クリフォード・ストーン軍曹の証言
以下は、2000年9月『ディスクロージャー・プロジェクト』の際に公表された米国陸軍軍人クリフォード・ストーン軍曹 Sergeant Clifford Stoneによる証言の抜粋である。
昨日紹介したダニエル・シーハン弁護士のインタビューで、シーハンがクリフォード・ストーンと話したことについて述べていたので、参考として掲載しておく。
1942年2月26日,ロサンゼルスの戦い(Battle of Los Angeles)と一般に呼ばれているこの日に,ロサンゼルス上空を飛行する15から20機の未確認航空機がいることを我々は知る.我々は直ちにこれらの物体を撃墜する作戦でこれに応えた.第37沿岸砲兵部隊は1,430発の砲弾を消費した.我々は直ちに,これらの航空機が飛来する枢軸国(*日独伊)の秘密基地があるか,これらの航空機を格納していた民間飛行場があるか,探すことに着手した.それを証拠立てるものは何もなかった.我々が取り組んだ調査は,結局何の結果も出せなかった.
同じときに,太平洋でも人々は同じことを経験していた.つまりフー・ファイターズと呼ばれるものだ.マッカーサー将軍は部下の情報将校たちを指揮し,何が起きているかを調べさせた.私には次のことを信ずべき根拠がある.つまり,1943年にマッカーサーは,実に地球のものでない物体とどこか他の惑星の人々が我々を訪問しており,我々が第二次大戦と呼ぶ世界的な出来事を実際に観察しているのだ,ということを知った.彼が直面した問題の一つは,もしそれが事実で,また彼らに敵意があった場合,我々は彼らについてほとんど何も知らず,防衛手段をほとんど持たないということだった.
マッカーサーは惑星間現象調査部隊と呼ばれる部隊を組織した.
それは後にマーシャル将軍に引き継がれることになった.それは今日までずっと続いている.名前は変わり,その履歴もいまだ明らかになっていないが.陸軍の説明は,それはUFOを調査する正式の組織ではなかったというものだ.だがそれは将軍によって組織され,結果を残し,それらがありきたりの物体ではない,つまり惑星間宇宙機だとの結論を得ているのだ.彼らは起源不明,特に地球外起源物体の回収のための総合情報作戦の一部として,まさに今日行なっていることを続けてきたのだ.彼らの目的はその情報を評価し,現場の情報資料を収集し,それを処理してある種の有用な情報に加工し,その分野- それを知る必要性を持っている人々や,いわばこの情報の管理者たちに行きわたらせることだ.
マッカーサーの配下にあった将軍の一人,当時の陸軍航空隊の一将軍が,マッカーサーの所に戻り,こう言った.“我々が手に入れたものは,この地球のものではありません” 私が言っておきたいのは,この頃にはドイツでさえ我々が訪問を受けている証拠を発見し,何らかの物理的証拠を持っていたということだ.マッカーサーは確実に物理的証拠を持っていた.私が[陸軍でこの問題に取り組んでいたときに]見た文書からは,その物理的証拠が何だったかは分からない.だが証拠はそこにあった.
私の注意を特に引くのは,ドイツがこれらの物体の一つに対して,逆行分析(back-engineer)を試みたかもしれないことだ.我々は間違いなくその逆行分析を試みた.だがその逆行分析を行なうためには,我々の技術自体がその獲得する技術と同程度でなければならないことを我々は知る...
1950年代,米国空軍はブルーブック計画の外部にUFOを調査するための一つの選り抜き部隊を持っていた.ブルーブックは彼らが協力しているものと考えたが,彼らはそうではなかった.この部隊はもともと第4602空軍情報局部隊として組織された.その平和時の任務にブルーフライがあった.ブルーフライ計画は,地球に墜落した起源不明の物体を回収することだった.回収の対象が明確に地球に墜落した物体だったことを覚えておくのは重要だ- なぜなら,当時我々には宇宙機などなかったからだ.この結果,その目的に適っていたライト-パターソン基地に監視要員を置くことになった.そしてUFO報告が入ってきたとき,この墜落物の回収にチームを派遣する必要があるかどうかを知るために,報告は綿密に調査された.
空軍は監視要員たちを使ったことを否定する.私は空軍が彼らを使ったことを知っている.だが,ブルーフライ計画の平和時の目的は,現場に出かけて地球に衝突した起源不明物体を回収することだった.その後,1957年にそれは起源不明のすべての物体を対象とするものに拡張された.対象はやはり宇宙機だった.それは1957年10月時点で,ムーンダスト計画と呼ばれるものの一部になった.
ムーンダスト計画は,ただ二つの物体を回収するための全体的な実地調査計画だった: 第一に米国以外の起源を持つ物体で,地球の大気圏に再突入し地物に激突するもの.当然,我々は技術的,科学的情報の観点から,いかなる潜在的な敵に対してもその技術的能力を決定もしくは解明することに関心があった.なぜなら,我々米国の知られていた敵,ソ連は当時宇宙船を打ち上げていたからだ.
