介護とBTSなんです 尻尾を掴ませない男
7月になってしまいました。よく考えると、もうすぐ回顧録の発売ではないですか。ヤバいです、月日の経つのが早すぎて。
思い返せば6月はBTSの10周年記念のフェスタがあったし、SUGAの世界ツアーもあったし、何だか盛りだくさんでしたよね。
フェスタではソウルの主要なランドマークが紫に染まったとか。さすが世界のBTS!
だけど、よく考えると、それって日本の「嵐(もう活動してないけど)」の〇周年フェスタ(やってたかどうか知らないけど)に東京都が乗っかったみたいなことですか?
違います?
いや人気と実績の次元が違うでしょうよ。
と言われたらそうなんですけど。何かちょっと…。楽しんだ皆さま、水を差すようなことを言ってすみません。まあ国家的、経済的貢献度からするとこうなるのかな。
まあそれは一旦置いといて。
先日、SUGAのドキュメンタリー映画「ROAD TO D-DAY」が劇場公開されましたよね。ご覧になった方も多いと思います。なな何と上映期間が延長されたりして、日本のファン強し。
私はこの作品を監督したパク・ジュンス氏に大いに関心を抱いたのですが、
残念ながら私の検索能力では確たる情報を得ることが出来ませんでした。ご存知の方がいらっしゃれば是非、ご教示下さるとありがたいです。
パク氏はBTSの一連のドキュメンタリー映画を監督されているようです。何が良いかというと、出来るだけ「わたくし」を排除しているように見えるところ。
例えば、一連の作品には(監督自身の意図を表現する)ナレーションが殆どありません。全てメンバーに語らせている。でも良い語りを引き出すためには効果的な質問が必要ですよね。演出力の見せどころ。しかしパク監督はどのように質問したのかさえ聞かせてくれません。全くの黒衣状態。
もちろん主人公はBTSですから。
メンバーの魅力を最大限見せるのが彼の仕事ですから。
だけど「世界のBTS」ですよ。そのツアーに密着したパク監督へのインタビューなどはもちろん、プロフィールすら殆ど検索に上がってこないとはどうしたことでしょうか。
取材を断っているのか、事務所との契約なのかは分かりませんが、とにかくパク監督は表に出ない。だけど「ROAD TO D-DAY」を含めてずっとBTSと一緒に仕事されているのを見ると、BTSとはとても相性が良いというか、信頼されているのは確かだと思います。どんな人なのかな。
で、そんなパク監督の「ROAD TO D-DAY」。
とても素敵な映画でした。素敵な映画でしたけど、何か思ってたのと違う。
そんな印象の映画でした。
何でだろう。
SUGAと言えばBTSの楽曲づくりの殆どに参加してきた、言わば屋台骨のような存在ですよね。また、デビュー前にも後にも色々な試練があって、語弊のある言い方ですが、よくドロップアウトしなかったなあ、と思うぐらいドラマティックな人物です(検索によると)。
だから期待値が大きすぎたのかな。
冒頭から「最近、何も話すことがないんです。色々なものを得てしまったからなのかな」みたいな、ぼやきが始まります。
色んなところを旅して、色んな人に会って、それなりに楽しそうなんだけど、どことなく淡々としている。
サービス精神が旺盛な人だ、ということは、ファンの皆さまが上げて下さる動画を見ても分かります。タリョラバンタンでも「バラエティーってのはこうやるんだよ~」などと言って、コンテンツの趣旨に忠実ですもんね。
今回の映画でも多分、多分ですけど
「SUGA、今度のソロアルバム発売に合わせて、君がメインの映画を作ろ うと思うんだ。BTSのメンバーとしてじゃなく、AGUST-Dとしての映画。ファンは君のもう一つの姿をきっと見たいと思うんだ」
とか何とか提案されて
「あ、分かりました」
みたいな感じで撮影が始まったと。
で、パク監督はSUGAに密着してAGUST-Dの本質に迫ろうとするんですが、撮影中に釘を刺されているんですよね。
「カメラが回ってたら曲作りなんかできない」
とか
「曲作りっていうのは排泄なんですよね、排泄」
(介護職あるある「排泄」と言うフレーズに敏感)
誰が自分の排泄行為を人に見せたいと思うでしょうか。
勿論、撮影を許可している訳ですから曲作りの場面はたくさん出てきます。SUGAのサービス精神というか、ファンへの愛ですよね。いい人なんです。だけど肝心なところはカメラNGみたいな。
