして高校で最後だと伝えていたはずなのに大学でも様々なサポートをしてくれた両親には感謝をしてもしきれません。
4歳の頃、体操クラブに入りたがっていた自分をサッカークラブに入れてくれたおかげでこんなにも素晴らしいサッカー・フットサル生活を送ることができました。
途中色々と言いたいことがあったはずなのに、いつも自分のやりたいことに対して見守り続けてくれたからこそ今の自分があります。
お世話になりました。そしてありがとうございました。
これからしっかりと恩返しをしていきます。
最後に
最後になりますが、本当に素晴らしい人々に恵まれた最高の3年半でした。
この場をお借りして、これまで携わっていただいた全ての方に感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
非常に長く拙い文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次回の卒業ブログはもう一人の頼れるフィクソ、古関瑶山(4年・創造理工学部)です。持ち前のヌルヌルドリブルで相手を躱しまくっていましたが、それを自陣ゴール近くでやるので内心ヒヤヒヤしてたりしてなかったり。彼の言語化する能力は特に就活していた時期に驚かされました。そこまで言語化できたら余裕で上手くいくと思い僕もそれを目指そうかと思いましたが無理でしたね。そんな彼には自身の想いをしっかりと”言語化”してほしいと思います。ぜひお楽しみに。
早稲田大学 法学部4年 1番 久保雄汰