ダンジョン飯12巻よんだあ
あ〜っ!
物語が完結に向かっている〜っ!
いつか終わっちゃうのよね、悲しいけど…でも受け入れるしか無いのね…。
でもなんか、終わりに向けてこれまで登場したキャラクターが再登場して、それまでの敵対関係を一旦捨てて力を合わせる感じって、ダンジョン飯とは思えないほど王道の展開だな〜と思った。
でもまあ、結局マルシルの説得は、いつも通りの気の抜けた俗っぽいやりとりで、そこの関係性はどんな状況でも変わらないのが、なんか嬉しかったですね。
やっぱりダンジョン飯、終わらないで欲しいな…。物語の縦軸が無くても、毎回モンスターを食べるだけでも成立すると思うし、このゆるゆるとしたやり取りをずっと見たいよ、迷宮の主がどうとか、そういうのでギスギス(?)しないで、ドタバタしながらも最後はみんなでご飯を食べるお話をずっと見たいよ…。なんとかなりませんか?
あと、ダンジョン飯って、井上敏樹作品っぽい要素がたくさんあるな、というのが最近の気づきですね。
井上敏樹作品でも食事のシーンが多くて、それって、何かを成し遂げることに執着するよりも、一日一日を健やかに積み重ねていく方が大事っていうテーマなんですけど、これってそのままダンジョン飯でも語られていることですよね。
あとは、何かを成し遂げたいという欲望を持った人が、超大な力を得て破滅に向かう、みたいなモチーフも共通していて、そして、超大な力を得ようとしながらも、それに強く執着しない主人公の気の抜けた感じも、よく似ている点だと思った。ライオスって津上翔一ってこと?
いや、津上翔一と言うにはライオスは俗っぽ過ぎるというか、野望に無頓着というよりは、目の前の物事の方に夢中になりすぎるという、また別種の超越性を持っていて、だからこそライオスには危うさもある、という違いがあって、その違いも面白いところだな、と思いました。
ダンジョン飯と井上敏樹作品が似てるからどうこう言う訳ではないんですがね、やっぱり好きなものに共通する要素があると、なんか嬉しいですよね。
ダンジョン飯といえば、こんなん出ますね。
ボードゲームになるんですね!欲しい〜!
好きな漫画がテレビゲームになるよりも、ボードゲームになる方が嬉しい。テレビゲームとか実写化とかアニメ化って、それまで静止画だったものが、動いたり動かせたり、実在感が増したり、みたいな快楽でしかなくて、動いてるところを見たら割とあっさり満足してしまうところがある。
でもボードゲームって、空想の余地をたっぷり残したまま、その世界にプレイヤーとして干渉できる感覚が、ボードゲームでしか得られない喜びになっていると思うんですよね。
そういう意味で、世界観を丁寧に描いたダンジョン飯とボードゲームってかなり相性がいいと思う。絶対買うぞ!!!
でも遊ぶ相手が妻しかいないんですよ、それが嫌って訳じゃないけど、もっと大人数で遊びたい!
誰か〜!!!一緒に遊んでくれ〜!!!
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