パラサイトな私の日常 第3話:ほのかな想い
「侑くん? ……あの侑くんなの?」
低い声、高い身長、広い肩幅、骨ばった長い指。あのかわいい侑くんとは、似ても似つかない……。いや、よく見るとやはり目元はあの『侑くん』だった。幼稚園児だった男の子が急にカッコいい青年となって姿を現した。
オレンジ色の夕日が向かいの窓から差し込むのを、眩しそうに手で影を作りながら、目を細めて私だけに向ける笑顔。映画のワンシーンみたいだ。一瞬、少女漫画みたいな展開を妄想したけれど、自分にそんな展開があるわけないと瞬時に考え直した。
互いの近況報告に、電車の3駅はあっという間に過ぎた。田河駅で一緒に降りる。侑が松葉杖を使って慎重に降りるのを心配そうに見守る悠。駅に降り立つと、互いに別れるタイミングがわからなくなり、
じれったく
『あ……じゃ、じゃぁ』
と言葉を交わす。駅を挟んで二人は背を向けて反対方向に歩きはじめた。
「あ……あの、悠さんっ!」
くるりと振り返る悠。線路を挟んで、学生服姿の侑がこちらを見つめている。若いエネルギーが漲っているのか、後光がさしているように見える。
「明日も、同じ時間の電車?」
声を張る侑の言葉を受け、悠の顔がほころぶ。
「うんっ。一緒の時間だよ。6:50の電車に乗るよ!」
最近では出したことのない音量の声で、悠が返す。その笑顔に安心感を得る侑。
「わかった。じゃぁ、また明日!」
「うん、また明日!」
柄にもなく、腕を高く上げ、ぶんぶんと手を振る悠。それを見て侑は、照れ笑いを浮かべつつ、松葉杖を持ち直し、くるりと方向転換して歩き始めた。それをしばらく見守った後、悠もくるりと背を向け歩き出した。胸がきゅっと熱くなり、頬に火照りを感じ、スキップをしたい気分を抑えて、家路についた。
その日から、毎朝、毎夕、高校3年生になった侑と電車で3駅を共に過ごした。侑は、陸上部に所属していて、夏休み中に開催された高校最後の大会で右足首を骨折したらしい。骨にヒビが入り、全治1か月半程度とのことだった。
一緒に暮らすお祖母さんのこと、中学・高校に共通で知っている教師はいないか、テレビやラジオの話、何でもない世間話を楽しんだ。侑は、時々あの頃の懐かしい思い出話をしたが、悠は覚えていないことも多くて、その度に少し悲しそうに微笑むのを申し訳なく感じた。実際、当時5歳だった侑の記憶がどれほど確かなものかも確認しようもなかったのだが……。
毎日、こどものように無邪気に話す侑をみて、あの頃の面影を感じつつも、12年前とはまた少し違う心地良さと高揚感を感じていた。
1ヶ月後、ギプスはとれた。夕方の田河駅で別れようとすると、侑が呼び止めた。
「俺の足、完治したんだ。 明日からは自転車通学に戻るよ」
「そう……」
途端に寂しさが襲ってきた。相変わらず、互いの家も連絡先も知らない。この時間この電車だけのつながり……。次の約束があるわけでもない。そう思うと、何だか切なくなった。だからこそ、悠はできる限り明るくさよならの挨拶をしようとした。
「じゃぁ、これで会うのも最後だね! またどこかで偶然会えるかな? 受験勉強頑張ってね!」
そう言うと、侑がまた悲しそうな顔で微笑む。
「悠さん……、せっかく再会できたのに、これで最後とか言っちゃうの? もう、お互い子どもじゃないよ? インステのIDぐらい教えてよ……」
コミュ症で友達のいない悠が写真投稿のSNSなんて、やっているわけがない。そして、さらりと誘う侑のまた違う一面を知り、ツキンと心が傷む。今時の高校生、いや今時の人なら普通のやり取りなのかもしれないな……わからない……。
「え? っと……私、インステしてなくて……」
友だち慣れしていない自分を晒すようで急に恥ずかしくなり、勇気を出して次の言葉を出してみる。
「あの……LIMEならやってるんだけど……」
