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目的、そして手段。
誰しも「より良い自分になりたい」という願いはある。
そして、その目的のために様々な手段を選択する。
昨日も書いたことであるが、私も様々な自己投資をしてきた。
そのことで、色んな学びを体得することはできた。
読書、心理学、マーケティング。
それらの知識自体をたくさん蓄積させることは、叶った。
しかしー。
手段として「頑張っていることが」目的化していた。
そして「不足感からくる不安」をずっと感じていた。
「ない」ばかりにフォーカスして、「ある」ことには一切目を向けない。
そして「ない」に執着し過ぎて、「もっと、もっと」となっていた。
「自分には持っているものないから」ということばかりに、重心をかけていた。
自分で自分に鞭を打ち続けた結果「手段ばかりを追いかけ続ける羽目」になったんだ。
この「目的と手段の取り違え」こそが、多くの人々を苦しめている原因のひとつなんだと、最近特に思う。
「より良い自分になりたい」という願いは、尊いもの。
ただそれは、必ずしも「現在の自分が不完全である」ということを意味しない。
人は往々にして、現在の自分を否定することで成長しようとすることがある。
でもそれは、山登りに例えると自分で鞭打ちを打ち続け頂上にたどり着くようなもの。
その代償として、道のりで深い傷を負うことになる。
真の成長とは、現在の自分を受け入れた上で、より高みを目指すこと。
高みを目指す上で、いきなり手の届かない所ばかりに意識を向けるのではなく、一歩ずつステップを踏むこと。
自己否定ではなく、まずは自分を受け入れた上で、成長を考える。
それこそが、目的に至る最も健全な手段なのだと考えている。
「自分はこのままでもいい、でもより良くなりたい」という矛盾した感情。
それをまるごと受け入れることから、真の成長は始まる。
目的と手段の関係性において最も大切なのは、その過程で自分自身を見失わないこと。
どれほど素晴らしい目的であっても、その手段によって自分を傷つけてしまっては本末転倒になってしまう。
まずは「自己を受け入れる」土壌があって、その上に健全な成長という花を咲かせること。
それがここ数年かけて、ようやく私なりに見出すことのできた「目指す理想の姿」なのかなと考える次第である。
最後までご精読有難うございました。
今日も書けるという喜びに、感謝。