和レゲエ数珠繋ぎ-第48回- hiotoko
兵庫県 hiotoko
アーティスト名 ミッキーカーティス&ポーカーフェイス
曲名 奴隷の島
発売年 1976年
1950年代後半からロカビリー歌手として、日本の歌謡曲界を牽引してきたミッキーカーチスさん。数々のバンドを率いてロック人生を謳歌してますが、今回紹介する曲はまさにルーツレゲエ。歌詞はもちろんですがリズムもゆったりまったり歌謡レゲエでしょう。ミッキーカーチス&サムライにはジャズロック、後にはキャロルや小坂忠さんなどを送り出してるのは後世に残る上に、俳優や落語まで多才な人生。
神戸で育ったミッキーカーチスさんも早くにレゲエとは縁がありました。是非掘り下げて欲しいです。
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第39回にご協力頂いたhiotokoさんに、実は記事を2本いただいておりました。今回もありがとうございます!第48回はミッキーカーチス、トピックの多いアーティストです。
「奴隷の島」が収録されたアルバム『ファーストゲーム』の発売は76年。さらに同年、同名義で合計3枚もアルバムをリリースしています。作詞・作曲は、前述の小坂忠。和レゲエである理由はここにありそう。小坂忠の曲にはレゲエがたまに出てきます。
小坂忠のソロ・ファーストアルバムはミッキーカーチスのプロデュースです。76年にリリースされたアルバム『CHEW KOSAKA SINGS』のプロデュースもミッキーカーチス。1曲目の「ミュージック」は和レゲエ。豪華なバンドメンバーによるアレンジ等もあるだろうけど、作曲は小坂忠によるもの。
当時を振り返るインタビューに、アルバム制作時にレゲエをよく聴いていたと記載があります。「アイ・ショット・ザ・シェリフ」など曲名も。
「奴隷の島」「ミュージック」はどちらもリリースが76年であり、時期的にみてもやはり小坂忠がレゲエ好きだったことが曲調に反映していそう。エリッククラプトン、ボブマーリーの影響力が大きかったことも読み取れます。ジミークリフもありそう。
ミッキーカーチスの自伝でもレゲエやボブマーリーの影響力には言及されていました。泉谷しげるがボブマーリー好きだったようなことも書かれています。レゲエに触れているのはわずか数行の話ですが。
66年から海外での演奏を行っていたミッキーカーチスも早くからレゲエとの距離は近かったのではないでしょうか。探してみると、76年発売のアルバムにもう1曲和レゲエがありました。
『SUPER SENTIMENTAL』に収録された「COME ON-A MY HOUSE」本人もライナーにて、レゲエ調に仕上がったと語っています。江利チエミも歌っていたカバー曲。細かいクレジットはなく、メンバーにて自宅スタジオで製作していったそう。
ミッキーカーティス&ポーカーフェイス名義で翌年にもライブ盤を含め4枚のアルバムが出ています。2年で7枚。当初の予定は1年で6枚のアルバムを録音し、2年かけてリリースすることだったそう。なので目標以上のリリースをしています。すごい熱量と仕事量。
それだけ詰めて製作をしたのは、ライブに集中するためらしく、1年は製作、1年はライブ。作品は2年かけてリリースしていくというプラン。これもライナーに書いていました。勉強になります。
内容はロックが中心。しっかりレゲエを感じるのは上記2曲?微レゲエといった思い過ごしかもしれない曲調もちょこちょこあります。
これ以前のミッキーカーチスを聴くことで年代による和レゲエの線引きが見えてきそう。その辺りはまだ聴けていないので、順番にチェックしていきます。落語も見たい。
今回もありがとうございました!
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最後に告知!
hiotokoさんとリンクする機会をくれた豊田勇造さんが5/24大阪・CORNER STONE BARに登場。日本のフォークシーン黎明期から活動し、日本人で初めてジャマイカでレゲエアルバムを作ったアーティストです。しかも今回はジャマイカ・レゲエに寄せた内容で開催とのこと。光栄なことに私もDJで参加させてもらいます。貴重な和レゲエイベント。お時間ある方は是非お越しください!
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