弱リンク、マグマ整いエンド
生存者バイアスの模造品を再発明しようとして、おいしいピラフができました。
(ここで食事タイム)
数年前のブレスオブザワイルド発売からしばらくの間、ずっとハイラルで遊んでいた。
私の操作するリンクはアホみたいに弱かったこともあるし、ダーウィン賞を狙える死に方もした。私がプレイしながらうとうとしたせいでゆっくり歩いてマグマに落ちていったり、「なんか武器に電気エネルギー溜まってる!」と思っていたら落雷で死んだりした。
しかし正史のリンクは強いキャラクターだ。プレイヤーがアホやらかしたり雑魚敵の対処をミスって死んだとしても、それを正史としてブレワイの考察をするやつはいない。ゆっくりマグマ入浴や落雷スーサイドの分岐はリンクの物語にふさわしくないので、無かったことになる。
(ゼルダシリーズの通常難易度ならまだしも、死にゲーで主人公が死んだ人生を一々「あったこと」として思いを馳せているやつがいたら会ってみたい。変態だ。)
RPGにおいては、主人公には目的や意思があり、その道筋には何かしら意味を持つ物語がある、と想定してプレイする。
例えば王道ど真ん中なら、勇気を出して他人のために行動してよかったとか、リスクを取ってよかったとか、そういう「そして幸せに暮らしましたとさ」のハッピーエンドを目指して行動を繰り返し、そのルートからそれて死んでしまえばロードしてやり直す。
現実の世界で実際に生きている場合、途中で後悔して振り返っても来た道は一本しかなく、より良かったかもしれない選択肢は空想でしかない。
★上のような文章はちょっとありきたりだけれど、そういう文章を省略すると続きが書けないことがあるよ★
そして、心に思うことを為し得た人にも、リスクを取って破滅した人にも、何をしようか考える時間もなく死んだ人にも、特別なことは何も為さなかった人にもその一本道は存在し、それらは等価で、いずれも人生で、トゥルーエンドだ。
しかし、「あなたの人生を生きよ」と言う時の「あなたの人生」は、「何かを為しとげるか、為そうとして何かを得る」という所まで到達するハッピーエンドを指すように思える。「リスクを恐れるな」「他人や思い込みに足を引っ張られるな」「本当にやりたいことに挑戦しろ」というやつ。
生き辛そうに見える人を見ているとそう言いたくなるんだろうな。
しかし、生きることは本来楽しいことだとか、誰でも何か本心ではやりたいことがあるとか、誰でも何かを為すだけの残り時間やエネルギーを持っているとか、それは為し得た人の思い込みじゃないだろうか。
自分を出さずリスクを取らない人生だったとして、それが「あなたの人生」ではないわけがない。だってあなたのじゃなかったら怖いだろ。他に誰がその人生を操作してるんだよ。(木のベンチのささくれを剥いてばかりいる土気色の顔をした子供が操作していたら、嫌ですね。)
「一人ひとりが人生の主人公」もポジティブな言葉みたいなツラをしているが、本当に一人ひとりが価値ある存在で唯一無二主人公だったとして、グッドエンドとは限らない。
敵に体を乗っ取られたり、危険因子として味方の手で殺されたり、タイムパラドックスの影響で存在ごと消滅したり、そんなお前こそが薄命の主人公様かもしれない。
最近はそういうことを考えないように自己暗示をかけているところだったんだけど、自ら目を覚ますようなマネをしてしまって後悔している。
一旦切ってピラフのところからリトライします。
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