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介護記録⑮ 母の異変その2

 父の相続関係の手続きがほぼ落ち着き、さあこれからはまた仕事をもっと張らなくては、時間に追われギリギリでこなしていた分を取り戻さなくてはと思っていた。しかし思ったように事は進んでくれないもので、母の嚥下機能が低下の一途をたどってしまっていた。
 2023年9月中旬、宅配の夕食を【柔らか食】から【ムース食】に変更してもらった。数ヶ月前から食事の飲み込みが更に悪くなり、のどつかえやむせ込みが激しくなっていた。通所先やショートステイ先でも、なかなか食べ終われない、全量摂取出来ないとの報告書をよく見るようになった。食事の度に職員さんたちが手を焼いているとも聞かされていた。当然自宅でも1回の食事に2時間以上かかるようになっていた。細かく刻んでも気管に入りそうになってむせ込み、ムース状でも丸飲みするので更にお湯でのばしたり、誤嚥しないようにとても気を遣っていた。
 睡眠中のみならず起床時にもいびきのような激しい呼吸音がするようになり、首元もやや腫れているように思われ、苦しそうにしている様子だったので受診させることにした。
 10月30日(月)、夕食の宅配ムース食に小さく割った薬をまぜ、2時間以上かけてようやく1/3程度食べさせた。結果、これが口から摂る最後の【食事】と【服薬】となった。
 10月31日(火)朝、ヨーグルトを少し食べさせて、午前9時H病院受診。呼吸が苦しそうと言うと受付では呼吸器科受診を勧められる。そして問診票にあれやこれや記入させられる。診察前の看護士の聞き取りで、嚥下機能低下が深刻なら耳鼻咽喉科と言われそちらへ回される。マジか。相当な時間待たされ、母は車椅子に座っていることもかなり辛そうだった。
 やっと呼ばれ問診の後、U医師が鼻からカメラを挿入して診察した。咽頭が両側とも腫れて気道が狭窄していること、その回りに痰がたくさん絡んでいること、もう口から食事を摂ることは非常に危険な状態であり、自分の唾液でさえ上手く飲み込めず、不顕性誤嚥、誤嚥性肺炎になって、いつ命を落としてもおかしくない状態であるという厳しい現実を伝えてきた。入院して(入院したらもう自宅に戻れなくなる可能性もあると言われる)諸々検査の上、気管切開するか、訪問医療・訪問看護を受けながら在宅で介護するのかの2択を迫られた。夫に連絡し、暫し2人で熟考した。以前左大腿骨骨折で入院し退院した後、身体機能と認知機能の低下が著しく、入院前と同程度に戻るまで半年以上かった経緯があるため、なるべく入院はさせたくないとの思いが私達夫婦にはあった。気管切開はせず在宅で介護したい思いをU医師に伝えた。その日は痰吸引の処置しかしてもらえなかった。U医師はN大病院から来ている医師のため、H病院耳鼻咽喉科からでは訪問医療の指示書が出せないとのこと。翌日朝1番でN大病院を受診するよう依頼される。
 正午を過ぎ、尿取りパット交換時間の限界が来た。トイレ介助を試みるが、私1人では立たせられなかった。仕方なく夫に連絡して来てもらった。助かった。夫よ、ごめんね。いつもありがとう。そしてこの後も事務手続きに手間取ったらしく散々待たされた。母もぐったりと疲れ果てた様子だった。
 Nケアマネージャーに連絡し、在宅訪問診療医療機関の手配を依頼した。知っている医療機関はあるか問われたが、分からないので任せることとした。母は統合失調症で服薬しているため、精神科を標榜する数少ない医療機関から選択するとのこと。Iクリニックを見つけ、ここでいいですか?と聞いてきた。良いも悪いも分からないので、Iクリニックにお願いすることとした。今思えばこれが誤算だったのであろうか。結果的にこの後、もう向精神薬の服薬は必要なくなったのだから、精神科を標榜している訪問医療機関でなくても構わなかったんだよな。
 11月1日(水)N大病院耳鼻咽喉科受診。両側反回神経麻痺の診断、訪問医療の指示書を作成してくれた。本日からN大病院に数日間入院して、経鼻チューブにより胃へ直接栄養を入れる方法を選択するかを問われたが、自宅から少し遠い病院であり、後日在宅でも実施可能であると聞き、その場では断った。
 昨日からまともに食事を摂らせてあげられなかったため、T-3輸液500ml(150kcal)を点滴にて投与してもらった。ようやく栄養が入って少し安心した。
 11月2日(木)Iクリニックの訪問診療スタッフが4人で初来宅。感じの悪い女性が来たなと思ったらNという担当医師だった。PCを開きながら軽薄な挨拶をされた。目も合わない。専門用語で一方的に話しをされ理解不能かつ説明不足。悪い印象しかなかった。この時もまた問診票や契約書等をあれやこれやと書かされた。
 この日に採血。結果に日数を要するため身体状況が不明、T-1輸液500ml(52kcal)のみの末梢静脈点滴しかできないと説明される。生命維持必要最低限のものである。こんな少ないカロリーで本当に大丈夫なのかと不安であったが、1週間ほどこの輸液1日1本で乗り切った。母は本当に強くて凄い人だった。
 この時点で肺炎の疑いがあると言われた。N医師からは入院・気管切開を強く勧められたが(気切して云々、CVカテがどうたらこうたら…専門用語で何を言っているのか正直分からなかった)、それは希望しない旨を伝える。声を聞けなくなることと、本人が思いを伝えられる手段を断つことはどうしても避けたかった。万が一の時の延命措置(心臓マッサージ・気管切開・挿管等)の希望についても確認された。本人にとって苦しみを伴うような延命措置は希望しない旨を伝えた。
 午後、痰吸引器搬入。本日から毎日来る看護士(平日I看護士・休日M看護士が基本)から使用方法について指導を受けた。この頃からネット検索で、様々な介護の方法やレンタル用品、医療機器の使用方法、医療用語等についてアホみたいに諸々調べ始めた。痰吸引の技術は比較的早く習得できた。夫も少し遅れはしたが程なくして習得してくれた。

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