見出し画像

かけっこ

私は幼少の頃、身体が弱かった。
と思われる。

夜中に腕の関節を外しては、
泣きながら外科に連れていってもらっていた。

記憶はおぼろげながら、
その時のなんとも悲しい気持ち、泣いていたことは鮮明に覚えている。


そんな私を見た両親は、
「あんたは体が弱いから」ということで、
積極的に身体を使った運動をさせようというのは、控えていた。

書道やピアノなど、感性を豊かにする習い事は、いろいろさせてもらった。
これは、大人になった今でも本当に感謝している。

それらのことはまた別の機会に書くとして、
とにかく、ことスポーツに関しては苦手意識が半端なかったのである。


小学校の体育の授業は、憂鬱の一言だった。


特に球技なんてものは、
ボールが飛んでくること自体が恐怖。

少しでも触れないようにしようと、常に逃げまどった。

バスケ、サッカー、ソフトボール。
ボールを持たせたら、何をやっても全く力感がない。


そもそも「やる気」というより、「やりたくない」が頭をもたげていた。


しかし、”小学生ならでは”の競技、
ドッヂボールだけは、ゲームの最後まで生き残ることが多かった。


なぜなら、


ひたすらに、逃げていたから(笑)


先に狙われるのは、チームの猛者である。
大抵、パワーのある子どうしがつぶし合う。

後方でウロチョロしていた私は、
そもそも標的にならなかったのである。


そんな中、少しずつ気がついたことがあった。

「意外と、脚は速いんじゃないか。」

その予感は的中していた。


”苦痛の極み”の体育の授業ではあったが、
徒競走(その呼び名が今の時代で適切かは置いておいて)
では学年が上がるごとに、速くなっていった。


球技や器械体操が得意な子よりも、良いタイムで走れる。

「自分でも、勝負できるジャンルがあるぞ」

このことは私にとって、大いなる自信へと変わっていった。


ついに、小学6年生になった時、
市で行われる、競技大会のリレー選手の一員として、
選ばれたのである。


冒頭に、幼少時に体が弱かったと書いた。

それは、両親なりに気遣ってくれた面もあったのだが、
当時の出来事と印象のままを、
潜在的に刷り込まれていたのかもしれない。

もしそうだとしたら
本当は「強い身体を持っていたかもしれないのに」と
思わなくは、ない。


そこは、「何かを得れば、何かを失う」である。

”強い身体がある前提”で育っていれば、
全然違う大人になっていたかもしれない。


人生とは面白いものである。

自信がなかったからこそ、大ケガするような無茶はしなかったし、
それ以外の能力を伸ばすことが出来た。

何よりも、誰も気づかなかった「速く走れること」がわかって、
ネガティブことから、自信を生み出すことが出来た。


何事も、一つのことに着眼し過ぎないことである。


私が子どもを持つ時、そして今この時も、
このことを決して忘れまい、そして一番自分に言い聞かせよう。

そう回想した次第である。


ご一読ありがとうございました。
今日も書けるという喜びに、感謝。

いいなと思ったら応援しよう!