オタクはリスク許容度が低すぎるのでは
メルカリが炎上してる。何でも中古商品の取引で詐欺られたからだという。中にはだから俺はメルカリを使わないのだなどと豪語する人もいる。
とはいえ中古商品を直接中古ショップに売りに行ったらメルカリの半分の値段もつかないことは多い。逆に中古ショップでの売値は往々にしてメルカリよりちょっと高かったりすることもある。交渉の余地もない。
トータルでみれば一つの取引で完全な損失を被ったとしてもメルカリを使うことによる収支はプラスになることも多いだろう。
無論メルカリが持つ社会的責任について問題がないわけではないが、ネットで観たときの社会に利益をもたらしているように思える。すなわちメルカリ以前とメルカリ後ではやはりいろんなものの流通がスムーズになっているのではと感じることが多い。メルカリにはリスクはあるものの、確率的にはユーザーにプラスをもたらす側面があるからこそ支持されているのだと思う。
LUUPなども目の敵にされているが、確かに個別の交通マナーに際しての問題はあれど、実際問題微妙に徒歩でも電車でも行きづらい場所というのは都内各所にあり、そういったニーズを埋める存在に一定の需要があるのは理解できる。ちょっと試した人に「リスクに対する考えが甘いので採用しません」などとイキるのはリスク許容度がひくすぎるようにみえる。
とはいえこういうことを言う人の気持ちは結構分かるつもりで、かつてはこのようにリスクを嫌い、それを社会的責務などの回路を使って正当化しようとする気質が自分にもあった気がする。リスクを回避すれば失敗はしないし何だか賢くなった気もする。
ただ最近になって思うのは、基本的に現代社会においては即死級のリスク(闇バイトとか)を避ければ、意外とリスクを取った方がプラスになることが多いということだ。
たとえば「恥をかく」などは基本的にノーリスクだ。健康に関して喧伝されるリスクも確率的に極めてまれな例や個人としては差分が見えない範疇のリスクが喧伝されがちに感じる。例えば受動喫煙など基本的にはノーダメージの類に入るはずだ。
また決断の際にはどちらの選択肢にも一定のリスクがあるという状況が往々にして発生する、しかしむしろリスクを取らずに決断を先延ばしにした際のダメージの方が大きいということは良くある。
個人的には、重度の後遺症を負わない・死なない・財産の10%以上を失わない・前科がつく可能性がないようなリスクについては積極的にとるようになってから人生が良い方向に向かい始めたように感じる。
何事にもリスクはつきものだし、インターネットを見ていると物事の悪いところを探す認知バイアスがかかりがちな気がするという話でした。
街に出なよ。人に会いなよ。このままじゃ、あなたはどこにも進めないよ?