物語を書きなさい。#1
物語を書きなさい。
わたしよりおもしろい物語を書くの。
母はいつもそう言っていた。
ぼくは嫌だった。
だって物語なんて読むものだし、書くアイデアなんてないし、大人よりおもしろいものを書けるわけがない。
でも渋々、書かされていた。それは毎年決まっていた。10月の体育の日がある三連休だった。
「なぜ、体育の日なのに、体を動かさないで物語を書くの?」
ある時ぼくは聞いた。
「理由なんているの?」
母はピシャッとひとこと言うだけだった。
三連休の間にぼくは原稿用紙何十枚分かをつかって、物語を書いた。
それは地獄のような3日間だった。
この競争はぼくが小学一年生の、漢字を習い始めた頃から始まった。
それはそれはとてもいやだった。
書き上げるまで部屋から出れないし、ご飯以外の時はテレビも見れないしゲームもできない。
気分転換にゴロゴロしたり、本をめくってアイデアを探すのは良いというルールだった。
ずっと部屋にいると息が詰まるので、外に行くのは母の許可を取ればオッケーだったが、必ず母がついてきた。
だからぼくは、次第にこの三日間が終わるまでは外に行かず、ベランダで気分を入れ替えるように成長して行った。
この競争は本当にいやだったし、何回も逃げ出したいし、家出しようかとさえ思ったこともあった。でも、やめれない理由が1つあった。
この競争が終わると母は必ずぼくが好きな食べ物屋さんに連れて行ってくれて、そのあと好きなおもちゃを買ってくれた。
競争に勝っても負けても必ずこのゴホウビはもらえた。だからぼくは年に一度のこの戦いに渋々挑んでいたのだ。
ちなみに、競争のやり方はこうだった。
ぼくが書き上げた原稿と母が書き上げた原稿をどちらもパソコンで打ち直し、印刷して父がおもしろいと思った方をジャッジする。まあこれは、ぼくが小さい時のやり方で、母は最初からパソコンで打っていたので、ぼくがパソコンを使える年齢になると、打ち直し作業は不要になった。
父がジャッジするとき、もちろんどちらがどちらの作品かわからないようになっている。子供だからって一切手加減なしだった。
母の部屋にはたくさん本があった。
まるで日当たりの良い図書館のようだった。
母は読むのも書くのも好きな人だった。母のつくる物語はいつも本当に面白かった。だからぼくはいつも敗北していた。
敗北したあと、とても悔しかったが母の書く物語があまりにすばらしいので、ぼくは敗北した後の1か月は何度も何度も母の物語を読み返すようになった。
母はいつも違うテイストのストーリーを書いた。去年の母の作品を思い出し、今年こそは絶対ぼくが!と毎年挑むのだが、毎度毎度切り口の違う母の新作に、渾身の力を込めたぼくの作品は沈んで見えた。
一年に一度のたった3日間の戦いであるが、ぼくは次第に自ら読書するようになった。
良質なアウトプットのために、良質なインプットは必要不可欠であると考えたためだ。
たくさん本を読んでおもしろいと思うものはたくさんあったが、母の物語を超えるものには出会えなかった。
好きな作家は?と聞かれても「母」とも答えられないので仕方なく今まで読んだ本の中で面白かった無難な作家たちの名前をあげていた。
ぼくが高校二年生の頃だった。
ぼくは初めて恋をした。
遅すぎる恋かもしれない。
その子はポニーテールで長い髪を揺らし涼やかな目をした色素の薄い感じの女の子。色で例えるならば透明感のある水色。隣のクラスだった。
今まで読んでいた本の中で恋というものに触れた作品はたくさん見てきたが、なんだかしっくり来ることは一つもなかった。
しかし、やっとわかった。
恋が淡いと謳われる意味も、恋が切ないと言われる意味も、恋で心が踊ったりギュッと縮まる意味も、ぼくはやっとわかった。
本の中のことばたちはこれを伝えようとしていたのか。
ぼくは初めて本で感動した。
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