もう一つの関心領域は,起源不明の物体だった.今我々は,相当数の起源不明の物体があったことを知っている.それは宇宙船の打ち上げ,隕石の衝突,その他知られているいかなる宇宙廃棄物の地球落下とも関連のないものだ.
要するに,ムーンダスト[計画]とブルーフライのもとで,我々はこの地球のものでない外来の破片を回収したのだ.
今我々の前に立ちはだかる機密性の程度は,年月を経る間に変化してきた.第二次大戦以後,たとえば1969年までの間,その機密性の分類は11あった.現在は三つだ: 部外秘,機密,最高機密.だがもしあなたがこれらの分類のための規準を超える機密情報を持つとすれば,それはあなたが特殊接近プログラムを持つ場合だ.その種の情報は,公式の認可なしには人々の中に持ち出すことができない.
UFOについて論じるとき,最後はこの疑問に行き着く.米国はもちろん,どの政府でも,秘密は隠しておけるものか?その答は,はっきりとイエスだ.だが,情報関係機関が使える最大の武器の一つが,米国民,米国の政治家,暴露者たち- UFO情報を暴露しようとする人々- が持つ傾向だ.彼らはすぐに出てきて,こう言う.我々は秘密を隠しておけない,秘密なんか隠しておけるものじゃない.では,本当はどうか.秘密は隠しておけるのだ.
国家偵察局(NRO)は何年もの間秘密だった.NSA(国家安全保障局)があるかどうかさえも秘密だった.原子兵器の開発は,それを一回爆発させ,何が進行しているかを一部の人々に言わなくてはならなくなるまで秘密だった.
そして我々は,我々自身の理論的枠組みにより,高度に進歩した知的文明が我々を訪れるためにやってきているという可能性または確率を,受け入れないように条件付けされている.きわめて信頼できる物体の目撃報告,それらの物体内部にいた実体の目撃報告という形で,証拠は存在する.それでも我々は平凡な説明を探し求め,我々の理論的枠組みに合わない証拠の数々を投げ捨てる.だから,それは自らを守れる秘密なのだ.それはありふれた風景の中に隠される.情報機関に出かけて行き,この情報を出せとせがむのは,政治的自殺行為だ.私はその方針で彼らの多くと協力してきたから分かるが,議会の大部分の議員は尻込みし,それをさせないようにするだろう.ロズウェルで起きたことについて,議会の調査を単刀直入に要求した3人の議員の名前を私は挙げることができる.
私が聞いた最も奇妙な発言は,それを行なう人間は議長でなければならないというものだった.それで私はミシシッピ州選出のある上院議員に,ためらわずにそれをしていただけるかと頼んだ.答はノーだった.私はこう言った.それを書面にしていただけませんか?私はそれを書面で貰ったが,公開することをためらっている.私はそれをあなたにお見せするが,公開はためらう.なぜなら,私はそう約束したからだ.
政府のファイルにそれはあるのだから,我々はその資料を入手する必要がある.それが最終的に破棄されてしまう前に,我々はそれを公開させなければならない.一つの好例がブルーフライとムーンダストのファイルだ.私は空軍が認めた秘密文書を入手した.私がもっと多くのファイルを開放させるために議会の議員たちの助けを借りたとき,それらの文書は直ちに破棄されてしまった.私はそれを証明できる.
そのどこかの段階で,彼らはその資料を見るかもしれない.もしそれが漏洩の危険に曝されたら米国の国家安全保障に深刻な影響を与える,何かきわめて機密性の高い情報があることを知るだろう.少数の人々に制限された接近だけを許すことを確実にするために,それはまだ保護される必要がある.その少数の人々は,一枚の紙に名前を書いて挙げられるほどの少人数だ.だから,特殊接近プログラムが存在することになる.特殊接近プログラムにあるはずの管理はそこにはない.文書を保護する仕組みと秘密のプログラムを実行する仕組みを議会が精査したとき,彼らは特殊接近プログラムの内部に特殊接近プログラムがあることを知った.つまり,そのすべてを議会が管理統制することは本質的に不可能だった.
さて,UFOの場合,それと同じ原則が適用される.こうして,情報関係機関内の100人以下の小さな核,いや私はそれが50人以下であることを知っているが,それがすべての情報を支配している.それはまったく議会の調査や監視の対象ではない.だから,議会はその核心に迫った質問を掲げ,公聴会を開催することに踏み切る必要があるのだ.
任務の種類はかなり多いが,端的に言えば,そのとおり,私は墜落したET物体の回収という種類の作戦に関わっていた.残骸が生じる次のUFO墜落,着陸を我々がその部隊で整然と待っている,多くの人々はそう考える.我々は日常の生活を送っているのだ.軍の中で通常の任務に就いている.だが,その区域で出来事が発生し,あなたが専門分野としてそれに前向きに関わることを望む人々の一人なら,あなたは招集される.
