人をたてる、ということ
「人をたてる」
ここでは、「自分が一歩引いて相手を尊重すること」を意味して書く。
最初にお断りするが、自分を立ててほしいということではない。
人というのは、ロボットではないので
全部が全部、正確無比に行動できるわけではない。
時には判断ミスや、誤りや過ちだって犯す。
もう一つお断りするが、これらのエラーを肯定するという話題ではない。
自分がそんな状態になった時の免罪符にする訳でも、決してない。
その上でのお話。
自分自身と相手との関係の中で、
失敗や、落ち度があった時、
自分が被った事柄のみに意識が向きがちである。
特に、余裕のない時、折半つまっている時など。
こんな時。
相手側にもなんらかの事情があった上で、「失敗」や「落ち度」という
結果に繋がってしまったわけである。
事の次第では、
そりゃあ腹も立つこともあるだろうし、
「どないしてくれんねん」ということにもなりえる可能性だってある。
しかしここで、仮に相手に100落ち度があったとしても、
徹底的に追い詰めて、得られることってなんだろうか。
相手にも弁解や説明したいことだってあるのだと思う。
こちらに対して言いにくかった、ということだってあり得る。
そんな時、目の前に現れたこれらの「罪悪感」よりも
「起こっている出来事」への対処が先だし、
一緒に考えて早めに対処すれば、状況が好転するかもしれない。
その人との関係をどうするか、は後に考える話。
まずは目の前の状況に置かれた人の立場を見てみる。
内容によっては、瞬間的に感情がこみ上げてくることもあるだろうが、
自分がどんな状況でも、その「余白」を作れるようにしたいものである。
(もちろん、そういったことが常態化されると困るけど…。)
「人を立てる」
全てにおいて、ではないけど、
この部分を上手く磨くことは、自分自身の成長にもつながる。
そう考えている次第である。
ご一読ありがとうございました。
(おまけ)
今回のテーマにしっくりくる画像がなかったので、
またまたモミさんのGPTsを使いました。
2ターン目で、ドンピシャのイラストを提示してくれたので、
やりとりのスクショを共有します。
(これはシンプルに嬉しかった!!)
今日も書けるという喜びに、感謝。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?