第三回欧州マルチプレイレポート
プレイ国家
国家説明はざっくりとしたものを第二回でしているので割愛します。
中の人も面倒くさいので大人の事情により割愛します。
イギリス
フランス
ドイツ
イタリア
スカンディナヴィア(北欧)
トルコ
ロシア(ソビエト連邦)
計7名のフルメンバーでした。
それでは以下、本文をどうぞ。
内政期間:開始~1940/12
数か月ぶりのフルメンバー欧州マルチということで、そこそこの盛り上がりを見せながら始まった第三回(本当はもっとやってる)欧州マルチ。前回まで開戦が1940年だったところが、定番は1941ということが判明したため1941からに変更になり、各国の内政に余裕が見えるように。1940までは各プレイヤー、大学生らしく学部の話やバイトの話に華を咲かせますが、戦争の迫る1940年後半からは背後で秘密外交が飛び交うようになってしまい、元気な雑談サークルが突然薄汚い戦略ゲームオタクの集いに変貌してしまいました。
この時点で執筆者担当のソビエト連邦には、イタリアからトルコ戦争へのお誘いが来ており、既にトルコを仮想敵国としていたソ連は快諾。更に、ソビエト連邦は向こうから誘いが来たことを良いことに「発案者はイタリア」としてイギリスを対トルコ戦争に誘い、他人に責任を押し付けつつ謀略を広げていきます。執筆者は前回のスカンディナヴィアプレイで謀略を広げる代わりに恨みも背負い、その結果首位から転落したわけですが、その反省を活かしてか今回は「他人の謀略を勝手に広げて責任を上手く逃れる」というプレイにシフトチェンジしました。ゴミかな? 素晴らしい!見事な成長です。
しかし、イギリスを誘ったは良いものの当のイギリスは「スカンが怖い」という理由で及び腰でした。そのため、ソ連はスカンディナヴィアに今後の予定を確認。すると「ドイツ行こうかイギリス行こうか迷ってる」という返事が来たため、「対トルコ戦争の予定があり、そこにイギリスを引き込みたい」という旨を伝えた後、「ソビエトとスカンディナヴィアの対ドイツ共同戦線」を提案し、了承を得ました。その後、ソ連は問題のイギリスに「スカンはイギリスに行く予定はない」と通達し、イギリスの対トルコ参戦を確定付けました。なお、この時点でスカンディナヴィアからイギリスをどうするかという返事は来ておらず、更に上記の連絡により対トルコ戦争の情報がスカンディナヴィアに漏れていたため、スカンディナヴィアが対トルコ戦争中にイギリスに侵攻する可能性は充分ありました。ソ連はそれも織り込み済み(別にイギリスが死んでも良いやという精神)で対トルコ同盟にイギリスを巻き込んだのです。事実、ソ連の視点では対トルコ同盟にイギリスは必須ではなく、イギリスを巻き込んだのは「ソ連のずっとも同盟たるフランスへの侵攻をさせないようにするため」だったので、イギリスの生死はどうでも良かったわけです。
同時に、南進が確定したソ連は北のスカンディナヴィア・西のドイツと不可侵を締結。とりわけスカンディナヴィアとは戦争の予定もなかったため、永久不可侵を結びます。(本当はスカンプレイヤーが戦争つよつよなので怖かっただけ。全然国境に要塞線建ててた。)
そしてこの後、トルコから「イタリアが来そうだから不可侵結ぼう」との連絡が来ますが、既に対トルコ侵攻を決めていたソビエト連邦はこれを黙殺し、時は1941年へと入りました。
第1次南方大戦
イタリアの発案により結成された対トルコ同盟(イタリア・ソ連・イギリス)は1941年の1月にトルコに宣戦布告。ここに南方大戦の火蓋が切って落とされました。3対1という絶望的な状況にも関わらずトルコプレイヤーは一定の応戦の意思を見せ、宣戦直後の講和という事態にはなりませんでした。しかし、3対1で勝てる訳もなく、二か月後にはソビエトにグルジアを、イタリアにギリシアとエジプトを、イギリスにスーダンとエーゲ海諸島を割譲することで講和しました。講和直後にソビエトは対ドイツへと戦力を再配置し、フランスとは対イタリア相互防衛同盟を締結しました。中欧2国がフランスかソビエト連邦へ来ることが分かり切っていたからです。そして1941年7月にはスカンとの協定により対ドイツ宣戦布告。スカンディナヴィアにより声を掛けられていたドイツも参加することにより、ソ連・スカン・フランスVSドイツという構図が出来上がりました。しかし、ここでイギリスがフランスに宣戦布告。イタリアもドイツ援助のために参戦し、ソ連・スカン・フランス連合VSドイツ・イギリス・イタリア枢軸という大戦構造が出来上がりました。
対独包囲網VSベルリン=ローマ=ロンドン枢軸
スカンディナヴィア(北方)・フランス(西方)・ソヴィエト連邦(東方)と三正面作戦を余儀なくされたドイツでしたが、フランス方面はイタリア・イギリスの努力(嫌がらせ)により完全に膠着。フランス側に攻勢に出る余力がなく、同様にフランス側も攻勢に出る余力が無い状態となりました。そこで、対独戦はスカン・ソビエト方面が主戦場となりますが、スカンディナヴィア軍が精鋭の戦車師団を投入したことにより、ドイツの戦車師団はその対応のためになけなしの戦車師団を北に投入せざるを得なくなります。その隙を見て東方ではソビエト連邦の歩兵師団が数にモノを言わせて進軍。ドイツ軍歩兵師団を20個ほど消し飛ばしつつ東プロイセンまで侵攻します。更に、北では戦争狂のスカンが腕前を発揮してベルリンを落とし、流石にじり貧と見たドイツは講和を提案。大幅に領土を失うこととなりました。
