東映版Keyのキセキに寄稿しました
東映版Keyのキセキに寄稿しました。
無駄に長大な記事を投稿した覚えがあります。自明なことをたいそうな長さで書いた覚えがありますが、まあ意外と自明なことというのは記録に残りにくいという話もあるのでそういった観点を記録したものとしてご容赦ください。
タイトルに関しては私は関わっていないのでよく知りませんが坂上秋成氏による『Keyの軌跡』を補完するという意味合いも込められているっぽいです。
『Keyの軌跡』はまあいろいろなKeyにまつわるイベントをまとめた一冊として参考になるのですが、一方で各作品の概論程度を示した入門書的側面が強すぎる点、またRewriteを除くと麻枝准氏が関わっている作品に注力しすぎているきらいがあったという欠点があるように思います。特にplanetarian/Harmonia/くどわふたーなどは完全にスルーされており、また東映版作品もスルーされています。planetarianは映画化までしてるのにナンデ。。。
以下は宣伝も兼ねて東映版とかKeyにまつわる思い出とかを書いていきます。
Keyを知ったのは多分ニコニコ経由だと思います。組曲『ニコニコ動画』に『鳥の詩』が入っていて、「AIRという鬱アニメのOP」らしいということを知ったのが本当の最初のきっかけでしょうか。鳥の詩は「アンインストール」の次に入ってくる曲なので「ぼくらの」のイメージが重なっていて、またAIRというタイトルが空=青い=蒼穹のファフナーを連想させたため、なんか人が死ぬロボットアニメなのかなと思っていました。ニコニコ動画流星群にはマブラヴの曲も入っていて、それ経由で人が死ぬロボットもののエロゲーがあるらしいということも知っていたので。。。
ともあれ鳥の詩とかは普通にいい曲だなと思った覚えがあります。しかし当時は、なんかオタクはダサいよねという風潮が今よりもずっと強く、アニメを見たのはずっと後でした。CLANNADとかはいかにも萌えアニメっぽいですからね。とはいえ「朝生とかで社会問題を論じている東浩紀」が評価しているということが判明し、なんか知的な雰囲気があるじゃんということで京アニ版CLANNAD/AIRをようやっと見た気がします。
そこからは割とKeyの音楽にハマった気がします。なんか当時は歌ものというのは軟弱なものが聞く音楽だと思っていたのでサントラしか聞かなかったのですが、その中でもAIRやKanonのサントラは結構好きでした。
さらに次第にボーカル曲も受け入れるようになってからは、Keyのボーカルソングを収集するようになるのですが、その経由で劇場版CLANNAD/AIRについて意識するようになった気がします。Wikipediaとかを読んで「黒歴史」があるということを知り、しかし楽曲のアレンジは聞いてみることにしたという形です。
楽曲の中では「メグメル ~frequency⇒e Ver.~」が好きでした。これは京アニ版の「メグメル 〜cuckool mix 2007〜」にかなり近いアレンジなのですが、間奏のピアノがきれいで、通ぶりたい年ごろだったこともあり、当時はこのアレンジを推していたように思います。
それからずいぶん経って、自分用のPCを買ったことをきっかけにようやくPCゲームに手を出し始めました。とくにRewriteのOPの『Philosopyz』がカッコよくて、Rewriteをすぐに予約した覚えがあります。Rewriteに衝撃を受けたことで本格的にKey・エロゲファンになっていきました。
で東映版に話を戻すと、本格的にKeyファンになったあたりで一度見ておくかという気持ちになり見たのが初見です。なんか片手間に見たので正直印象にないのですが、世間で言われているほどひどいアニメではないなという印象を受けました。
特に劇場版二作については、作画面に関しては出崎さんの癖と思われるものがあったり、一部異常な構図(魚眼レンズっぽいやつとか)があるのを除いては「作画崩壊」は特にないですし、別に絵だけ見ればとても良い作品だと思います。