さて,私にこのことの準備をさせるために,入隊後のきわめて早い段階で,彼らは私をアラバマ州フォートマッカレンにあるNBC学校に送った.そこは3週間の学校だった.そこはNBC要員のための学校だった.NBCとは核(Nuclear),生物(Biological),化学(Chemical)を意味する.私がUFO回収に関わったのは,常に一つのNBC部隊としてだった.部隊はそれが核事故だったかのように取りかかり,展開した.だから部隊はそのように行動する.もし我々が密かに人知れずそこに接近して回収を行ない,中に入って残骸を採取できるなら,我々はそれを行なう.もし公式に許可された偽装計画,たとえば嘘の新聞発表をする必要があるときは,我々はそれも実行する.
たとえば飛行機事故が起きた場合,それを処理する標準的な手順というものがある.墜落したET宇宙機あるいはその残骸を回収または採取するとき,それと同じ手順が利用される.残骸が重要だと私が言う理由は,それらは高度に進歩した装置だからだ.言われているほど多くの墜落があったわけではない.それらには欠陥があったのだ.なぜなら,それらはあなたや私と同じような肉体を持つ人間(異星人)の知性が造ったものだからだ.人間である限り,失敗はする.
さて,我々は高度に知的な文明について語っている.高度に無能な文明についてではない.我々は必要な手順を踏むし,彼らもそうする.だがそれに加えて我々が出向くときには回収を行なう.その回収を行なうとき,我々は飛行機事故か危険物質を処理するときのようにそれを扱う.それが安全だからだ.その手順はすべて決められている.唯一の問題は,これが地球のものではないことを直ちに認識できる人々がそこにいることだ.確かに,ブルーフライの[ET宇宙機]回収では,現場分析ということが行なわれた.
要するに,我々の場合はミサイルがどういうものか,飛行機がどういうものかを知っている専門家がそこにいる.彼らはこの物質を調べ,それが何でないかを告げる.こうして我々はただ一つの可能性に行き当たる.この惑星に起源を持たないもの.これがブルーフライの目的だった.迅速な現場分析を行なうことはきわめて重要なことだった.さて,それが残骸ならその物質を梱包するとき,危険物質を梱包するときと同じに扱われる.そして予防措置がとられる.もし機体全体を扱うときは,厳重な予防措置がとられる.なぜなら,ETたちに敵意はないと私は主張しているわけだが,それでもなお死亡に至る重大な事故が発生することがあり得るからだ.これらの任務に向かわなければならなくなったとき家族がどんな状況だったか,私はそれを話すつもりはない.なぜなら,起きたかもしれないことを考えると少々心が乱れるからだ...
当然我々はその物質を秘密にしようとする.特に機体が大きく,円盤型やくさび型をしている場合はそうだ -- 時々我々はそれを回収したが,素晴らしい形だ.特にそれを搬入のためにトラックに載せる必要があるときには,警戒態勢がとられる.それをトラックに乗せて安全な収容場所まで運ぶ場合,我々はそのトラックを追跡する.そのトラックは800ナンバーを付けているので,もし故障が起きたら,我々はそこに留まってそれを警護する.また,連絡すべきある電話番号があって,その機体を安全に収容場所に移動するための支援が直ちに得られる.手順は概略このようなものだ.実際のところ積荷書類があって,そこにはその電話番号が書かれている.そしてある暗語が使われる -- 我々がいつも使った一つを教える; タバスコ(Tabasco)だ.
ET宇宙機の場合は特別チームがそこに行く.もしそこに生物学的要素がある場合,どうしたらよいか彼らは知っている.我々の大きな関心事の一つは,まったく外来の起源を持つこの生命体による汚染という生物学的なことだった.
私は以下のことを言明する覚悟ができている.私はこの地球で造られたものでない起源不明の宇宙機があった場所(複数)を見てきた.その場所にいたとき,我々はこの地球で生まれたものでない生命体の生存者と遺体(複数)を見た.我々は,それらの生命体との間で,彼らが言うところの“接続(interfacing)”を行なった.
人々にある考えを吹き込むための学校がある.私はそこに行ったことはない.私はいつも拒否した.私が1990年に除隊したとき,彼らは私が考え直して除隊を止めるように,2ヶ月間拘束した.私は1989年12月1日付で除隊の命令を受けたが,彼らはその命令を取り消した.繰り返すが,彼らは規則を犯して私の退役の承認を未決定とし,2ヶ月間拘束した.それはすでに承認されていたのだ.その目的は残留するように私を説得することだった.
我々はどこかの外国ではなく,他の太陽系に起源を持つ異星人と接触を持っている.私はずっとそれに加担してきた.私はそのために働いてきた.私はそれを目撃してきた.そして私は我々が行なっていることの一部が実に,実に,実に,実に恐ろしいものであることを知っている.彼ら(異星人)は我々に敵意を持っていない.だが我々はこの瞬間にも敵だ.そう考える十分な理由がある.我々は他国が何をするかに関心を持っている.私は自分が時間と闘っているのだと思い定めている.我々は宇宙の軍事化に向かってひた走っている.私にはこのことを人々に確信させる時間が残り少ない.宇宙の軍事化が達成されるや,我々の前にはまったく新しい工学技術の世界が明らかになるだろう.
