ほろ苦い気持ちを、抹茶パフェと一緒に噛みしめて
こんにちは、いわせめぐ(み)です。
法事のため土曜日から京都に来ています。
月曜日の今日は9時頃に京都を離れて、14時現在、新大阪で新幹線を待ちながらiPhoneでポチポチとnoteを書いています。
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毎回、京都に来るたびに心がずしんと重くなる。
今回のメインイベントが法事だからじゃなく、京都の荘厳な歴史がそうさせているわけでもなくて。すごくすごく個人的な理由で少しだけ京都が苦手。
というのも、私が京都を訪れる大半の理由が、母への顔見せのためだから。
私の両親は離婚していて、母は現在、京都で一人暮らしをしている。
なので、2〜3年に1回のペースで会いに行っているんだけど、これがなんとも気が重くて。
別に、母とは不仲なわけじゃない。けど、離婚後に離れて暮らすようになって以降、何かにつけて「ごめんね」と謝られるようになってしまって。これがけっこうしんどいんだよな……。
たとえば、私が独身でいることに対して「お母さんたちが離婚したせいかな……ごめんね」なんて謝られたり。
父がいる千葉に帰省した話をすると「お母さんの分までお父さんのこと気にしてくれてありがとう、ごめんね」と返されたり。
(私にとっての実家は父が暮らす千葉の家だから、シンプルに帰省したくてしているだけなんだけど)
楽しく近況報告や雑談をしているつもりでも、最後には「ごめんね」になってしまうから、なんだかこちらも「謝らせちゃってなんかごめんね」って暗い気持ちになっちゃうんだよな……。
「お母さんのせいじゃないよ」「気にしないで」なんて訂正するとかえってやり取りが長引くので、近年は「謝ることで母の気が済むなら言わせておこう」なんて聞き流すようにしているんだけど……ただ、聞き流しながらも、心がすり減るような感覚はどうしても消えない。
致命傷にはならないけどちゃんと痛いし、なんとなく不快感が残るし、確実に皮膚の表面が一層分擦り減っちゃった、みたいな。
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そんなわけで、京都に向かう道中は毎回ちょっとだけ重苦しい気持ちで過ごすんですが、今回はワクワクする気持ちもあって。
理由は単純で、今回は京都に着いたらすぐに在来線に乗り換えず、抹茶パフェを食べようと決めていたから。
ただ「京都駅に着いたら抹茶パフェを食べるぞ!」と決めただけなのに、それだけでこんなにも前向きになれるなんて!
ご褒美効果、侮れない……!もっと早く試せばよかった……!
窓の外には青空と、京都タワー。
目の前には上品にデコレーションされた抹茶パフェと煎茶、それから温かいほうじ茶。
(サービスでほうじ茶がついてくるのを知らず、飲み物が2つになってしまったのはご愛嬌ってことで)
甘いけどほんのり苦くもある抹茶パフェを口に運びながら、この後に待ち受けているであろう、母の「ごめんね」の言葉を想う。
抹茶の苦味だって、この抹茶パフェみたいにソフトクリームやわらび餅と合わされば、ただ苦いだけじゃなくて、甘みに上品さをプラスしてくれる。
私が母からの「ごめんね」に対して抱く苦々しい気持ちも、いつか何らかの形で、人生において良い感じの味つけになってくれるかもしれない。
深みとか重みとか、そういうプラスのものとして昇華できたら嬉しい。
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時刻は14時50分。あと30分ほどで新幹線の乗車時間です。
右手には551の肉まん、左手にはりくろーおじさんのチーズケーキを携えて帰ります。
(行きの抹茶パフェでご褒美効果の味をしめてしまい、帰りも「頑張ったからいいよね!」と新大阪経由でお土産を調達して帰ることに。食事調整は明日から……!)
また京都に来るときはご褒美を用意して、苦い気持ちもいつか人生にプラスになると信じて、自分の背中をそっと押してあげようと思います。
それではまた、別の記事でお目にかかれますように。
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