『あ……LIMEは、親しい人同士じゃないと交換しないのかな……』
言葉を発した直後、今時の『普通』がわからず、断られる恐怖に襲われた。悠は、LIMEも外出先で家族と事務的な内容を伝える手段としてしか使用していない。
「やった! LIME教えてくれるの? これで連絡が取れるね!」
どうやら、侑もLIMEを聞くのには遠慮があったようだ。小さくガッツポーズをした侑を見て、失敗しなくてよかったと胸を撫でおろす。操作方法がわからない悠は、スマートフォンを渡してIDの交換を任せた。
その日から、毎日のように他愛もないLIMEのやりとりが始まった。会話が苦手な悠にとって、文章を打つ方が言葉を作る時間を稼げるからありがたかった。とはいっても、何度も読み返し、推敲して、余分な文章は削り、短い返事をするのが精一杯だったけれど。
侑は、教室から見える空の写真や、最近読んでいる本、その日の昼食や、通学途中に見つけた面白いものを、写真に撮っては送ってくれた。悠は変わり映えのしない毎日の何を撮っていいかわからず、専ら、侑が送ってくれるLIMEに感想を書いて返信した。侑の色鮮やかな日常が眩しく見えた。同じ高校に通っていたはずなのに、こうも違うものかとむなしくなることもあった。
侑と同じ時期に高校へ通っていたら、自分たちが交流することはなかっただろう。侑とは住む世界が違う。そう卑屈に思っていた。
一方で、侑とのLIME交流は、つまらない日常に彩も与えていた。電車でも会社でも家でも、スマートフォンを手放せなくなっていた。これまで静かだったスマートフォンが一日に1、2回、音を立てる。その瞬間にスマートフォンに飛びつく。それを見て、母親は怪訝そうに『ニヤニヤして気持ち悪いわね』と言った。そう言われて、頬が緩んでいることに気付く。それからはできるだけポーカーフェイスを心掛けた。でも心の色は隠しようもなかった。
そしてもう一つ楽しみができた。毎朝、自転車通学の侑が駅の前を通る時に手を振っていくのだ。朝から侑と会える。ほんの数秒の逢瀬がこんなにも愛しい時間となり、一日の活力を与えてくれるだなんて知らなかった。悠にとってこんなに親しい友人、しかも異性がいることは初めてだった。
『私と侑の関係って……何なんだろう? 侑は私のことをどう思っているんだろう?』
人の欲はどんどん嵩を増す。最初は、電車で偶然会えるだけでいいと思っていたのに、LIMEやりとりが可能になると、毎日LIMEが来ないと寂しくなる。返信が遅いと気になる。相手の反応が良いと、自分への気持ちを確かめたくなる。そして、その気持ちが特別なものであってほしいと望むようになる。さらには、その証として二人の関係性の名称を欲し、独占したくなるのだ。
悠には、まだ人を一人、独占するまでの勇気はなかった。それでも、自惚れではない程度に侑の好意は感じていた。いや、この程度のLIMEくらい、侑は友達にするのだろうか?……わからない。侑の自分への気持ちを想像しては、ある時は肯定し、またある時は否定し、悶々とする日々か続いた。これまでろくに人と関わってこなかった悠には、人との距離感や、何が普通で何が特別なのか、全くわからないのだ。それを相談する相手もいない。
二人の関係に名称をつけたいような、つけたくないような複雑な心中。
26歳にして初めて、悠は高校生になった侑に恋をしていた。
平日の朝、駅で手を振る行為とLIME以外には、外で会う約束をするわけでもなく何の進展もなかったが、悠にとっては十分すぎるほど、刺激的で心地良い、色鮮やかな『非日常』に変化を遂げていた。
再会から3カ月、季節は晩夏から冬に移り変わりつつあった。
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