NASAは,我々がいわゆる恒星間旅行を達成するのにあと1,400年かかると言う.私は敢えて言うが,今世紀末までに我々はそれを成し遂げるだろう.もし我々が精神を成長させるために何もしないなら -- これを言うのはつらいことだ -- だが,もし我々が精神を成長させるために何もしないなら,我々は恒星間旅行を達成しないだろう.彼ら(異星人)がそれを阻止するだろう.さらに悪いことに,彼ら(異星人)は地球上の人々の前に前触れもなく姿を現すだろう.
我々はこの技術を獲得したい.我々はこの技術を我々の技術の一部としたい.これから25年以内に我々は宇宙を軍事化するだろう.宇宙軍事化の結果として我々は新しい技術を獲得し,恒星間旅行を可能にする新技術を発展させるだろう.その結果はそのまま,我々が精神的に成長しない限り彼ら(異星人)の脅威にもなる.
だがもし我々が精神的に成長しないなら,異星人たちがついに我々の前に姿を現す状況を招来するだろう.私はそう感じる.彼らは姿を現す.そして地球人はそれを阻止できない.ETたちは,我々が宇宙の脅威として進出するのを阻止するためにそれをするだろう.これが起きるとき,それは世界中の人々にとり思いもよらないことで,なんらかの深刻な問題が持ち上がるかもしれない.
だがこれは米国だけのことを言っているのではない.それは全世界が知らされなければならない真実だ.その真実とは,人間は孤独ではないということ,我々は他の惑星,他の太陽系の人々の訪問を受けているということだ.
情報関係部門の人々がUFO情報を機密にしたとき,彼らの意図は善意だったと私は信じる.彼らは幾つかのきわめて深刻で困難な疑問に直面したはずだ: 我々は最早宇宙で孤独ではない,この惑星を知性体が訪問している,このことを世界中の人々が知ったらどんな事が起きるか?そこにあった意図は善意だったと私は考える.国家の情報機関として,軍事応用のためにその技術を獲得しようとするのは当然だ.こうしてその知識は,可能な限り厳重な機密として守られるようになる- ほんの一握りの人々にのみ明かされる秘密の厳守,つまり特殊接近プログラムだ.しかし,この秘密を守ることはまったくの善意だったにせよ,それは[今]人々を苦しめていると私は思う.
UFOを見ただけの人々を気違い扱いにする権利はどの政府にもない.特定の人々が最後は精神的に追いつめられ,その多くがついに自殺または自滅するのを見ている権利など,どの政府にもない.このようなことが起きているのだから,我々は自らの考えと立場を考え直す義務がある.私の考えは,我々は秘密の壁を打ち破り,真実を明るみに出す責任があるということだ.その真実をいかにして明るみに出すか,我々にはその責任がある.我々は真実を語らなければならない.
そしてこれは怖い話ではない.あなたはETたちが神の概念を持っていることを知るだろう.あなたは彼らが家族を持っていること,彼らには文化があること,彼らには好悪があることを知る.あなたは我々の間にも,それらと異なるものではない,似たものを見つけるだろう.それはあなたにとって真実への道の始まりだ.我々の現在の問題は,我々が彼らを話題の対象として見ているということだ; 驚嘆したりびっくりしたりする対象として.
さて,私の話に戻ると,我々はNBC(核・生物・化学)下士官になるための訓練を修了したばかりだった.私の友人がバージニア州フォートリーまで私を送ってくれた.彼はメリーランド州フォートミードに行くところで,一緒に来いよ,君の基地まで車で送るよ,と言ったのだ.こうして我々はフォートリーまでの道中,UFOについて語り合った.
私がフォートリーに戻って数週間後,この友人から電話があり,私はフォートミードにいる彼を訪ねることになった.彼がいるはずのフォートミードに着くと,彼はこれから忙しくて手が離せなくなる,後で解放されたらすぐにそのことを話す,と言われた.この人物は私に,ところで君はペンタゴン(国防総省)に行ったことがあるか?と言った.当時私はペンタゴンに行ったことがなかった.そしたら彼は,そこは実に特異な場所だと言った.それじゃ君を25セント旅行に連れていこう.こうして我々は出かけた.我々は入っていった.私は与えられた小さなバッジを着けていた.それには何の図柄もなかった.だが私に同行した人物のそれには図柄があり,私を連れてきたことは許可されていると警備員に告げた.私を内部へと導くのは常にこの人物だった.
