見出し画像

9割辛いことだらけ、1割幸せ

はじめに

キャプテンから指名を受けました。大谷です。感動的なブログの次で荷が重いですが頑張ります。

後輩やスタッフ・コーチ陣、同級生への感謝は既に別の場でしたので、このブログでは自分の想いについて書いてみたいなと思います。

僕にとってサル部の活動は「9割辛いことだらけ、1割幸せ」でした。ただ、この1割の幸せを最後の最後に感じるために4年間頑張り続けられたことで自信をつけることができました。

創部

大学1年の秋にえーちゃん(英智朗)にフットサル部を作りたいから一緒に作ろうというお誘いを受けました。正直自分は乗り気じゃありませんでした。高校の部活では試合に全く出ることも出来ず、ただ辛い練習をするだけだったのでもう部活は懲り懲りだと思っていたからです。でも、仲良くしていた龍馬や拓哉がやると言うので入ることにしました。今ではこの決断をして良かったなと心から思います。

龍馬のブログにも書いてあったように(読んでない人は読んでみてください)サル部の創設期は本当に大変でした。練習に人が集まらなかったり、公式戦で10点以上取られて負けたり。やろうとしていることが大きい分、行動や結果が伴わなかったため、ピッチに立つことどころか、フットサル部と名乗ることすら恥ずかしいと思っていました。

それでも辞めずに続けられたのは、一緒に立ち上げたみんなといる時間が凄く楽しかったからです。僕たちが部活を作るという行動に対して、否定的だったり馬鹿にするような人もきっといたと思います。言葉に出さなくてもそう思ってる人はいたはずです。立場が違えば自分もそっち側だったかもしれません。だけど、このメンバーと一緒ならそういった見られ方をしても別にいいやって思えるくらい僕はサル部のみんなが好きでした。

突然の引退

そんな僕ですが、3年生になって一度選手を引退しました。
新歓が大成功して有望な選手がたくさん入ってきたことで自分が試合に出れる自信が無かったからです。アラにキャプテンの龍馬がピヴォからコンバートされ、さらに次期エースの平部も入ってきて、出れるわけないじゃんってなりました。
練習にもう行かないで、運営に回ることも考えましたが、コンさんの提案でコーチになることになりました。 

コーチになると、良いプレーをしなきゃというプレッシャーから解放されて、サル部の活動が嫌だと感じることは無くなりました。帰り道にみんなと話して帰るだけ。すごく楽でした。でも同時に物足りなさも感じていたのだと思います。4年生の9月頃、その生活にも慣れて、もはや何の刺激もなくつまらなかったです。ちょうど9月に引退するかどうかの話し合いがある予定だったので自分は9月で部活自体を引退しようと思いました。

選手への復帰

引退するかどうかの話し合いの前日、練習に来た4年は自分と拓哉だけ。マジで引退しようと思いました。帰り道に拓哉とずっと引退後なにするか話していました。
その夜、9月で引退すると親友でありキャプテンの龍馬に伝えました。彼は僕の意見を尊重しつつも、選手として復帰して最後まで一緒にやることを提案してくれました。これが僕の転機になりました。
彼と立てた目標は「1/8の東工大戦に僕たちの友達をたくさん呼んで試合をする」ことでした。これが残りの5ヶ月頑張り続けられる要因になりました。

復帰してからは、予想通り身体的にも精神的にも辛かったです。都大学リーグにはもちろん出れず、4年で1人だけカレッジに行ったり、スタンドから試合を眺めるのはキツかったです。この時期、東工大戦に来てくれると言っていた友達にも冗談半分本気半分で、一緒に観に行こうねと言っていました笑
それでもやっぱり1/8は諦められませんでした。コーチとして、試合に出れない後輩や同級生が努力し続けて試合に出れるようになった姿を見てきたので、自分も諦めなければ出れると思って練習し続けられました。

年明け、東工大戦に向けてラスト3回の練習がありました。これは自分にとって東工大戦よりも大事だと思って、髪型をオールバックにして気合いを入れて臨みました。(みんなにいじられたときは、髪の毛邪魔だからって言ってたけどバチバチに気合い入れてやろうっておもってやってました。)
それもあってか3回の練習でギリギリトップコンディションに戻すことができて試合のメンバーに入れました。いままでサッカーをやってきて、こういう風に這い上がってこれたことはなかったのですごく嬉しかったです。
でもなによりも嬉しかったのは試合での出来事でした。

約束の東工大戦

1/8の東工大戦。龍馬と決めた目標通り、たくさんの友人が見ている中で試合をすることができました。
何よりもそのみんなの前で、自分が選手に戻るキッカケを作ってくれた、この4年間ずっと仲良くしてくれた龍馬にアシストをして先制点を上げることができたことが本当に嬉しかったです。あとで動画で見たらゴール後、試合中のどのスプリントよりも早い速度で走って龍馬を追いかけてました。
ベンチに戻ってみんなに祝福してもらえた時、本当に頑張ってきてよかったと思えました。
ゴールじゃなくてアシストなのもなんだか自分らしいなと振り返ると思います。

そこからの1ヶ月はあっという間でした。
きっと、復帰してからの5ヶ月で技術面で何か変わったことはなかったと思います。でも、ただ自信がついただけで大きくプレーは変わりました。
最後の慶應戦は負けてしまいましたが、後悔は全くありませんでした。
初めの頃は、ピッチに立つのもサル部と名乗るのも嫌でしたが、最後はもっとプレーしたいと思えたし、早稲田大学フットサル部に居られて本当に良かったと思いました。

まとめ

長々と自分のこの4年間の気持ちの変化について書いてきましたが、これを読むと心情的にはあまり明るくないように見えるかもしれません。でも人生で1番楽しい4年間でした。それは仲間に恵まれたからだと思います。1人じゃ乗り越えられないようなこともみんながいたから乗り越えられました。
特に、復帰してからそれをたくさん感じました。色んな人が僕にアドバイスをくれたり、励ましてくれたり本当に僕に力をくれました。
自信のない僕に自信を持つきっかけをくれてありがとう。

最後に

龍馬のようなかっこいいブログにはなりませんでしたが、今いる人でもこれから先サル部に入る人でも僕と同じような思いを抱えた人にこのブログが何か役に立ったら嬉しいなと思います。

4年間ありがとうございました。これからもよろしくおねがいします。

次は、もう1人の僕の相棒の西木拓哉君を指名します。4年間、拓哉に笑わされ、キレさせられ、たくさんの思い出があります。龍馬→泰輝と来たら拓哉しかいないと思います。サル部1のお調子者でありながら、慶應戦の後の飲み会で泣きながら飲んでた拓哉の書くブログが楽しみです。
ちゃんと書いてリレー途切らせないでね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?