フットサル部での4年間を終えて
はじめに
早稲田大学フットサル部第1期の主将を務めさせて頂いた、政治経済学部4年の吉﨑龍馬です。
2019年に早稲田大学フットサル部を創設した現4年生は、2023年2月14日に行われた東京都大学フットサルリーグ最終節•慶應義塾大学体育会ソッカー部戦を以て引退致しました。この度、引退に伴って4年生でそれぞれが文章を書き綴る「引退リレー」を行うことになりました。今回はその一番手として、主将を務めた私が4年間の思い出と感謝について書かせて頂きます。
立ち上げ
僕にとって早稲田大学フットサル部での4年間はこれまでの人生で味わったことのない、初めての体験ばかりだった。
大学一年生の夏頃、飲み会で一升瓶を持ちながら徘徊していたり、大きな声でコールを振っているようなただの酒好きの大学生だった英智朗に突然誘われて、このフットサル部の立ち上げに参加した。正直長続きしないと思っていたし、少し真剣にフットサルをするサークルを作る程度だろうと思っていた。ただ、このまま遊びや飲み会だけをして過ごし、何もしないただの大学生にはなりたくなくて、この部に入る決断をした。
監督がおらず、練習の参加人数も揃わなくてゲームが出来ないのは当たり前、新町や豊島北とかいう聞いたこともない遠い場所にある本当に狭い体育館で自前のゴールを持っていって練習をした1年目。高校までの部活動では考えられないくらい環境が整っておらず、フットサルの右も左もわからないまま活動を続けていた。正直、友達のみんながいるから、みんなが辞めないから自分も辞めなかっただけで、練習の質や環境だけ見ればとっくに辞めていたと思う。実際やめていくメンバーが何人もいて、だからこそ最後まで一緒に残った4年生は自分にとって一生大切な仲間だと思っている。正直、この時期は親や友達などの周りにフットサル部についての話をあまりしたくないと思っていた。周りから見れば、少し前までサークルで遊んでいたのに急に「フットサル部」と名乗り出して活動している痛い人たちだと思っていたし、ロクな練習もしていないのにとても体育会を目指すなんて言えたもんじゃないと思っていた。実際、先輩や同級生からフットサル部について否定的な意見を聞くこともあったし、それに反論出来ない自分もいた。
創部2年目
そんな中で2年目には初めての新歓と公式戦出場、そして人生初の主将を経験した。体験に来てくれてもなかなか入部希望者がいない中で恭太朗が初めて入ってくれた時は、自分たちが作った組織が肯定されたような気がして本当に嬉しかった。最終的に9人の新入部員が入ってくれて、初めての新歓活動は上出来だった。9月3日の創部祭のBBQで主将に立候補した。これまでは中学・高校と副主将を務めてきたが特に何も出来なかったという後悔があり、大学では自分がチームを引っ張れる存在になりたいという思いから立候補した。10月には創部後初の公式戦である東京都大学フットサルリーグに出場し、明治学院大学体育会フットサル部に4-0で勝利した。キャプテンマークを巻き、先制点を決めたこの試合は間違いなく人生で一番嬉しかった勝利だった。それまでの練習試合はほとんど全ての試合で負けていた中での勝利で、1回勝つことがどれだけ大変で、どれだけ嬉しいものか学ぶことができた。このシーズンは結局コロナ禍でリーグ戦1試合のみだったけど公式戦に出られたり、後輩が出来たことで「フットサル部」であることに少し自信がついた。
創部3年目
3年目は初めて組織体制が整った状態で1シーズンを戦った。3学年の選手体制になり、コンさん・ちゃぼ・スイッチの監督・コーチ・トレーナー就任と週3〜4回の練習環境が整ったことでフットサル部として本格的に活動が始まった。大学リーグも1シーズン8試合全て開催され、フットサル部として初めて1シーズンを戦った。12月にはFリーグの後座試合として桜美林大学とのリーグ戦を開催し、初めての有観客試合を経験した。体制も環境も整い、大きな希望を抱いていた一方、とても厳しい現実を見たシーズンでもあった。チーム内に感染者が出たことによる活動停止が複数回あり、さらに1学年下の代は多くの退部者が出て9人中3人しか残らなかった。特に活動停止期間に退部者が続出した時には何も出来ないことに無力感を感じ、退部したいと思わせてしまった責任を感じた。また、リーグ戦の成績は多摩大学に0-16、慶應義塾大学に3-15と2度の大敗もあり、1勝1分6敗で9チーム中8位だった。人生でこんなに試合に負け続けたことはなかったし、特にリーグ前半戦は公式戦に出たくないと感じるほど、相手との圧倒的なレベル差を感じてフットサルを嫌いになりそうだった。どう頑張っても勝てないのではないかと本気で思っていた。後半戦では1点差勝負が多かったが、ラスト3分での失点が3試合あり、勝ち切ることができなかった。特に3点差を追いついた中でラストプレーで失点して負けた明学戦は今でも鮮明に覚えているくらい悔しくて、試合後のミーティングで話す時に涙が止まらなかった。これまでの中学・高校では引退する試合以外で泣いたことがなかったのでそれ以外で泣いたのはこの試合だけで、それくらい本気でフットサル部で勝ちたいという気持ちが芽生えていたんだと思う。
