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生きるためのデスマッチ。
書くまでは、心からの「生きる」を見失っていた。
ただ淡々と流れる時間、
平坦な道のりが続く毎日。
「なんとなくの自分でいい」
そう思っていたのは、どれぐらいの頃からだろう。
ずっとどこか、自分に諦めていたんだ。
やっとこの年齢になって、その意味がわかるようになってきた。
書くようになって、自分という人間の輪郭が少しずつ見えてきたんだ。
「何のために、誰のために、何がしたいのか」
「世間さまが求めていることは、どんなことなのか」
そんな視点で毎日を過ごしていると、
見る景色がどんどん違ってくる。
今お世話になっている会社の仕事は、もちろん意味がある。
だけど、「自分の人生の目標ではない。」
組織という枠を外れた自分に、お役に立てる意味があるのではないか。
noteを毎日書くようになって、自問自答している。
それは相変わらず模索する日々だけど、
「何かを決める」
「何か目標に向かって進む」
人生において、この「何か」があるということだけでも、
本当の意味で「生きた」心地がする。
今日も
「やっぱりそんなことせんでええよ」という私と、
「いや、できることは絶対にあるんだ」という私のデスマッチが繰り広げられる。
今ではその葛藤すらも、生きることの喜び、書く喜びになっている。
「始めるのに遅すぎることなんて、ない。」
全てが進みだしたとき、
大声で過去の自分に叫び、伝えている。
そんな私を、深く深呼吸してイメージしてみた。
最後までご精読有難うございました。
今日も書けるという喜びに、感謝。