当然ですが、それがいけないと言いたい訳じゃないですよ。誰だって自分の見せたくない舞台裏はあるし、踏み込んではいけない部分がある。
だから私は映画を見て、こう思うことにしたんです。
SUGAは自分の色々な面を撮らせて、自分の考えも語って、ファンの愛に応えようとしている。だけど最終的には尻尾は絶対に掴ませない男。
言い方を変えれば、それだけの多面性を持っている人物であるということもできます。
そもそもSUGAとはどんな人物なのか。
BTS誕生のきっかけはRM氏だということは有名な話ですよね。パン・シヒョク氏がその才能に惚れ込んで「絶対にデビューさせなければ」と決心したという。そして「絶対的ヒップホップグループ」に仕上げるというコンセプトの下、次に参加したのがSUGAだった、と何かで読んだことがあります。
そこで私、ちょっと想像するのですが、RM氏に才能があるというのは当然のこととして、パン氏とRM氏は音楽以外のことでも凄く話が合ったんだと思うんです。
パン氏は名門ソウル大を卒業した超インテリとのこと。そしてRM氏のIQの高さも有名ですよね。
ただ生まれつきIQが高いというのは滅多にない話で、RM氏は相当な英才教育が受けられる家庭環境にあった人だと思うんです。
インテリ同士だから話が合う。でも何かが弱い。実際に話してみると、意外とお坊ちゃまだった、みたいな(あくまで想像ですよ)。
過酷な芸能界でやっていくには、何かもうひとつインパクトが必要だとパン氏は感じたのではないでしょうか。
そこに現れたのがSUGAです。たぐい稀なる才能は勿論ですが、そのバイタリティというか、生きてきた環境に根差した反骨心というか、粗削りで、恐らく全然スマートじゃなかった。
パン氏自身も名門大学出身でありながら、社会的には一段下に見られているという芸能界でとても苦労されたと思います。プライドも一杯傷つけられたでしょう。そこに、自分の反骨心を具体化したような男が現れた。
「これで行ける!」とパン氏は思ったに違いありません。
アイドル路線に舵を切ったとき「ちょっとさらっと踊るだけだから」と言いくるめたり、練習生時代に学費免除したのも、絶対にSUGAを離したくないと考えたからでしょう。
始まりはRM氏だったけれど、彼をより輝かせ、BTS全体をより強くしていくためにはSUGAが絶対に必要だった。
一方SUGAの方はどう考えていたかというと、彼自身色々なところで語っているように、元々は作曲家またはプロデューサーとして活動したかった。BTSだって最初はヒップホップグループになる予定だった。なのに突然、アイドルへの路線変更。ゴリゴリのラッパーたちは自らの名誉?を守るため、次々に事務所を去っていったといいます。SUGAも迷ったことでしょう。何せまずアイドル顔じゃないし(ディスってるんと違いますよ)
だけどSUGAの大きな長所は、その柔軟性です。
SUGAはアイドルを決して下に見ていなかったと思います。
事務所を去ったラッパーたちにとって、アイドルとは女子供がキャーキャーいうもの、中身の薄いもの。それに較べてヒップホップはメッセージ性が勝負。女子供相手にチャラチャラやるもんじゃない、みたいな。
聴く側にとってはアイドルであれヒップホップであれ、単なるジャンルの違いなんですが、ゴリゴリラッパーにとっては彼らなりのヒエラルキーがあったんでしょう。
勿論SUGA自身もアイドルという立ち位置には困惑したと思います。だけど何であれ、自分の音楽を世に届けたいという思いの方がより強かった。
だからヒップホップ+アイドルという当初とは違ったコンセプトにはなったけど、BTSのメンバーとなった。
デビューしてからの苦難は皆さまも充分ご存知だと思うので、私などが言うべきことは何もないのですが、とにかく逆風は凄かったようです。すみません、この時代を知らずに書いているのですが…。
ただ楽曲を聴いていると少しは想像できます。
映画の話から、突然コンサートの話になって申し訳ないのですが、SUGA、最後に「THE LAST」を歌ってましたね。
和訳を拝見すると、ラッパーでありながらアイドルでもあるという二面性を
自分ではどうしても認めることができず、商業的に成功したことで、より一層、傷ついていることが綴られていました。
