
ストーカー。
「ちょっと、そろそろいい加減にしていただけます?」
私は目の前にいる男に向かって、そう呟いた。自分より数センチ低い身長の、男と言うよりかは青年と表現した方がいいような体裁の人。キョトンとした表情を見せているが、私は騙されない。
この人はずっと、私にストーカーをしてきているのだ。いや、ストーカーと言うと些か語弊が生じるかもしれない。
彼は私から隠れる事さえせず、堂々と私に付いて来ているのだ。数か月前、この男と出会った時のことを思い出してみる。
***
「ただいま~、にゃーちゃん」
仕事で疲弊しきった私は家に帰ると、真っ先に同居人……いや、同居猫の『にゃーちゃん』に声をかけた。
いつもより疲弊していて、口が少しでも滑ったら『会社潰れろ』などと口走ってしまいそうな勢いだった私は、にーちゃんに癒されたがっていた。
いつもだったら「にゃー」と返事が返ってくるのだが、何故だか今日は帰ってこなかった。
「にゃーちゃん?」
不安になった私は、和室の扉を開けた。普段だったらここに、にゃーちゃんがいるはず……
「にゃ?」 「良かった、ちゃんといた……」
和室には、魚の缶詰を頬張っているにゃーちゃんがいた。良かった、何も無くて……
私はふと視線を感じて、和室の壁に目を向けた。
「……あ。」 「え?」
私はそのまま、絶句する。和室の壁には、何と人が居たのである。親が全員他界済み私の同居人はにゃーちゃん一人だけのはずなのに、だ。
「だだだ、誰ですかアナタ!」 「……ふっ、まさかこの場所がバレてしまうとは。貴方は相当な観察眼をお持ちの様ですね」 「逆にバレないとでも思ってたんですか!?」
壁に張り付いていた青年は、びっくりした表情で「心外だな」と言った。
「私はバレないと信じていましたよ、ミウさん。それでは、左様なら!」 「えっあっちょっと、待てコノヤロー!」
さっさとずらかろうとした彼に私は手を伸ばすが、存外彼は機敏だった。私が立ち上がった時にはもう、玄関から外に出ている。
「ウッソだろオイ……」
その後私は、警察に連絡しようかしばし迷った後でやめた。金品を盗まれていないかよく確認し、全て無事だと分かったからである。実質被害は出ていないし、それに……
多分、もう二度と会う事は無いだろうし。
あの時の私は、そう思っていたのである。
***
その結果、今に至る。その後も彼はうざいほどに私のストーカーを続け、私の近くに居続けた。盗みなどは働煮ていないようだからまだ……
……いや、それでも邪魔。しかも周りの人達は、なんでか彼に注意を施さない。まるで見ていないとでも言うように。
「そろそろいい加減にしていただけます?」 「えーっ、嫌ですー」
彼は悪びれる様子もなく言った。
「だって折角あなたの部屋の合鍵手に入ったんですし……これ、使わない手はないでしょう?」 「普通は使わないんですよ、他人の合鍵なんて」
私はこりゃだめだと察し、語気を荒げた。
「大体アナタ、どうやってソレ手に入れたんですか! 独り身の私は合鍵なんて持ってないですし、両親の分は親が死んだ時に一緒に燃やしました。だからあなたが持ってる筈が……」
その時、私の頭の中でカチッと音が鳴った。
違和感、とでも言おうか。必然的に私の合鍵は『存在しない』はず。なのに彼は、存在しないはずの合鍵を持っていた。
「どうしたんですか?」
持っていない筈のものを、持っている。それはつまり……
「父……さん?」
私は思わず呟いた。いや、あり得ない。お父さんはずっと前に死んでる。だから、あり得ない。だから……
……そう言えばお父さん、猫が好きだっけ。野良猫にさえ魚の缶詰をあげて、しかも大体懐かれてた。この青年も、野良猫気質のみゃーちゃんに好かれてた。
私は何を期待してか、顔を上げた。でもそこには、困惑を露わにした青年の顔があるだけだった。
「……父さん? 一体それは、誰の事です?」 「ごめんなさい!」
半ばその返事を予想していた私は酷く赤面して、家に向かって駆けだした。そうだよ、あり得ないよ。死んだお父さんが天国から会いに来てくれたなんて、馬鹿げてるもん。
私は自分の部屋へ行って、バタンと扉を閉めた。チェーンまでしっかりとかけて、扉にもたれかかって静かに泣いた。
「……そう……だよね。お父さんが会いに来てくれたなんて、そんな……」
その日以降、青年が私の目の前に現れることは無くなった。元々早く消え失せて欲しかった青年が目の前からいなくなって、嬉しいはずだ。
……はずだけれど。
私は彼に、『ありがとう』と言いそびれてしまったなと思っていた。少しだけ、自分と両親の繋がりを教えてくれた青年に、私は感謝の気持ちを伝えたかったのである。
「ありがとう、父さん」
私は涙をぬぐい、空を見上げて静かにそう呟いた。