「AGON」として親しまれる東映版Kanonに関しても、別にいたる絵が再現されているだけで、ネタにされるほどAGOが目立つかという印象を持ちました。とくにその当時はアニメの本数も増えて「作画崩壊」っぽいアニメも増えていたと思うので、それらと比べたときに別に品質の低さは目立たないように思えました。
AIRに関しては「ゴール」が謎だなとか、CLANNADに関しては結構原作の朋也の父との和解エピソードが好きだったので、そこの改変はあまり好きではないなぁと思ったりはしたのですが。
作品としては普通にCLANNADはまあまあ好きな部類ですね。原作は「人生」という感じの紆余曲折を描いているのですが、じゃあ映画にするとしたら尺が足りないわけで、そこで朋也の成長物語として描くというのはまっとうでよいと思います。あの星野源も評価する劇場版CLANNAD面白くないわけがないですね。。。
東映版KanonはOP/EDはいいですが、総合的にはやっぱり京アニ版の冬の描写が好きです。こちらの祐一は京アニ版ほどのプレイボーイではないという点が評価できるかもしれないですね。東映版は割とがっつり三角関係を書いている点である種全うです。
東映版AIRはちょっと評価しがたいですが、風になりたいキザな国崎さんもまた良いものです。
改めて振り返ってみると東映版はどれも「恋愛アニメ」としてまとめている感じがありますね、Kanonは「名雪VSあゆ」、AIRは「病弱な観鈴と旅人国崎のひと夏のロマンス」、CLANNADは「病弱な少女を失った朋也が父親になる話」と。
でも冷静に考えるとKeyアニメというのは全体的に恋愛を主軸に置きながらもそこから唐突に遠ざかるという構図を取りがちであり、そのエッセンスを東映版は捉えそこなっていたともいえるかもしれないですね。(記事に書くべきだったかもしれないですが、いま書いていて気づきました。)
しかしいわゆる「黒歴史」言説が広まったのは2chまとめ系の過剰な煽りの影響が確実にあるなと思いました。アニオタWikiとかはバカにされていた頃の空気をふんだんに含んでいる内容です。一方でニコニコ大百科はかなり好きな人が書いている印象がありますね。
当時のことを考えると自分も相当に影響されていたように思います。アニオタWikiの「ねこねこソフト」の項目なんかも「ヨスガにソラってろっ」で炎上した時の空気が残っていますけど、そんなのでキレるのかという内容です。声優の交際関係とか、ヤマカン叩きとか、2005~2015年ぐらいの作り手に対する敬意のなさはあまりにひどかったなと思います。とはいえ最近の「『批判』批判」みたいな状況もあまり好ましいものではないように思えますが。
なんにせよ作品の良し悪しぐらいは自分の軸を持って定めていきたいものです。
で話を戻すと、このような視点で、じゃあ何でKeyファンからは東映版は黒歴史扱いされているんだろうねという話を私の記事ではまとめています。対談でも似たような話をしたりしています。
記事を書いている人の中には歴戦のオタクともいえる非常に知識の濃い方もたくさんいるので、情報量的には確実に満足いく内容になっているのではないかと思います。
手前味噌ですが、1500円は安いと思うので買っておきましょう。Boothはクレカとかなくても買えるし、匿名配送ですし、自宅に届くのが嫌でも営業所止めとかもできるっぽいです。(ちなみにこういう批評系の本は、後々欲しくなると大変苦労することになります。再販がかかった「麻枝准トリビュート」も未だに駿河屋で8600円したりしますし。。。)
しかしKeyの軌跡ではPlanetarian/Harmonia/くどわふたー当たりなんかも語り落されているわけですが、そこら辺を回収する企画とかあってもいい気がします。
特にPlanetarianとかは、「Key作品」として見直すとある種メタ的な批判みたいなものも感じられなくもないです。ゆめみはロボットで好感を持たれるように作っていますし、ロボットから流れる涙は雨ですし。。。また「星の人」では結構SF的な要素を前面に出していて、Rewriteにも通ずるものもあるかもしれません。