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知らないバイオリン弾きのおじさんとセッションした話


公園や河川敷でギターの練習をしていると、知らない人に声かけられたり、かけたりすることがある。

相手も楽器演奏者であれば、そのままセッションをすることも珍しくない。

この話は、私のそのような体験の一つである。



私が20歳の時の6月だったと思う。
1番最初に買った、型番すら覚えていないYAMAHAの安いギターで練習していた頃だったと記憶している。

当時、土日に自宅の近所の広い公園で練習することが日課になっていた。
その日もいつも通り朝の10時に家を出て、コンビニでおにぎりと100円のお茶を購入し、クソ暑い中ギターを背負って公園に赴いた。

私が毎週のように通い詰めていたその公園は、海のすぐそばの山の斜面に造られており、植物園としての一側面も持ち合わせている。公園全体が斜面になっているため、どこからでも海が一望できた。

いつも練習しているベンチに腰掛け、譜面台とギターを展開する。
当時から電子楽譜派なので、譜面台に乗るのはタブレットだ。
6月なのにやけに暑かったと記憶している。お茶を飲み飲み、椎名林檎かあいみょんを練習していたと思う。

・・・

太陽も高く登り、お茶も尽きたためもうそろそろ帰ろうと後片付けをしていた時、遠くから弦楽器の音が聞こえることに気がついた。
バイオリンだ。練習しているのだろうか。

私はいそいそとギターと譜面台を畳んで、その音源を辿った。

果たして、演奏者は公園内にいた。50代前後と思われるおじさんだった。
木陰のベンチでとても熱心に練習していた。
私は1曲終わるのを待ち、拍手をした後声をかけた。

「どうも。練習中すみません。もしよければ一曲合わせませんか?」

自己紹介よりも先にセッションを求めたにもかかわらず、

「僕練習中だから「君を乗せて」くらいしか弾けないけどいいかな?」

と関西弁混じりのイントネーションで快諾してくれた。

ギターとバイオリンなので、おじさんがメロディー、私が伴奏だ。
「せ〜の」の合図でイントロの3連符から演奏が始まる。

・・・

私が言えたことではないし、練習中を自称するくらいだから当然だが、おじさんはあまり上手ではなかった。いや、正直に言うと下手だった。おぼつかない手つきで弓を押し引き、音律から外れた音を安定しない音量で出していた。

だけどおじさんはすごく楽しそうに演奏をする人だった。
私のこれまた下手くそな伴奏に合わせて上半身を揺らす。安定しない音程ながらも伴奏に音を重ね、時々こちらを見てはニコニコしていた。
楽譜を開いていないのは、見なくてもメロディーを覚えるくらい練習していたからだろう。

お互い途中何度かつまずき、その度にやり直しながらも完走した。

初めましての相手とセッションを行い、無事エンディングまで演奏できた際の達成感は言葉では言い表せない。「いいですね〜」などとその達成感を味わいつつ、互いに自己紹介をした。

おじさんは関西で仕事をしていたが、4月に自由な暮らしがしたくて(?)仕事をやめ、奥さんの故郷であるこちらに引っ越してきたと。
奥さんがバイオリンの先生だか演奏者だかをしており、影響を受けて最近バイオリンを始めた。
ここ(公園)には3日に1回くらいの頻度で来ている。と身の上を語ってくれた。

私も適当に自己紹介を行い、
「じゃあまたここにくれば会えますかね?」
と問うと、
「いや、近々また引っ越すんだ。」
と。
ここからそう遠くない街で田舎の地域起こしのような仕事をするのだという。
今ここに住んでいるのは、「次の仕事までの夏休み」らしい。


「またどこかで会ったら合わせようよ。それまでに練習しとくからさ。」
「もちろんです。またどこかで会いましょう。」

お決まりの叶わない約束をしながら、私は公園を後にした。
うだる程の暑さと、帰り道の坂の木漏れ日がやけに綺麗だったのを強く覚えている。



プレイヤーであれば、上記のような一期一会の出会いはそう珍しくないはずだ。
一度しか会っていない人のことを思い出し、元気にしているかな、うまくやってるかな、などと沈澱した青い記憶を辿るのもまた趣がある。

あれから4年経った今、ふと思い出したので名も知らぬおじさんに思いを馳せながらこれを打ち込んでいる。
あり得ないとわかっているが、その時のおじさんにこのNoteが届いていたら、コメントなり何なりで連絡してほしい。

あの時、海が見える街で、山の斜面の公園で、白シャツにジーンズ姿で、いきなり声をかけた20歳の小僧です。
元気にしていますか。私は元気です。

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