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【利賀ツアー感想レポート③】『世界の果てで、集まって』

『世界の果てで、集まって
小島淳之介

 霧の中の夜道を進んでいくと、木立の隙間から灯りが見えた。

 灯りの方に目をやると、目の前にはもう池があって、すぐ落ちやしないかとそっと身を引く。池の向こうに、屋外の円形劇場が見える。そこから、灯りが漏れていた。利賀村ツアーで一緒に来ていた私たちは、数人で連れ立って野外劇場に向かっているところだった。
 一緒にいた皆んなが、スマホのカメラを向けるが、霧にボヤけたり、光のせいで露出が変になったり、上手く撮れない。ここまでの道行きに、光はほとんどなかった。霧の奥の、その奥に、ぽっと突然現れる池と劇場は、肉眼でしか見ることのできない景色だった。

池の向こうから見えた野外劇場の写真

 私は、上演が始まる前から既に、幻想的体験を感じていた。そこから、劇団員の方々に誘導されて、席について始まった『世界の果てからこんにちはⅠ』(以下、『世界の果て』と略す)の上演は、それ以前の体験と相まって、それはそれは滅多に体験できない観劇体験だった。本当に、この場所でしか、観られない体験だと思った。
 大きな籠を身に纏った白塗りの人々、規則的な動きで池の向こうからやってくる集団行動の車椅子、「からたちの花〜」と歌う歌謡曲、めくるめく・・・。
 突然に、花火が打ち上がる。耳をつんざくような爆音。近すぎて、熱い。こんな花火の演出は、劇場の中ではとてもできない。屋外でやるとしても、日本のどこで出来るだろう。世界でも、こんなも演目は、この山奥に来なければ見られないんじゃないか。そう考える暇もなく、次から次へと打ち上がり、思考を衝撃が追い抜く。凄かった。

 けれど、私にはこの上演を、手放しでは喜べない。
 以前見た上演以上に、利賀村で観る鈴木忠志演出の上演は、役者の身体の使い方、所作の揃い方や重心に、衝撃を受けた。けれど、その部分や、行われている行為には、その積み重ねを思って、感動こそすれ、けれど心の底からは「素晴らしい」と言い切れない。胸のどこかに、モヤモヤとしたものが残る。

 その思いがなお一層強まったのは『世界の果て』を見た翌日、『鈴木忠志トーク』(以下、『トーク』)を聴いた時だった。目の前で繰り広げられる、客席の観客と、舞台上の鈴木忠志の応答。聴きながら、ずっとモヤモヤとしていた。
 『トーク』が終わり、新利賀山房を出て、すぐに一緒にツアーに参加し、聴いていた友人に尋ねる。
「どうだった?」
どう?と質問に質問で返され、口ごもりながら、互いに声をそろえて言う。
「嫌だったね」
そう。聴いていて嫌な気持ちがしたのだ。それは、前日の上演を見た時からずっと、モヤモヤとしてきた気持ちだ。
 『世界の果て』を見たあと、来年の新作ですと短いパフォーマンスがあった。それは女性の役者たちが、脚を出して、踊るパフォーマンスだった。
 『トーク』は、観客からの質問に鈴木が答える形で行われていた。しかし、観客からの「○○の上演がしたい」という願望に、鈴木は「お金がなくちゃ、できない。お金持ちの男(あるいは女)と結婚しろ」と応える。どういう意図の演出だったのか?という質問に、「どう見られてもいい」とまともに答えず、いかに自分が政治家や過去の言論人と付き合い、金を手に入れて上演してきたのかと騙る。いや質問に答えないなら、『トーク』の時間など設けるなよ…。
 質問をした観客それぞれの考えを、ないがしろにしているように感じた。まして、「結婚しろ」という解決策の提案なんて、その人のプライベートに関わることで、パッと見て決めつけた性別で、異性と結婚しろというメッセージは横暴に思われた。
 何より、辛かったのは、そのやりとりを観客が笑っていたことだ。鈴木忠志自身、コミカルにその問答を行なっているが、ほとんど質問に対して「回答」を応えてはいない。そのやりとりが笑われる様は、観客個々人の「考え」、それが顕れた「問い」が馬鹿にされているように感じられた。

『世界の果てからこんにちは』客席の様子

「日本が、お亡くなりに」
と、役者は言った。『世界の果て』の中の、ひと台詞だ。
 鈴木忠志は、『世界の果て』に関して、『演出ノート 日本という幻想』(https://www.scot-suzukicompany.com/works/09/)で、こう書き残している。

「今回の舞台、『世界の果てからこんにちは』は利賀フェスティバル開催10周年を記念して、これまでの私の作品の中から、日本について考えさせる場面を抜き取り、花火を使ったショウとして構成したものである。(中略)宗教人の世俗性や日本主義者の民族的妄想、あるいは食べ物をめぐっての些細ではあるが熱狂的な諍いや、歌謡曲に表出される自己満足的でセンチメンタルな抒情など、日本人が陥るバランスを欠いた心性の幾つかを批評的に造形してみた。(中略)
結論的に言えば、現在の我々には日本という言葉から感じる共有のアイデンティティーはないのだということになるが、それは第二次世界大戦を挟んだ日本という国の在り方、その断絶と継続の局面をどう把握するかという努力を意識的にあいまいにしてきた国家的怠慢に起因しているという私の考えによっている。」