ついに我々はエレベータがある場所にやってきた.我々はそれに乗って降下した- どれくらい降下したのか,私には分からない.ペンタゴンの下に延びる階段が1段なのか,2段なのか,15段なのかは知らない.だがとにかく我々は降下した.我々がそこに着いたとき,そこには二つのモノレールがあった.ペンタゴンの地下にはモノレールがあったのだ.それらは巨大な円筒のようで,中央部がやや太く,それぞれに一つずつあった.つまり,これらの小さなモノレールには弾丸に似た車両があり,前に二人,後ろに二人乗れるようになっていた.我々はその一方のモノレールに乗り,出発した.20分も乗ったかと思われたが,これは推測ではっきりは分からない.
我々が降りたとき,彼はこの廊下をくだった所にある面白い場所を幾つか見せようと言った.こうして我々は廊下をくだっていった.廊下の遠い突き当たりにはドアがあるように見えた.そのドアにどんどん近づいていったとき,私の案内者は振り向いて,いいかい,物事は必ずしも思われているようなものじゃないよ,とはっきり言った.
ペンタゴンの下部にあるこれらの地下施設について,多くの人々は知らないと彼は言う.ほんの少数だけが,ペンタゴンには地下モノレールがあり,別の場所と接続していることを知っている.彼は次のように言った.それはここにある壁(複数)のようなものだ -- それらが必ずしも壁だとは思えない.それで私は言った.それらが壁ではないって,どういう意味ですか?あなたは何を話しているのですか?と私は言った.彼は冗談を言おうとしたのだと思った.そのとき彼は,いや,それは君の後ろの壁のようなものだ,と言った.私が見るとそれは壁のように見える.そこには継ぎ目のようなものは何も見当たらない.そのとき彼は私を押す.私は身体を支えようとするが,そこには実際に開いたドアがある.
そのドアを通って進むと,そこに野外テーブルのようなものがある.その野外テーブルの後ろに,この小さな生命体がいた.その生命体は3フィートよりわずかに大きかった.何度も報道された3フィート半の身長をもつ生命体だった.だがそこにはこの生命体のやや後,両脇に二人の男がいた.
辺りを見回しているとき,私はこの小さな生命体の目を真っすぐに覗き込んだ.そのときの感じは次のようだった.私はそれを見ているが,私の心から何もかもが引き出されている- 彼は私の全生涯を読み取っている.私がそこで実際に感じたことを述べるのは難しい- その時までの人生がほんの数秒で通り過ぎていく.つまり私はあらゆることを感じていた.
私はしゃがみ,自分の頭をこのように抱えて床に倒れたのを覚えている.次に覚えているのは,目覚めて[フォートミードの]友人の事務所にいたことだ.私がジャックの事務所に戻ったとき,彼らは私に,一日中そこにいただけで何事もなかったと語った.だが私の方がよく知っている.
生命体(複数)とある政府機関(複数)の間には,一つの交流がある.このことをはっきりと述べるために,私はここまで立ち入るつもりだ.今のところ,彼ら(生命体)が我々に自滅のための技術を与えていると述べるつもりはない.彼らの方針はそうではない.地球での彼らの目的は科学的かつ人道的なものだ.
いかに我々がある種の行為を行ない,我々自身を傷つけてきたかを見れば,我々がとても愚かだったことは明らかだ.今我々はこれまで自分自身を傷つけてきた一方で,それを修正しようとしていることに気付いている.まさにこの点でETたちが調査している一つのことがある.
我々の生物圏は損なわれつつある.彼ら(ET)はそれを修復するために来ているのではない.彼らは我々がそれにどう対処するかを見にきている.だが一政府がそのすべての責任を負い,すべての知識と理解を引き受けることはできない.事態を見渡せば,我々は一つの人民,結束した人民として一致団結して取り組まなければならないということだ.我々は前進し,ついには他の太陽系にある他の惑星を訪問する大いなる一歩を踏み出すために,自ら準備を始める必要がある.そして繰り返しこの言葉を使うが,まとまった人民として,惑星地球の人類を代表する人民として,我々は精神的に成長しなければならない.
我々を訪問しているすべての種族(ただ一つではない)と各国政府- 米国政府だけではなく全世界- との間にある種の- その程度は分からない- だがある種の対話があるのは確かだ.まずは先進諸国の人々だ.なぜなら,現時点で宇宙旅行を行なっている国家(複数)が彼ら(異星人)の最大の脅威になっているからだ.
最初の頃に私が経験したもう一つのことは,見てはいけないものを偶然見てしまったことだ.ある施設にいたとき,友人と私は会見室を見下ろすバルコニーに行った.そこにはプレキシガラスの窓があり,バルコニーと階下に続く部分とが隔離されていた- 何が話されているかは聞こえない.だが我々は彼らが映画を上映しているのに気付いた.その映画は様々な種類の,我々が今日UFOと呼ぶものを映していた.それは様々な種類の異星人を映しており,その中には我々によく似たもの,我々とは著しい違いを持つものがあった.我々はこちらに上がってきた男たちがいることに気付かなかった.彼らは,君たちはそこで何をしているか?と言った.それで我々は,このとおり,軽食堂に行きたくなかったので,ここに座ってスナックを食べていただけだ,と答えた.彼らは,一緒に来い,今すぐにだ,と言った.こうして彼らは我々を押し,襟首やシャツをつかみ,押しながら階段を降りた.
