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「人と比較しないこと」の本質。
他人と自分を比較すること。
これは無意識的にやってしまいがちなことである。
それは重大な錯覚をもたらす。
上手くいっている人、成功している人などの生き方が、時に「正解」に思えてくること、誰かが歩んでいる、輝かしい道が「正しい道」だという思い込んでしまうことである。
しかし、ここで一旦考えてみたい。
世界中の人々が、全く同じ価値観や信念を持って生きているだろうか。
もちろん、そんなことはありえない。
一人一人が異なる想いを持ち、異なる道を歩んでいるからこそ、この世界は多種多様なんだ。
「人生」を小説や物語にするとする。
だとするならば、主人公は「あなた」そして「私」である。
これは紛れもない事実である。
また、主人公だけではなく、作者の立場でもある。
誰かのストーリーに共感、賞賛、そして尊敬することは、確かにある。
ならば、他人の小説や物語を書くことはできるだろうか?
答えは当然「No」である。
ならば、他人のストーリーを真似ること、コピーすることはできるだろうか。
こちらも誰一人「不可能なこと」である。
出来たとしても、それは「フリ」をしているだけ。
だから、あなたのストーリーはあなたしか、描けない。
私のストーリーは私しか、描けない。
当然、他の誰かが描く権利は、全くない。
経験体験、知識、出会い、内面はまさに、その人だけの「唯一無二」のもの。
生きてきた軌跡や独自のストーリーは、誰にも真似できない「その人だけの」魅力。
だから、
「人と比較する」ことを「新たな発見」という見方に、変えてみるとどうだろう。
他人の生き方に触れたとき、「私は劣っている」と考えない。
「そうか!こんな生き方もあるのか!」と、新しい可能性の発見として捉えてみる。
そう捉えることで、「人生の選択肢を広げる」ことに繋がる。
大切なのは、
「私にはできない」ではなく、「私ならこうする」という価値観をもつこと。
他人の経験から学びつつ、広がった選択肢の中から最終的に選ぶのは、「あなた」そして「私」自身。
その中から「どのような選択をしたか」ということが「その人らしい道」を作っていく。
そのことを通じ、真の成長ができた時、はじめて「その人の幸せ」になるのではないだろうか。
誰かの価値観を、無条件や手放しに受け入れることが、自らの物語を書くことではない。
そして、「自分にとっての考え方や選択は何か?」を常に考えることは、決して大きな「目標」や「ものごと」である必要はない。
日々の小さな気づきや、出来事の捉え方、何に心の充実を感じたかを、大切にする。
その積み重ねが「その人ならではの物差し」となる。
人と比較しないということは、他人に無関心になることではない。
他人の存在を「発見し、認める」。
そして、
「自分の選択、自分が考えることは何か」に問いを立て続けること。
そのことを繰り返すことによって、「あなたしか」そして「私しか」見えない景色、歩めない道が明らかになってくる。
それは、いつか「生きていく強さ」になるんだ。
その道を歩み始めた途端に、迷いを感じることもあるだろう。
それは当たり前のことでもある。
なぜなら、前例のない「オリジナルの物語」を紡いでいるのだから。
その不安、戸惑いまでもが「自分らしく生きている」ことの証明書。
比較する対象は「昨日の自分」である。
どんなことでもいい。
1㎜だけ新しいことを吸収していたのならば、
何の疑う余地もなく「自分だけの道」歩んでいる、立派な証拠。
それは言い換えると「誰も味わうことのできない、喜び」に変わるんだ。