 私が上演を見て気になったのは、「日本人が陥るバランスを欠いた心性の幾つかを批評的に造形してみた」という部分である。
 『世界の果て』の上演は、確かに上演空間と相まって、得難いもので、衝撃的である。だがしかし、「批評的」だろうか。

 劇中前半、「親分」役の老人は、「日本民族の起源は30万年くらい前」で「中核は神々」であり「他の星から」来たと述べ、日本を「美しい」と賞賛する(『トーク』での発言及び『新ロックシアター登場』[https://www.scot-suzukicompany.com/blog/suzuki/2019-05/249/]記事によれば、数学者・岡潔の文章を引用らしい)これは、台詞として、劇中のあくまで個人の考えとして述べさせ、「民族的妄想」という「特殊性」を炙り出そうとしてるようにも解釈できる。
 歌曲「海ゆかば」の使用、「爆撃」や「特攻」を連想させる花火の使用、せいぜい百年足らずの歴史しか持たないのに「日本人の心」などともてはやされた「演歌」や「歌謡曲」の使用、・・・それらは確かに20世紀日本の、戦前から戦後に連なる連続性を表現するものと言えるかもしれない。
 だが、戯曲台本上、また鈴木忠志の初演創作時の意図として、「日本人が陥るバランスを欠いた心性の幾つか」を表現することを狙っていることが読み取れそうだとして、私には今日の上演を見て、それが「批評的に造形」されているとは思えなかった。
 上演後、地元の人たちとの飲み会で、「夜の訪問者」を歌って、みんなで盛り上がる場面があった。それが悪いわけではないが、その時、私は『世界の果て』は派手な花火と懐かしい音楽が流れるエンタメとして、ちょっと変な動きや格好の人が行うパフォーマンス・ショーとして、楽しまれて消費されているのだと感じた。

 上演後の鈴木のトークも、そうだ。「また来年来てください」と言い、おどけたマイクパフォーマンスで観客を沸かせ、楽しませる。先ほど述べた、女性陣のパフォーマンスも、「K-pop」に負けてないんだということを示すために組み入れた演出だと(少なくとも口頭では)言う。


 日本人は、鈴木の言うところの「バランスを欠いた心性」によって、戦争にのぞんだ。その「バランスを欠いた心性」を浮かびあがらせるには、『世界の果て』は率直に言って、楽しすぎるのだ。そして、鈴木の態度も楽しませようとしているように私には見受けられたのだ。
 『世界の果て』が、ただただエンタメとして楽しまれてしまっている。そこに、私は今日の危うさを見る。もう既にこの上演が、「批評的」には、あまり成立していない。観客にそういった日本の、日本人の「特殊」な思考を、上演後考えさせることにはなっていないんじゃないか。私には、その消費のされ方と、鈴木の態度に、この上演が村おこしの楽しい花火にしかなっていないんじゃないかと、思われた。

 『世界の果て』の演出は、毎年少しずつ変わっているのだと聞いた。仮説だが、そのようなエンタメとしか消費されない上演は、長年にわたって、積み重ねられてきた末の変化なのかもしれない。初演ではもっと、楽しさだけではないものが上演としてもっと見られたのかもしれない。
 『トーク』での鈴木忠志の「どう見られてもいい」という態度は、諦念にも感じられた。人口が減少し、日本は滅びる。自分の創作したものも、いつまで続くかわからない。そういった諦めと、過去を回顧するセンチメンタリズムが、国家主義的な思想を取り扱う『世界の果て』の上演を楽しく、美化して描かせることにつながっているのではないだろうか。

宿泊させていただいたお宅

「日本が、お亡くなりに」
と、役者は言った。
 日本は、お亡くなりになったのだろうか。『世界の果て』の、この台詞もあってか、私が、この夏、利賀村を訪れてずっと考え続けていたことは、「日本」のことだった。自分の生まれ育った土地を愛せるのだろうか、ということだった。
 『世界の果て』の上演だけではない。利賀村という地域は、都会からすれば、遠く離れた非日常的な空間であった。
 泊まらせていただいたお宅には、居間に戦争に従軍した軍人に国が叙勲した証書が飾られてあった。村の道沿いには、第二次大戦の『忠魂碑』2〜3見かけた。上演だけじゃない。東京にいるよりも、「戦争」があったという証が如実に生活空間に遺っているように、私には感じられた。