創部4年目
そして4年目、「GIANT KILLING」を目標に臨んだ今シーズン。最後の1年ということもあり、創設代の4年はもちろん、チーム全体として関東昇格を目指す今シーズンの成績にかける思いは今までで一番大きかった。僕自身もこれまで以上に自信を持ってプレイ出来ていたし、自分とチームへの期待もとても大きかったが、結果的には2勝2分4敗の7位だった。ただ、今シーズンを終えて非常に充実感があったと感じている。開幕戦の多摩大戦、昨シーズン大敗した相手にチーム全体で必死に体を張り、終盤のゴールで追いつき3-3のドロー。昨シーズンまで見られなかったチーム全員の集中力と最後まで戦う姿に、プレイしながら感動していた。続く立教戦、桜美林戦では苦しんだものの、1勝1分で負けなかった。特に桜美林戦では自分や主力の4年生がミスを多発した中で後輩の活躍があって勝利することが出来た。自分の不甲斐ないプレイを悔やんだが、一方で助けてくれる後輩の存在がすごく嬉しくて、心強かった。その後の明学戦、学習院戦と関東昇格がかかった2戦で2連敗し、関東昇格という目標は遠くなってしまったが、シーズンを戦い抜く気持ちは切れていなかった。それ以上に、自分はシーズンが進むごとに、このチームでのフットサルをもっと楽しみたいという気持ちでいっぱいだった。そして1月8日の東工大戦は自分にとって1番の思い出になった。その理由は、多くの友人・家族の前で人生最高のゴールを決めることが出来たからだ。この試合は有観客が解禁され、アクセスの良い駒沢で開催されたため、大学の友人や地元の友人、家族に声をかけて観にきてもらっていた。この試合で僕は2点記録したのだが、その1点目が自分にとって人生最高のゴールだった。なぜなら、3ヶ月前この試合に一緒に出ることを目標にコーチから選手に復帰した、泰輝のアシストから決めることが出来たからだ。泰輝は3年に進級するタイミングで選手からコーチに転身して活動していたのだが、この試合の3ヶ月前の10月、フットサル部を引退するかどうか迷っていた。泰輝だけじゃなくて4年生の多くはこのタイミングでの引退を考えていたが、最後までリーグ戦を戦いたかった自分はせめて泰輝だけでも残って欲しいという思いから1月8日の東工大戦で友達を呼んで応援してもらおうと説得した。その結果、泰輝は選手復帰を決意し、その決断が周りの4年生にも波及して最終的に4年生全員が2月の最終節までプレイすることになるきっかけになった。しかし、選手復帰を決意したものの簡単にコンディションをトップフォームに戻せるわけではなく、泰輝は12月の明学戦でもメンバー外であった。そのため東工大戦での復帰は厳しいと思われたが、それ以降の練習でのパフォーマンスや気合いの入り方は目を見張るものがあり、特に守備面で体を張る姿や味方に声をかけ続ける姿はチームにとって大きな刺激になった。結果、東工大戦でついにメンバーに復帰することになったが、当日、前半はほとんど出場機会が無かった。後半になり、大介が負傷したことから徐々にプレイタイムを伸ばすと、交代のローテーションの中で偶然僕と泰輝が一緒に出たタイミングで、前述のゴールが決まったのだ。ライン間でボールを受けた僕と目が合った泰輝とのワンツーから、キーパーとの1対1を制してゴールが決まった。試合に集中していたため、ゴールが決まってしばらくは泰輝のアシストということを特に気に留めていなかったが、徐々に約束を果たしてみんなが応援しにきてくれた試合で一緒に出場できたこと、その試合で二人の連携からゴールできたことに気が付き、鳥肌が立った。僕の15年間の競技人生においてこんなに意味があってストーリーがあるゴールは初めてで、今後もきっとないだろう。間違いなく、これが人生最高のゴールだ。2月の東大・慶應の2連戦は2勝を目標としながら1分1敗と最後まで良い結果が出なかった。しかし、この2試合においても先制されながら気落ちせずに点を取り返しに行く早稲田のメンタリティ、最後まで戦う姿勢は存分に発揮出来たと思う。結果的には今シーズンも7位と決して好成績ではないし、勝つべき試合で勝ち切れなかった後悔は少なくない。だが、自分にとっては全ての試合に意味があったし、昨シーズンと違って最後まで戦えるチームになれたこの1年は非常に充実していたと感じている。今回の引退では涙を流すこともなく、胸を張って引退することが出来た。