階段を降りきると,彼らはまた我々を押しながらドアを出てトラックに乗った.そのトラックはそこで待っていたのだが,それは小型バンで,彼らは我々をそれに押し込み,ドアを閉めた.そして我々を乗せて走り去った.彼らが我々をどこに連れていったのかは知らないが,最後に我々が降りた所は,一体構造の軍隊様式の建物だった.彼らは我々をそこに連れ込み,この部屋に押し込んだ.そこには軍用簡易ベッドがあった.また照明を取り付けた机が一つあった.我々は呆然と座って,なぜ彼らはこんなことをしているのか?と考えた.なぜこんなことが行なわれているのか?
5日目の夜に,私は外に出て彼らに兵舎まで送られた.私は委細を報告し,ベッドにもぐり込んだ.というのは,私は疲れ切っていてとにかく眠りたかったからだ.翌朝,土曜日の朝だったが,私はCQ(Charge of Quarters)つまり当直に起こされる.君はどこにいたんだと彼は言う.なにしろ,私は二人の男の所に連れていかれていたのだ; 一人は善玉のように振る舞った.もう一人は思いのままにこう言った.ヤツを信用しちゃダメだと言っただろ.ヤツを連れ出せ.始末しよう.撃ってしまえ.その善玉はこう言う.まあまあ,もう少し話そう.そして彼は悪玉役の男を外にやった- 保安警察ではよく使う手だ- 善玉警察官と悪玉警察官.悪玉役の男は食べ物を取りに出ていった.
その善玉役はこう言う.聞きたまえ,君はこのUFOに関係した仕事をしたいと思っている.いえ,したくありません,と私は言う.すると彼は,だが君はそれを経験したじゃないか,と言う.君はそれに少しは関係してしまったのだ.あそこで見たものはまやかしではなかった,と彼は言う.この仕事をしないか?と彼は言う.我々と一緒に仕事をしないか?私は,いえ,したいと思いません,と言った.最後に彼はこう言う.いいかい,君はこの仕事をしたい,するようになる,それについてもっと知るようになる,そう彼は言うのだ.今年中には我々が知っていることをすべて公開することになっている,と彼は言う.だが繰り返すが,この世界は安全な場所ではない.技術的な観点と軍事的な立場から,我々はこの国の潜在的な敵が知るよりもさらに多くを知る必要がある.だから君に頼んでいる -- 我々と一緒に働いてくれ.こう言われて私は考えた.なにしろ私は若かった.私が考えたのは次のことだった.これは私が実際に身を挺して関わってきた何かだ.面白いことになりそうだ.ある事柄についてさらに先を知ることができるし,今までの疑問に答が見つかる.私の人生で起きた事件について,もっとよく理解できる.
私は心からこう信じる.一つ,軍は私を必要としている; 二つ,彼らは私がこの計画に参加することを望んでいる; 三つ,将来いつか私がこれについて秘密を漏らす心配は絶対にない.彼らは私が立証することになるかもしれない事柄を心配していただけだった: 私が何かほんのわずかの証拠でも握った場合,それが私の話にどんな影響力を与えるか.彼らは私が軍を飛び出すことを望まなかったのだ.彼らは私が留まることを望んだ.彼らは私が自ら進んで学校と呼ばれている所に行くことを望んだ.だが私は彼らが学校と呼んでいる所に行くとは決して確約しなかった.
もし私が学校に行けば,そこには新しい世界,新しい道が開ける,私はそう言われた.だが私にはそれに同意することが必要だった.またそこに行くためには,進んでそのための書類に署名することが必要だった.だが私はその学校に行く覚悟ができていなかった.私はこの計画に参加しその学校に行った人々を見てきた.はっきり言うが,私は彼らの人格が好きでなかった.そこへ行くと,人は何か特別な人間になる,なろうと思えば人を見下す立場にもなる,この考えが好きでなかった.その道は,新しい世界が開けるはずの道ではなかった.自分がなれるのはせいぜい奴隷で,その逆ではない,私にはそう思えた.
これらの人々の一部は,私が好きな気質ではなかった.私は彼らの態度が好きでなかった.私は彼らのようにはなりたくなかった.私が恐れていたことの一つは,もしその学校に行ったら,私も彼らと同じように変わるだろうということだった.
さて,事件があり,[ET宇宙機の]回収もあった.だが回収は少なく,めったになかった.その中で1969年に起きた事件はくさび形宇宙機の回収で,インディアンタウン・ギャップ(ペンシルバニア州)で発生した.私が知るところでは,その日は寒かった.冬だったが雪はなかったと思う.我々は第96民事作戦群で実働演習中だった.私は第96民事作戦部隊の一員だった.私はNBC(核・生物・化学)担当下士官だった.我々が知らされたのは,墜落機に関係する事故があり,我々はその回収を支援する必要があるということだった.現れた人物は,我々がどこに行くかを正確に知っており,我々はその集結地に向かった.そこから我々は,インディアンタウン・ギャップにある別の場所に行った.市民やもの好きや,その類に関係する問題は何も起きなかった.状況を言えば,我々は回収をしたのだ.私が見ているものは人間が造ったものではない,私はそう気付いた.