本当にしんどかったでしょう。有名人にありがちな誹謗中傷の中でも、覚悟していたとはいえ、これが一番辛かったのではないでしょうか。過去の病いがぶり返すのではないかという恐怖にも苛まれている。聴いているだけでも辛い曲です。
何でこの曲を最後に持ってきたのか。
その答え?をSUGAは映画の中でこう言っています。
「AGUST-Dとしての作品を3部作にしようと思っていました。〈D-DAY〉がAGUST-Dとしての最後の作品になると思います」
つまりAGUST-Dとして言うべきことは全て言った、ということですよね。
SUGAのミックステープ。石の上にも3年と言いますが、最初の作品は
2016年とのことだそうです。BTSという義務?を一生懸命果たしながら、BTSではやれないことをやりたかった。
だから「SUGA」ではなく「AGUST-D」。
表現者として、自分のアイデンティティを模索していた時期だと思います。誹謗中傷に立ち向かっていくためには絶対に必要なことでした。
だけどアイドルとして一定の成果を出せば出すほど、混乱は深まる。
また、その成果といっても結局は売上であったり、どこでコンサートができるかといったステータスであったり、勿論大事なことなんですけど、どこか本質とはかけ離れている。
自分が何者であるかを考える時間は、本当に孤独です。
ただ映画を見ていて感じたんですが、SUGAって意外?と職人気質でもあるんですよね。「会社員のように曲を作る」って言ってみたり「今たくさん作っておくと、後が楽なんです」と言ってみたり。
アイデンティティの模索はとても大切なことなんですが、年がら年中考えている訳ではない。ずっと心の奥底にしまいつつ忙しく仕事しているうちに、ふっと楽になった時期があったのではないでしょうか。
それがいつ頃かは分かりませんが、多分、活動の幅が広がっていった時期と重なると思います。
映画の中でHALSEYさんの家に遊びに行ったとき、SUGAは
「性別や言語が違っても分かり合えることってあるんですよね」
と語っています。
多分こういう経験を少しづつ積み重ねてきた。アイドルとかヒップホップとか言う前に、自分自身を見てくれる人がいる。
批判されたとしても、それは自分の立ち位置ではなく、楽曲への姿勢に対してであったり。
「あなたは、あなたなんだよ」と言う言葉が、繰り返し心に沁みてきた時期があった。
彼は自作曲の中では「PEOPLE」がお気に入りなんだそうです。
和訳を拝見すると、
「俺はどんな人? いい人? 悪い人? 評価は様々 だけど俺も人間
みんな変わっていく 俺も変わったように」
と綴られています。全編もう本当に素晴らしい和訳をして下さっているのですが、ふっと楽になった瞬間を歌った曲のように思えます。
ヒップホップを志しながらアイドルと言う選択肢を受け入れ、そのことに悩んでも来た。だけどいつの瞬間か、彼は自分自身のアイデンティティを確立していた。SUGAが俺なのか、AGUST-Dが俺なのか、じゃなくて、どっちも俺。
あの赤と青のビジュアルを見ると、そう思えますよね。
コンサートの最後に「THE LAST」を持ってきたのは多分、決別宣言。
BTS第2章では「俺はもうこのようなことでは苦しまない」という決別宣言だと思うんです。
あのときは本当に苦しかったけど、今はそういった過去の自分を愛せるようになった。そんな愛着のある曲なのではないでしょうか。
映画では、私が想像する「ふっと楽になった瞬間」の話はありませんでした。やたら飲んだり食ったり、坂本龍一氏にピアノ演奏を披露して失敗したり。
曲作りの場面では「数千回は聴き直す」とか言ってます。いやちょっと盛り過ぎでは?
「もう嫌だ、もうやめる」と言いながらも映画全体に漂う穏やかさ。
そして、映画の中で彼は何曲かを披露してくれています。つまりは彼の排泄物!を我々は見せられている訳ですが、要は「俺のことが知りたいのなら、まずは曲を聴いてくれ」と。「曲を聴いて想像してくれ」と。「俺の本質は映画だけでは表せないよ」と。
柔軟で多面性を持つがゆえに、はたまた大いに人見知りであるがゆえに、それとも自分の見せ方をちゃんと心得ているがゆえに、尻尾を掴ませない男。
パク監督、共同正犯やな。
最後までお読み下さった方は本当にありがとうございました。
的外れな部分も多々あると思います。どうぞご容赦下さい。