まとめ
ここまで自分の早稲田大学フットサル部での4年間について振り返ってきた。振り返って改めて感じることは、自分が過ごした4年間には大きな意味があったということだ。自分たちが作った早稲田大学フットサル部は、今や部員30名を超える組織となり、週3回の練習は当たり前で他大学の体育会同様に公式戦に出場することができ、関東大学リーグへの昇格も目指すことが出来るチームになった。創設代の4年生が抜けても後輩が活動を続けてくれて、彼らの、そして未来の後輩たちへの居場所を作ることが出来たことが本当に嬉しい。自分たちは最後まで良い結果を残すことが出来なかったが、僕らが作った早稲田大学フットサル部をこれから後輩たちがさらに大きな組織にしてくれることを願っている。そしてこの4年間、早稲田大学フットサル部に所属して主将として活動できたことは自分にとって大きな誇りになった。振り返ればフットサル部を名乗ることすら恥ずかしいと感じていた自分が、みんなと活動を続けて組織を徐々に大きくしていく中で、主将として自分が引っ張ることでこのフットサル部をもっと強くすることがモチベーションになり、最終的には自分から呼びかけて周りの人の応援まで貰ってプレイすることが出来た。僕がフットサル部で得たこの成功体験は誰にでもあるものではないし、これからの人生でも味わうことが出来ない唯一無二の体験だと思う。0から組織を作ることの難しさ、活動を続ける・継続することの難しさ、立場・環境が人を作るということなど、フットサル部での活動から多くの人生の財産となる学びを得ることができた。4年生の卒業間近の自分から大学1年生の自分に伝えるとすれば、フットサル部に入ったことで、何もしてないただの大学生からこんなに意味のある4年間を送る大学生になれたよ、ということである。これから社会人になって新しい人生が始まるが、僕はこの4年間の思い出と多くの学びを大切にして、これからの人生も自分らしく生きていきたい。
同期へ
4年生へ
4年間、一緒に活動し続けてくれて本当にありがとう。俺にとってはみんなの存在が練習に行くモチベーションであり、フットサル部に居続ける理由でした。人生においてこんなに苦楽を共にして過ごした仲間は他にいないし、みんなと過ごしたこの4年間が本当に楽しかったです。たくさん話すタイプじゃないし、チームを引っ張るほどの影響力は無かったと思うけど、ついてきてくれて、仲良くしてくれて本当にありがとうございました。これからもずっとよろしくね。
後輩たちへ
後輩たちへ
まずはフットサル部を選んでくれてありがとう。フットサル部にいてくれるだけで自分たちが4年かけてチームを作ったことが間違いじゃ無かったと思えます。自分は拓哉とか大介と違ってあんまり後輩とコミュニケーションを取るタイプじゃ無かったから、接しづらいと感じてたら申し訳ない。内心では後輩のみんなを見てて可愛いと思ってたし、みんながフットサル部を楽しんでくれている姿を見るだけで嬉しかったです。俺の練習に対する姿勢とか、プレーから何か学ぶことがあれば幸いです。何かあったらなんでも相談してきてください。いつでも力になります。
代表へ
英智朗へ
早稲田大学フットサル部を作ってくれて本当にありがとう。英ちゃんは俺だけじゃなくてフットサル部に関わっている人全て、未来でこれからフットサル部に関わる人全ての人生を変えたんだよ。体育会昇格までまだまだ道のりは長いけど、英智朗に人生を変えてもらった者としてその夢に一生協力し続けます。これからもお互いの夢に向かって頑張ろう。
最後に
早稲田大学フットサル部に関わる全ての皆様、吉﨑龍馬に関わってくれた全ての皆様に深い感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!!!
次の指名は、僕の人生最高のゴールをアシストしてくれた大谷泰輝君です。彼はこの4年間ほとんどずっと一緒にいて、いろんな思い出を共有してきた大好きな親友です。選手として、そしてコーチとしてフットサル部に関わった彼の書き綴る文章がとても楽しみです。
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