和レゲエ数珠繋ぎ-第59回-ケイタ
アーティスト名 金森幸介
曲名 日向ぼっこが僕の趣味
発売年 1975年
私用で少し空きましたが第59回です、未だに続いている大阪編。キリよく60回までの予定です。
春一番周辺、大阪のフォーク・ロックシーンに残る和レゲエを取り上げてきましたが、その中でも初期の音源ってなんだろう?と考え今回の選曲となりました。リリースは1975年、日本全体で言っても初期の和レゲエと呼べる時期でしょう。まずは曲を聴いてください。
当時から現在まで続くラジオ番組「ヤングタウン」のオーディションからユニット「ちいさなオルフェ」としてデビューした後、いくつかのバンドを経てソロとなった金森幸介。ここまで何度か触れてきた阿部登のオレンジレーベルからもアルバムをリリースしています。その際にバックを務めているバンドは53回のSoooBaadRevue。54回のLazy Hipがライブのバックを務めていた時期もあるよう。57回の有山じゅんじレゲエにはコーラスで参加。58回で出てくるサルビアの花は同アルバムにもカバーが収録されています。
それらの出来事が全てレゲエを指す訳ではありませんが、これだけのキーワードが物語るように、シーンにおいてキーマンの1人です。
今回の楽曲のクレジットを見ると、編曲には金森幸介本人と、中川イサト、佐藤博と記載されています。タイトル通りのゆるやかなレゲエ。
ご本人のライブに遊びに行った際、なぜレゲエだったのか?と質問したところ「当時のトレンドの1つだった為、アルバムのバリエーションとして入れた」と仰っていました。
アルバムのクレジットに「Music Supervisor 中川イサト」とあるため、サウンド面では彼が中心になっていたのかなと想像します。
そしてなんとなく聞き覚えのあるタイトル。これは1973年、イギリスのバンド、ザ・キンクスが発売したレコードにインスパイアを受けているのかもしれません。
その流れで数珠繋ぎ。キンクスにインスパイアされたであろう関西のバンドの和レゲエをもう1曲紹介しましょう。その名も「貧°苦巣(ピンクス)」やはりダジャレはいつの年代にも一線で活躍します。
大阪・豊中周辺を拠点に1970年代前半に活動していた彼らは、紆余曲折を経て1枚だけアルバムをリリースしています。その中に和レゲエが1曲収録。タイトルは「のんだくれ」
イナためのフォーク・ロック和レゲエ。
36:30〜
春一番にも出演経験のある彼ら。しかし活動期間は長くなかったようで残念ながら音源や情報はほとんど残っておらず。しかし50年の時を経て同じ豊中に住む私、運良く情報を得ることが出来ました。
彼らは豊中にあった「フリーク」という喫茶店を拠点にしており、そこで「FREAK OUT」なるミニコミが発刊されていたそう。中心になっていたのはフリークを運営していた「坂本洋」。豊中在住の特権?なのか先日坂本さんとコンタクトが取れFREAK OUTを譲っていただいただきました。
そこには彼らの活動記録から苦悩までが綴られていました。和レゲエとは直接関係ないので詳細までは割愛しますが、この内容に触れるべき機会があることを願います。
成り行きで焦点をあてた関西編ですが、次から次へと和レゲエが見つかりました。50回でFLATTさんが書いてくれた三方面からの展開です。アーティストが交錯する非常に面白いシーンでした。長くなりましたが全10回の関西編、次回で締めくくりたいと思います。年内最後の更新予定。
今週もありがとうございました!