合評会議事録(二〇二二年十二月十七日)
この回は6人が参加し、3時間にわたって8作品を読み議論をした。ここではそのひとつ、栫伸太郎さんの『かんせい/ふゆのおわりに』に関する議論を記録する。
『かんせい/ふゆのおわりに』は全文が平仮名で書かれていた。私(白木)は作者の朗読を聞いて童謡に似た柔らかさを感じ、また、地面に寝転がって灰色の空を見上げているイメージを持った。これは紙面上にあるのが平仮名のみだったが故に、普段漢字が入り混じる紙面と比べて余白の白が目立った影響ではないかと考えた。そして、ときどき使われている()の役割が解りそうで解らない不思議があった。
以下は他参加者の言葉である。
• 朗読が上手い、平仮名であるのも相まって、作者の読み方で解釈が変わった。
• わかるようでわからない。
• 結局どういうこと?
• 「得ることは失うことの一部」
• 主題は食べることと凍ること?
• 一ページ目は遠くにある感じがするが、二ページ目で一気に寄り添ってくれた。
• 同じ言葉を使わず同じイメージ(丸など)を持つものを書くのが上手い。
• 良い意味で、どこで切っていいのかわからない。
• 太宰治の『パンドラの箱』を思い出す。
• 何かについて語っているのではなく、これ自体が音楽的。
といったものが出た。これらに対する作者の解題が以下の通りである。
• 意図せず口からこぼれる感じ。
• 短く切る作風は作者が元から持つもの。
• ()は飛ばしても飛ばさなくてもいい。朗読の際、()をつけることでレベルを下げる役割をさせていた。
• 途中の主題は「食べ過ぎ」「飽食」。自身の日常の経験から。
• 盲目の子供が読んでいるイメージ。喜びの一方で何かに不自由さを感じている。
• 九州出身でも北国の透明さを出せたことが分かったので嬉しかった。
• タイトルのつけ方はいつになってもわからない。
• 最初の()は、最後まで読んで戻ってくると腑に落ちる構図になっている。
全体に冬の張りつめた冷たさが漂いつつも、「~するの」「でしょ」「~ちゃった」などの可愛らしい語り口で、暗さはさほど感じられない詩だった。声に出して読みたいと思わせてくる、そんな調子が流れていた。
何度か参加して、同じ人に再会するとその人の作風が分かってくるのだと最近知った。以前見た作風に沿うものだと「彼/彼女の詩だ」と思うし、全く別の作り方であっても「挑戦したのだ」と応援したくなり、同時に自分も鼓舞される。皆が成長しているのに、己だけ留まってはいられないと身が引き締まる。だから半端なものは見せられないし、より良くしようと推敲を重ねることになる。しかしその時間は楽しいものだ。2022年最後の合評会は、また新しい風を私にもたらしてくれた。来年も引き続き成長していきたい。
(文章:白木虎)