我々がそこに着くと,あるチームがすでに待機していた.物体の周りを常に投光照明が照らしていた.私は警報付き線量計APD27を持ってその物体にできるだけ近づき,線量を計測するように言われた.それをしていたとき,私は見ているものが地球のものではないと気付いた.私はそれについて感情的になりたくないので,あまり深く立ち入ることをためらう...
ベントウォーターズはもう一つのとても関心を引く事件だ.ベントウォーターズのとき,我々は情報を得るためにそこへ行った.物理的証拠という点では,写真(複数)があった.映像記録もあった.また通常を上回る背景放射線量も計測されていた.それほど高いわけではなかったが,通常を上回っていた.降下地点とされている場所で,我々は幾つか異常なものを見つけた.また木々の頂部がなぎ倒されていることにも気付いた.我々がそこに着いたのは12月も終わりだった.正確に言うと12月28日だった.
我々は資料を収集した.我々はこれらの資料をリンゼイ空軍基地(ドイツにあった米国空軍基地,現在は閉鎖)に持ち帰った.我々が入手できたすべての具体的証拠,そこにあったすべての文書記録類だ.レーダーでも捕捉された目撃(複数)があった.英国政府も米国政府もこれらの目撃については知っていた.我々が入手した具体的証拠は,リンゼイ空軍基地に持ち去られた.そこでその資料は整理要約され,SHAPE(ヨーロッパ連合軍最高司令本部)に説明する幾種類かの資料が作成された.SHAPEの誰に説明されたかは知らない.だが我々がそれをする必要があったことは確かだ.その情報はそれから特別伝書便に託された.それはワシントンD.C.地区に近いある空軍基地に運ばれ,それからバージニア州フォートベルボワに移されたと思う.そこは当時米国空軍戦闘作戦センターの特殊作戦群司令部だった.彼らはこの資料を受け取り,それを処理し,完成された情報資料を仕上げた.
それがリンゼイ基地に行った理由は,そこに米国空軍戦闘作戦センターの作戦地区分遣隊があったからだ.ベントウォーターズに最も近い作戦地区分遣隊はリンゼイ空軍基地にあった.その資料を入手したのは彼らだ.それを米国に持ち帰るまで護送する任務を負ったのは彼らだ.彼らがあれこれ質問をしていた.容赦のない,重要な質問をしていた.彼らはこれに関わった技術要員たちに技術的な質問をしていた.私は,何人かのレーダー操作員たちが質問されたことを確かに知っている.その中には英国人も米国人もいた.
私は1989年6月,7月のベルギーUFO事件にも関わった.我々はベルギー上空を飛行したUFOについて情報を評価し,データを収集していた.それらのUFOはドイツ全土の上空も飛び回った.我々はソ連に近い国境である事件を経験した.それが巨大な物体だったためにソ連は非常に動揺していた.それは三角形をしており,一辺がフットボール場約3個分の大きさがあった.それはいわゆる緩衝地帯の上空を飛んだ.それが上空を飛んだとき,我々は皆不安におののいた.
それは夏,8月頃だった.我々は毛髪が逆立つ思いをした.それは恐怖などで身震いする,というだけのものではなかった.ある種の生理学的作用がそこに生じていた.一旦この事件がおさまると,我々は戦闘機に警戒態勢をとらせた.彼らには,ソ連機が緩衝地帯を越えて近づいているので,それを迎撃するのだと通告した.ソ連もまた同じ行動をとった.UFOはソ連領空に引き返し,ソ連はそれを迎撃しようと戦闘機を緊急発進させた.その移動速度は全然速くなかった.だがこの事件があった夜に,それを攻撃した者は誰もいなかった.
撮影された写真(複数)があった.ソ連との間で協議があった.これが進行している間,全員が収容され,説明を受けた.皆が受けた説明とは,ただのロシアのミグ27が1機緩衝地帯をこちら側に深く迷い込み,問題を起こして警戒態勢がとられることになった,というものだった.だがそれはミグ27などではなかった.我々が何を見ていたかは我々が正確に知っていた.我々はフラッシュカード(訓練用教材カード)を持っており,それにはソ連と我々自身の様々な航空機のシルエットが描かれている.
我々が何を見ていたか,私は正確に知っていた.我々が見たものは何にも該当しない1機の航空機だった.それは空気動力学的な物体ではなかった.それが空気動力学的ではなかったと私が述べる意味は,それはヘリコプターのような,目に見える浮力装置を持たず,あのような高さに浮揚する何らの手段も持っていなかったということだ.その手段はそこになかった.それはまったく無音で,ほぼ3階建ての高さがあった.私はここから抜け出して家族のもとに帰りたい,普通の生活を送りたい.この事件は私にこうした気持ちをわずかに抱かせた一つだった.
