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氷河期世代、VTuber、ワンピース
氷河期世代自己責任論が炎上してた。
炎上していたツイートの内容は「氷河期世代もいい年なのだからもはや現在の苦境は自己責任だろ」みたいな内容だ。さすがに氷河期世代の就職の難しさ、当時の日本における新卒以外でのキャリア形成の難しさを考えると言い過ぎといえる内容ではあるだろう。
しかしその反応の中には正直首を傾げたくなるようなものもあった。「氷河期世代が自分たちにされた仕打ちを繰り返さないようにしたから、職場環境が改善した」といった内容だ。
主観では、いわゆる「働き方改革」を氷河期世代が主導したとは思えない。世の中の働き方改革の機運を大きく高めたのは、ゆとり世代の新入女性社員が自殺した、2015年の『電通社員過労自殺事件』だったと記憶している。またそもそも働き方改革は、国際化に伴うコーポレートガバナンスの強化、売り手市場の転職市場など企業内外の競争環境の変化によってなし崩し的に進んでいた側面が強かったように記憶しており、何にせよ、「氷河期世代の主導した働き方改革」というのは自分の記憶にはない。
就職が厳しかった世代が大規模な労働争議などで抵抗を示した…というのも記憶にない。ロスジェネの自己表現といえば赤木智弘の「希望は戦争」を思い出してしまう。ざっくりいうと、「現代社会でもはや自分は社会階層をのぼることはできないが、戦争のように世の中がカオスな状態になれば、自分も丸山眞男のようなエリートを殴るチャンスを得られるかもしれない。故に戦争こそが希望なのだ」といった内容だ。若い頃は赤木智弘の切実な表現に対する団塊世代の無理解な反応に反発を覚えていたのだが、今彼の主張を反芻してみると「世界が壊れてしまえばいいのに」といった内容であまりにナイーブで受動的な表現にも思える。いや丸山眞男を引っぱたく妄想に浸る暇があればデモに行って労働争議を起こせよ。
また氷河期世代の倫理観も「復讐の連鎖を断つ」ことを決意するほど高かったとは思えない。氷河期世代は90年代の露悪・鬼畜カルチャーの一大消費者であったわけだし、別に倫理観は高くない。Twitter上でも彼らが2chでゆとり世代を死ぬほど馬鹿にしてたことを蒸し返している人間も多い。ゆとり世代は「飲み会に出ない」「定時で帰る」「3年で辞める」などの堪え性のなさを批判されてきた世代であるが、こういった伝統的パワハラ文化を拒否する若者に対する嫌味を、自分たちに向けられたものでないからとニヤつきながら傍観視していたのが氷河期世代である。このような事実を勘案すると、結局のところ氷河期世代は上からやられてきたパワハラを若者にし返す事ができないことに腹を立てているだけで、別にさらに上の世代が持っていた攻撃性を捨て去っているわけではないのではないかと邪推してしまう。
そもそも個人的には事後的に過去の理不尽な慣習を否定する人間に対する不信感がある。理不尽な慣習が横行していた当時にも声を上げる人間がいるのだが、大抵の場合マイノリティ的な反抗者というのは冷や飯食らいになる。自分はどちらかというと理不尽を受け入れられず、反抗してしまい損をすることが多かったから、事後的に往時の集団思考を否定して得意がる人間というのは、集団との対立を下げることによる安寧を得つつ、事後的な道徳的優越を得ようとしている点で二重に薄汚く感じる。まだ当時の行いを無理にでも正当化しようとする人間の方が好ましく思える。(実際理不尽な伝統文化は形骸化する以前は一定の合理性があったというケースもあるだろう)
また氷河期世代の激務は日本の競争力を復活させたわけではない。中国の若者は996で働いて世界を驚かせるプロダクトを生み出しているが、氷河期世代の頑張りは内向きの消耗戦に費やされてしまった。中国が台頭し日本が衰退するのはある意味既定路線であって、その国際情勢の流れに勝つifがあったとも思えないが、氷河期世代とは、悪い書き方をすれば、「日本が再起するチャンスはまだあったのに、内向きの評価競争に明け暮れた果てに失った世代」ともいえるだろう。彼らが苦労をしてきたとしてもそれが何も生み出さなかったのであれば、彼らの苦労に報いることはできない。
さて、ゆとり世代を死ぬほど馬鹿にしてきた上の世代をひとしきり叩いたところで、我が身を振り返り下の世代を過度に馬鹿にしてないかと考えてみた。最近の若者文化の中で気に食わないのは「推し文化」、「VTuber文化」だ。
これは新しい物が悪いというよりかは、たんにその疑似恋愛を通した搾取や売春的な側面が気持ち悪く応援する気になれないというだけだ。VTuberや推し文化が登場する以前から、「交際相手がいることを公言したら人気が落ちる」ような売り方をしているアイドルのことは嫌いであった。声優アイドル、秋元康のグループアイドルも嫌いなのでその延長線上ともいえる。別に新興の文化だから嫌いというわけではない。
若者については、Tiktokとかで消耗したりルッキズムに全振りするのは普通にやめたほうがいいとも思うが、それは単に健康に悪そうだからという話であって、やはり若者文化を若者文化という理由で叩いてるわけではない。俺は身近な若者には優しくしているので無罪だ。
さてVTuberに話を戻すと、『ワンピース』のOPがVTuberとコラボしたものになるとなって、ゆとり世代のダサい大人が憤慨するという事件があった。
個人的にはワンピースとVTuberの並びには特に違和感がない。そもそも『ワンピース』はあまりにIPとしてでか過ぎてオタクの繊細な拘りに配慮するような作品ではないし、オカマの扱いなどに見て取れるようにテレビ番組文化に迎合するような作品である。例えばかつては平成の怪物的テレビ番組『クイズヘキサゴン』という俗世間を煮詰めたような番組とコラボしたOPが使われたこともあった。そしてVTuberとは「令和のヘキサゴン」であると黎明期に指摘されている。要するに令和版ヘキサゴンコラボが、今回のワンピースのコラボであり、全く違和感はなかったという話がしたかったのでした。
VTuberは、『馬鹿な女をおもちゃにして楽しむコンテンツ』になりつつある。自由に茶化せる配信者。何を言ってもいい女。英語ができない女に単語テストをやらせて、馬鹿な回答をしたら「草」と書くコンテンツになっている。令和のヘキサゴンかよ。
愚かな人類は愚かな流行を繰り返しているのだから、不毛な世代間闘争は辞めよう!
唐突かもしれないけど、
人生そんなものだから、そこは諦めて