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シン・エヴァンゲリオンを見ましたンゲリオン
シンエヴァンゲリオン見てきました。公開初日に見たあと心の整理に2日くらいかかったけど、じわじわと名作だった感覚が湧いてきています。
ここから先はネタバレがあります。
あと、間違っていたらこっそり教えてください。
シン・エヴァンゲリオン、大人のエヴァという感じです。オッサン(庵野)によるオッサン(視聴者)のためのオッサンのエヴァ。
子供は大人になり、大人は大人らしく生きます。作り手も見る側も登場人物もみんな大人になってしまった。
旧劇までのエヴァって多分、みんな子供だったんですよね。
みんなコミュニケーションに難があるし、人格が歪んでる。最後もよくわからない終わり方だし。
むしろ、物語の骨格としてよくある「主人公が成長する物語」みたいなのをほとんど無視して「子供が子供のままいて、大人も子供っぽい」みたいなものが斬新だったのかもしれないです。
新劇場もQまではよくわからなかった気がします。ヴィレは何がしたいのか分からないし、アスカもキレやすいままに見えたし。
ですが、シン・エヴァンゲリオンではアスカやヴィレや同級生たちが大人になっていたことが分かり、アヤナミ(仮称)とシンジ、ゲンドウが大人になりました。
その中でかなり重要な場所が第三村での生活だったのは言うまでもないと思います。エヴァといえば未来的な第三東京市だったのが、いきなりノスタルジックな農村が舞台になり、このギャップに痺れてしまいました。Qでずっと気になっていた異常事態下での一般人たちの生活がここで明かされるのもすごい。そして、どことなく被災地を思わせる農村での生活を通じ、パイロットたちが心を休め、成長していきました。
ここでエヴァパイロットたちに必要だったものが具体的に示されます。彼らが大人になるために必要だったものです。
アヤナミ(仮称):普通の生活や人々との触れ合いによって人間性や感情を持ち、笑えるようになりました。プラグスーツで田植えするの、この絵面をやりたかっただけだろとは思いましたが、ここまで説得力があって物語上必要なやり方で描くのは流石としかいいようがないですね。最後は消えてしまったわけですが、これまでの綾波が果たせなかったものを果たした気がします。
アスカ:クローンであったことが判明し母親の存在がなかったことになったわけですが、ケンスケの存在によって本当に救われていました。加持さんみたいな色男でもダメなんですよね。理解のある彼くんが必要。
シンジ:Qの最後で廃人同然になってしまったシンジでしたが、1人のまま時間をかけて心を癒すという解決策が示されたのが、本当に大人の対処法だなぁと思ってしまいました。周りの応援とか説得とか愛情とか根性とかではなく、時間。更に「死なない程度に見守って、声はかけ続けないとダメだよ」っていうのを付け足してくる余裕。段々腹が立ってきませんか?
更に、後の場面や前作との比較で、大人たちが大人であるために必要だったものも提示されています。
ミサト:まぁまずなんと言っても子供ができたことでしょう。シンエヴァで一番驚いたのがミサトが加持さんの子供を生んでいたってところでした。
これをネタバレされるのがシンエヴァの結末をバラされるよりも嫌だなぁって思いましたが、あまりこのネタバレしてる人いませんね。そもそもシンエヴァはネタが多すぎてバラすどころの騒ぎではないんですが、ネタバレされる側にとってはネタバレされたこと自体で映画を見るときの幸福度が下がってしまうので、ネタバレには本当に注意していきたいですね。
逸れた話をもとに戻すと、ミサトさんは子供ができたことで大人としての自覚が芽生えたように感じます。母としてではないにせよ、子供の生きる世界を残すこと、かつて軽率にシンジに想いを託した過去や多くのことに責任を持つこと。「大人のキスよ」とか言っていたのが微笑ましく思えるほど、大人になってしまいました。
またちょっと脱線させてほしいんですけど、「やっぱり昔ながらの反動推進ロケットよね」みたいなところ、王立宇宙軍から始まったガイナックスの系譜の総決算って感じがしてとてもエモでしたね。あとミサトさんとあんまり関係ないんですが、「敵の数計測できません」みたいなところも『トップをねらえ』を思い出しました。