対ソ包囲網
大幅に領土を増やして調子に乗ったソ連はトルコの息の根を止めようと再び南方に攻め入りますが、復讐心を燃やすドイツがここで対ソ宣戦布告。イタリアも便乗してソ連に宣戦布告し、ここにドイツ=イタリア=トルコによる対ソ同盟が出来上がりました。しかし、ソビエトも手を打っていなかった訳ではなく、事前の取り決めによりスカンディナヴィア・フランスが再びドイツに宣戦布告し、大戦の火蓋が切られました。ドイツ戦線は歩兵によりある程度の防衛に成功したソ連でしたが、ルーマニア方面でトルコ軍の戦車師団による突破を許してしまい、電撃戦により40個の歩兵師団が殲滅されてしまいます。戦線の維持は不可能と見たソ連プレイヤーは全戦力をドニエプル川まで撤退し、防衛線を構築しましたが、キエフ方面が再び戦車師団により突破されてしまい、殲滅を嫌ったソ連は更にアルハンゲリスク=アストラハン(所謂AAライン)まで撤退。ウラル山脈に籠る姿勢を見せました。
他方で、スカンディナヴィアによる侵攻を受けたドイツは必死に防衛線を構築しますが、努力も空しくベルリンが陥落します。枢軸の親玉たるドイツがピンチということもあり、対ソ宣戦はグルジアをトルコへ割譲する形で講和し、戦果に見合わぬ結果となりました。
スカンディナヴィアはハノーファー・オランダを獲得し、ドイツと講和。前回と同じく膠着していたフランス戦線は白紙講和という形で落ち着きました。
ノルウェー=コンクエスト
対独包囲網以後戦い続けていたイギリスはフランスへの強襲上陸を繰り返して抵抗を続けますが、何故かイギリスへのヘイトが高いスカンディナヴィアに宣戦布告され、艦隊決戦を強要されます。
フランス艦隊も相手にしなければならないイギリスは艦隊決戦を回避しつつ制海権を維持しようとしますが、流石にそこそこの海軍を有する二か国を相手にするのは厳しく、スカンディナヴィアによる本土上陸を許してしまいます。
「暇だから」という理由でソ連とともにドイツをボコした(ソ連は東ポーランドを獲得)スカンの陸軍は精強であり、海軍にかまけていたイギリス陸軍では歯が立ちません。このままでは滅亡まったなしと判断したイギリスはウェールズ・アイルランドをフランスに、スコットランドをスカンディナヴィアに割譲して講和し、世界の表舞台から姿を消しました。
イタリア侵攻
スカンディナヴィアに領土を奪われたドイツは、拡張先としてソ連からのヘイトを集めていたイタリアに目を付けます。対イタリア宣戦を快諾したソ連とともに、イタリアへの侵攻を開始します。更に、かつてイタリアに奪われた領土を取り返すべくトルコも参戦し、3VS1の構図が出来上がってしまいました。イタリアは山脈だらけで防衛しやすいとはいえ、陸軍国家3国に同時に侵攻されて勝てるはずもなく、じわじわとドイツ軍により侵略され、成すすべなく講和となりました。既に1944年であり、終わりが近かったことからドイツの要求も容赦なくなっており、勝ち目無しと判断したイタリアも「スカンが勝つぐらいならドイツが勝ってくれ」という子分精神の下、オーストリア・バルカン半島のほとんどをドイツへ割譲します。トルコは旧領を回復したものの、他方のソ連は全く領土を獲得できず、焦りを見せ始めます。
独ソ戦(最後の足掻き)
最後にICを伸ばすべく、ソ連は工業国家であるドイツに目を付け、最後の足掻きとして対独戦争を始めました。ポーランドで独ソ戦が展開され、空挺まで駆使して必死に進軍しようとするソビエト連邦軍ですが、腐っても最大の陸軍国家であるドイツの防衛線は強固であり、結局1プロビも侵攻出来ないまま1945年を迎え、ゲームは終了しました。
結果発表
大英帝国(イングランドのみ):310
イタリア:466
ソビエト連邦:587
トルコ:650
フランス:676
スカンディナヴィア:797
結果:スカンディナヴィアの勝利
ドイツの工業地帯を分捕ったスカンディナヴィアが圧勝を収め、次点にはイギリスの領土を手に入れたフランスが収まりました。トルコは本土の工業地帯が一度も被害に出ず、大幅に工業力を失うことが無かったためにスタンダードな工業力となりました。ソビエト連邦は領土の割にICが少なくなっていますが、これは一度国土の殆どを失陥したせいなのか、指導者の失策故か……。イタリアとイギリスは留めを刺されたため、下位のICとなっています。
感想
今回は謀略が比較的少なく、陣営戦のような形になることが多かったかなと思います。プレイヤーの間でもこの感想は共通しており、今度は陣営戦でもやろうかという話が持ち上がったぐらいです。そちらもプレイレポートにしたいとは思っていますので、上がるのをお待ち下さい。
それと、今回大幅に書き方を変えていますが、執筆者は(今のところ)変わっていません。基本的に気分で執筆しているので、あまりその辺は気にしないで頂けると幸いです。
それでは、ここまで読んで頂きありがとうございました。