 ツアーの中で訪れた場所の一つは、瞑想の館という場所だった。以前、利賀村を来訪したチベット仏教の絵師が描いた曼荼羅や、仏像が展示してあった。その展示の解説には、1991年に開館した瞑想の館に「2年間で、33000人」が来場と書いてあった。とてもじゃないが、その日の賑わいでは訪れているのは私たちだけで、それほど来場者がいるようには思えない。
 なぜだろうと気になって、解説を手掛かりに調べてみた。どうもその時期、『チベット死者の書』がブームだったことで、開館時、それだけの来場者数が訪れたという。調べてみると、『チベット死者の書』のブームは、中沢新一が関わったドキュメンタリーの影響があるらしいとわかった。
 80年代後半から、新宗教やオカルト的なブームがあったということを私は知っていた。そういった宗教への関心が来場者を呼び起こしたのだと合点がいった。
 だがしかし、そのようなブームはオウム真理教の事件によって、終わりを迎えたという過去がある。最近では、統一教会の問題も話題になった。勿論、この施設はそれらの加害に関与していないだろう。しかし、この施設の成り立ちには、そういった犠牲を伴う宗教事件に繋がる、多くの人々が宗教的関心を持っていったブームの影響の余波があるのではないか。そのことに、この施設は無頓着な気がした。
 去り際、瞑想の館のチラシコーナーに、反ワクチンのチラシ束が置かれているのを見つけた。眩暈がした。

利賀村から見た風景

 私たちは何かを信じたいのだと思う。
 利賀村で、「日本」がかつて経てきた、戦争や宗教的なものの残滓を見て私は思った。私たちは、みんなで動くときに、なぜ狂信的なものをよすがにしないと集まれないのか。信じることを否定したいわけではない。盲目的に信じることを、もう少し離れて考えられないのか。

 今回参加した利賀村ツアーには、「演劇」に加えて「地域振興」というテーマが与えられていた。
 今年の春過ぎ、全国1729自治体のうち、744自治体が2050年までに若年人口が大きく減少する「消滅可能性自治体」であるというニュースが流れた。利賀村でもそんな話が話題に挙がった。利賀村ツアーの同行者で、地域振興に関わる方が言う。「どうしたら人が呼べるのか?」と。
 確かに「日本」という国家にとって、「一極集中」や「地方創生」は課題かもしれない。だが、そんなものに頼らないといけない村おこしなら、やめた方がいい。過去を顧みない集客や熱狂に、私は懸念を覚える。いくら縁があっても、そんな土地を、私は愛することができない。

 とても悩まされた。悩む中で、私は「土地を愛する」とか「何かを信じる」とかの思想的な問題ではなく、人がいない地域に「人が集まる」という実際に起こっている問題を考えるべきなのではないか、と思った。
 それぞれの人の「愛すること」や「信じること」は異なる。国家とか宗教とかではなく、個々人がバラバラであるその前提で、みんなで一緒に盛り上がることはできないのだろうか。それぞれの人の考えを尊重しながら、「集まること」ができないだろうか。
 考えてみれば、演劇も「集まり」が前提となった文化芸術だ。役者に加えて、スタッフ、そして何より観客がいなければ成立しない。集まる人の多寡にかかわらず、「集まること」と切っては離せない。そう考えれば、「演劇」と「地域振興」は共通性を持った、今日の「集まること」の問題を抱えている。


利賀村ツアーメンバーの様子

 利賀村で、私は鈴木忠志の上演や、その地域の諸々から「日本」について考えていた。だが、利賀村ツアーという形で、訪れたことで良かったことが一つある。
色々な人と一緒に見て、話すことができたことだ。
 先ほどから、私の文章のエピソードには、節々にツアーの参加者の皆のことが出てくる。鈴木忠志の『トーク』を聞いた後、モヤモヤを話せる同行者がいなければ、私はより一層落ち込んでいただろう。「地域振興」というテーマを抱えるメンバーがいなければ、私の考えもここまで進まなかっただろう。
 今回のツアーで、利賀村でしかできない得難い経験がたくさんあった。しかし、最も得難い経験は、一緒に訪れたメンバーと意見を交わした時間だったように思う。今回、ツアーの主宰者が呼びかけてくれたおかげで成立した話し合いの時間があった。
 そこでモヤモヤした思いや、思いもしなかった上演の感想、全く私と違う問題意識を抱えている人の意見を聞き、私もそこで発言することができた。そのような場があったということに、私はバラバラの前提を持った人たちが「集まる」可能性を見出したい。

 もう一つ。鈴木忠志の『トーク』では、モヤモヤとしたものを持ち帰ったが、その日の最後、SCOT SUMMER SEASON 2024の最後の演目は『4人の演出家によるトーク』だった。そこでは、今年の夏、利賀村で上演を演出した演出家4人による意見交流が行われていた。
 そのイベントの最後に、質問の時間があった。観客が問いかけ、一人一人の演出家が応える。少し考えて、押し黙ってから答える方もいた。そこに、笑いはほとんどなかった。けれど、ちゃかさずに、観客の考え・質問一つ一つに、演出家が応じていた。誰か一人の押し付ける答えじゃなく、複数の考えが並列する場、そんな場こそ、私は今「集まること」ができる場なんじゃないか、意味がある場なんじゃないかと思う。

 霧の中を進む。そんな時に、誰かと一緒に灯りを探すのは、きっと楽しい。

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