この事件は新たな局面を生じた.この事件は発展し,ソ連はベルギー政府を通して米国政府に公式の抗議をした.彼らの懸念は,他の数カ国とともにベルギー当局が,偵察のためにソ連に侵入するステルス航空機の離着陸を認めている,というものだった.我々はソ連に通告し,これについて議論した.我々は少なくともソ連軍事連絡使節団に対して,こう説明した.これは彼らの領域にステルス航空機を送るという我々の企てには何の関係もないと.
ソ連は発生している出来事に危機感を持っていた.実に彼らはそれが我々の航空機だと考えていた.彼らにはそうではないと言って安心させた.我々はベルギー当局に対してそうではないと言って安心させた.ベルギー当局は,彼ら自身の目撃を体験していた.我々はそれをテレビで見たことがある.
それらの目撃について人々が知らないことは,そこにはあるとてつもない- 私はそれを隠蔽と呼びたくない- そこにはそれらの目撃に関する特定の情報を秘密にしておこうとする,ある動きがあったということだ.レーダー画面の映像フィルムを修正し,地下に潜っていくUFOを見せる何らかの試みがあった.UFOはそんなことをしなかった.それは地下600フィートまで潜ることになっていたと思う.それは事実でなかった.それは目に見えた.人々はそれを見たし,パイロットたちも見た.パイロットはそれを連続追跡した.だがこれらは我々が答を用意すべき質問をさらに増やすものだった.それで我々はこれを報道機関から隠すことに決めた.我々はそれをうまくやった.
我々が関わった別の事件は,1976年9月19日に起きたイラン事件だ.2機の戦闘機が同時に故障した原因が実際に何だったのか,これを究明しようと,それらが徹底的に調べられた.我々は目撃があった場所に幾つか異常を見つけていた- そこはパイロットの一人が地表に降下したUFOを見た場所だ.我々はそれらの異常を音声装置で記録した.我々はその場所を映像に撮ったが,そのフィルムには何か奇妙なものが映っていた.その着陸場所で起きたことのすべてを私は知っているわけではない.私はそのすべての情報を持っていない.それは私が関与すべきことではなかった.だが,これだけは言える.何が起きたにせよ,そこには2,3週間は人々がいた.
1986年だったと思うが,1機のUFOが2度にわたり攻撃された.そのUFOは何事もなかったかのように飛び去った.1986年にはブラジルの航空機の周りを20機あるいはそれ以上のUFOが飛び回った事件があった.それらの近くに空飛ぶ輪(複数)があった.これらの記録文書は重要だ.
私が最初の説明を受けた1969年までに,回収されたUFOはせいぜい20数機だった.最大でも数十機にすぎないと我々は教えられた- 1940年代と1950年代初期に数機あった.当時それらの事件が起きた事情を明確にすると,まったくとんでもない話だが,我々のレーダーがETの誘導システムに大打撃を与えたということだった.そのために,彼ら(ET)は彼らの誘導システムにその対策を講じなければならなかった.
どれくらいの遺体が回収されていたか?知らない.我々が現場に行く前にETたちが来て彼らの回収を行ない,我々はほんの破片しか入手できなかった墜落事件はどれくらいあったか?知らないが,あったことは確かだ.それは起きているのだ.彼らに問題が発生すると,我々が救難信号を発するように,彼らも救難信号を発する.多くの人々はそれについて考えない; それはこれまで出されたことのない質問だ.ここで繰り返すが,我々は彼らを,そこにあるぬいぐるみの動物のように何か得体の知れないものと考える.だが彼らは生きており,あなたや私と同じように肉体を持ち,呼吸する生き物だ.彼らは考え,愛し,好き嫌いがあり,社会的文化を持っている.
それが真相だと人々に理解させるのは,とても重要だ.私は人間の要素をUFOの搭乗者に当てはめて考えたい.私が人間の要素という意味は,彼らは実在の人々だということだ.我々は彼らを実体とも生き物とも呼ぶ.だが時々我々はこう自問していることに気付く: どちらがより本当の人間か,彼らか我々か?これらは本当に明らかにされる必要がある事柄なのだ- つまり,彼らはあなたや私のような存在だということを.我々は,相違ではなく類似性を探し求め,大いなる理解に到達する必要がある.なぜなら,いずれ遠くない将来,我々は新しい扉を押し開く決定的な接触をすることになるだろうからだ...
多くの人々はただぼんやりと座って,こう言う.でも彼らの基地はここにないじゃないか.いや,彼らにはあるのだ.
我々は1970年にカンボジア国境から約7マイルにあるベトナム基地の一つで,大規模な戦闘に巻き込まれた.それについてもっと知りたかったら,私はそれを録音テープにとってある.その録音テープをコピーさせてもよい.申しわけないが,私は実際に話の一部を打ち明けていない.私がそれを話し始めると,人々はそれを追体験することになるからだ.そして人々は理解しない.人々はまったく理解しない...
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