リツコ:リツコさんは旧劇に比べるとかなり影が薄くなりましたが、やることはちゃんとやり、新たな槍を生み出すなど物語の鍵として重要な役割を果たしました。前作と変わった点は、短髪になりゲンドウの愛人じゃなくなったことでしょうか。やっぱりきちんとした大人なら仕事絡みで愛人とかやっちゃいけないでしょう。
加持:カヲル君の下で働いていたことが明らかになった加持さん。旧劇では三重スパイをやり、何がしたかったのか分からなかった彼ですが、シンエヴァで「地球の生命を守りたい」という目的があったことが発覚しました。そしてサード・インパクトを止めたのも彼でした。新たに一貫した目的を持った彼は旧作より大人だったと言えるでしょう。
彼が守ったヴンダーからタンポポの綿毛みたいな生物保管庫を射出するシーンがパンスペルミア説からの逆転という感じがして、非常に印象深かったです。
ゲンドウ:顔に穴が空いて人間ではなくなってしまったゲンドウ。ゼーレとは仲良くやり、ユイに会うために色々としましたが、最後覚醒したシンジに迫られ、戦うことになります。L.C.L.を経由して心象風景が流れ込んでくると言い訳をして好き勝手なことを始める訳ですが、明らかにただの親子喧嘩なんですよね。それでも喧嘩をすることでこれまで避け続けてきた息子と対峙し、シンジに妻を見出しました。子供にどう接したら良いか分からない親父に対してたまには親子喧嘩をすることを提示してくるの、清濁併せ呑んだめちゃくちゃ大人な発想ですよね。
親子喧嘩のシーン、正直かなりシュールでしたが、第三東京市での戦いのところの建物の動きのチャチさ等でだんだんと違和感を大きくしていって、最後空の色の壁にぶつかって特撮スタジオだったのが明かされるところは、笑いそうになりながらもめちゃくちゃ興奮してしまいました。
こうしてエヴァの登場人物は大人になった訳ですが、彼らが大人になるために必要だったことをまとめるとこうなります。
労働をしろ、挨拶をしろ、風呂に入れ、子供たちと触れあえ、理解のある彼くんを持て、死なない程度に孤独でいることも時には重要、子供を産め、色々責任を持て、愛人にはなるな、一貫した目的を持て、親子喧嘩もたまにはしろ。
最悪ですね。いや、でもこれが大人になるということなんでしょうが……。
大人になるとは何かという問いは置いておくとして、子どもたち(チルドレン)ではなく、少年少女を経て大人になっていく物語として、ここでやっと、エヴァは古典的でオーソドックスな成長物語としての完結を迎え、その成長物語は製作陣と視聴者にも重ねられます。これは青春を塗りつぶした強烈な作品性とシンエヴァに至るまでの長大な年月のお陰であることは間違いないでしょう。成長物語を自分と重ねられず置いていかれたような気持ちになった皆さんは、自分の人生と向き合いましょうね。はい……。
シン・エヴァンゲリオンの感想を見ていると、「優しい終わり方だった」みたいな意見をよく見かける気がします。確かに視聴者を突っぱねず、分かりやすくて平和な終わり方と大人らしいスマートな人間関係への向き合い方の提示は柔らかくて人当たりの良いメッセージだったでしょう。でも一方で、大人らしさの押し付けでもあります。昔のエヴァは子供に近い視点から「相手のことはわからないけど、他人と共に現実を生きなければならない」という諦めを説く話でしたが、新劇場版は「人との適度な距離を保ったり理解してくれる人を探して、現実を生きていこうね」と大人らしく諭してきます。どちらが優しいのかは、受け手次第でしょう。
シン・エヴァンゲリオンは大人のためのエヴァです。オッサンのためのエヴァとは言いましたが、子供っぽい、社会への適合を拒む異常者のものではありません。つらいね。たすけてください。
おそらく既に誰かが言っていて、今後別の人も言うとは思いますが、「高校時代のひねくれた親友と十数年ぶりに話をしたら、いつのまにか結婚していて、昔の思い出話と子供の話をされた感覚」というのが一番近いと思います。「落ち着いたようで良かった」という気持ちもあれば、「お前も結婚してしまったのか」という寂しさもあるでしょう。
ただ、皆、自分の青春を一緒に過ごしたあいつは今どうしているんだろうという悶々とした気持ちからは解放され、自分の人生に向き合う時期が来たことに気付くでしょう。
エヴァの呪縛から解かれた皆さんは、これからどうしますか?