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【短編小説】わたしの夢
『私の夢は――』
ジリリリリ……けたたましく鳴る目覚まし時計を止めると、また布団に潜る。
「起きなさ〜い。遅刻するわよ」
階下から母の大きな声が聞こえる。これを三回繰り返すと、母の声は殺気じみたものに変わる。
「いい加減にしなさい!」
この声を聞いて私はやっと起き上がる。着替えて階段を降りる。ぼんやりした頭で母が作ったおにぎりとお味噌汁を食べる。朝食を済ませ身支度を整えた私は、ランドセルを背負い、靴を履く。弟が私を追い越して先に玄関から飛び出した。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい。気をつけるのよ! あの子は本当に危なっかしいんだから」
両親に見送られる。
登校途中で親友のカナとユイに合流すると、カナが興奮気味に話し始めた。
「昨日のМスタ見た? KEN最高だった! ダンスも歌も神だよね! あ、NAOKI推しだっけ?」
そんなやりとりをしているうちに学校に着いた。4年2組の教室の窓際の一番後ろの席に座る。そよそよと揺れるレースのカーテンが肩を撫でる。隣の席のナオキが少し遅れて登校してきた。
「おはよう、花澄」
誰にも聞こえない小さな声で挨拶をする。ナオキは病弱で入退院を繰り返しているせいか友だちも少なく、物静かで、少し大人びている。今日は久しぶりの登校だった。
私はNAOKI推しなんかじゃない。ナオキが好きなことをカムフラージュしているだけだ。「ナオキ推し」バレそうでバレないドキドキを楽しんでいる。
担任の先生が教室に入ってきた。朝の会が終わると授業が始まる。1、2時間目は学活だった。
「今日は、『夢』をテーマにした作文を書いてもらいます」
「「「 えー! 」」」
一斉にブーイングが起こる。
「静かに。もうすぐ二分の一成人式があるでしょう? そこで発表してもらう作文です」
再びブーイングが起こる。先生はお構いなしに原稿用紙を配り始めた。
『夢かぁ。私の夢は……』
1時間目が終わり、休み時間になると急にクラスがざわめきだす。カナとユイは席が近く、もうお喋りに夢中になっていた。私もそっと仲間に入る。
「ねぇ、ユイは作文、何て書いた?」
「とりま、保育士になりたいって書いた」
「すごいじゃん。将来の夢とかあったんだ?」
「いや、まだわからないけど。女子の将来の夢って、花屋とかパン屋とか……そんなもんじゃない?」
「確かに。まだ夢なんてわからないよね」
「で、カナは何て書いたの?」
「私? 私も何を書いていいかわからなくて。悩んでいるうちに終わったから、まだ白紙。一番の夢はKENと結婚することかなぁ」
「いいじゃん。それ書きなよ。KENと結婚するのが夢です。だからアイドルを目指します! とかどう?」
「それいい! 次の時間、書くね」
「本気? クラスの保護者全員に聞かれるけどいいの?」
「そっか。これ発表するんだったね。恥ずかしいかな?」
「まぁ、カナのキャラならいいんじゃない?」
二人が笑う。
『いいと思う。保育士もアイドルも結婚も、素敵な夢だよ。私の夢はね……』
言いかけたところで、2時間目開始のチャイムが鳴り、みんながぞろぞろと席に着いた。印刷用の綺麗な原稿用紙が配られる。作文は学年全員分をまとめて文集にするらしく、先生の合格をもらった生徒から、清書をするように言われた。
私は結局、2時間目が終わっても作文が書けないままだった。「書けなかった人は宿題です」先生はそう言い残して教室を出た。
3、4時間目は、合唱コンクールの練習だった。3時間目はパートごとに分かれて練習をし、4時間目は体育館に集まり4年生全員で合唱をした。音楽の先生の指揮に熱が入る。私は声が上手く出せなかったけれど、みんなの歌声に感激した。涙が溢れ、心が震える。大地に湧き出る清水のように心が洗われた。
給食の時間になった。班ごとに机を合わせて、給食を食べる準備をする。班にすると、ナオキと向かい合わせになる。少し照れる。
配膳が終わると、おかずの余った食缶を持った給食当番が、「増やしたい人いませんかー?」と言いながら各班を回って来る。私もナオキも少食だから黙っていると、同じ班の体格の良いタナベ君が「いるいる! 大盛にしてくれ!」と手を挙げた。タナベ君のお椀がてんこ盛りになるのを横目で見ながら、私は目を白黒させた。正面に居るナオキも同じ顔をしていて、私は吹いてしまった。
昼休み。多くの生徒は運動場に出て遊んでいるが、中には教室に残って折り紙や女子トークを楽しんでいる人もいる。私は外遊びをしたかったけれど、カナとユイが教室に残っていたから残った。
「ねぇねぇ、クラスに好きな子いる?」
私はドキリとした。ユイが答える。
「え? ……何急に?」
「ユイってさぁ、タナベのこと好きでしょ?」
ニヤニヤしながらカナが尋ねる。
私のことじゃなかったと胸を撫でおろす。
「ち、違うわよ。あんな奴、好きじゃないし」
「またまたぁ。ずっと目で追ってるの、知ってますよ~」
揶揄うような口ぶりでユイを問い詰める。
「カナってさ、そうやっていつも馬鹿にするような言い方するよね。むかつく」
そういうと、ユイは教室から出て行ってしまった。
「どうしよう……」
天真爛漫なカナがこの世の終わりのようなしょげた顔をしている。私はどうしていいかわからず、オロオロしていた。すると、後ろで静かに本を読んでいたナオキが本から目を離すことなく、ぽつりと言い放った。
「謝罪は時間をおかない方が良いよ。仲直りするつもりなら早い方がいい」
「そうだよね! 私、行ってくる」
カナはすぐさま追いかけて行った。二人の問題は二人で解決した方がいい。私はその場に留まった。ナオキは相変わらず静かに本を読んでいた。
5、6時間目の授業も終わり、帰りの会が終わると下校の時刻になった。二人と一緒に帰る。どうやら仲直りできたようだ。
「今日も、家に帰ったらすぐ児童館に集合ね!」
「いいよ! 昨日のメンバーが揃ってたらさ、またしっぽ取りゲームやろうよ」
「いいね! じゃぁ、またあとで。バイバイ」
『あ、私はすぐに行けないや。作文の宿題をやらなきゃ。えっと、私の夢は……』
***
学校から帰ると僕はすぐ、病院へ向かった。重い扉を開けベッドに歩み寄る。
「ナオキ君、来てくれたのね。花澄ね、今朝、急変して昏睡状態になったの……」
花澄の母親が涙ながらに説明する。ベッドの横には千羽鶴とNAOKIのブロマイド写真が飾られている。
花澄とは幼稚園から一緒で、親同士も仲が良かった。生まれつき体が弱い僕とは違い、花澄は年長までは普通の元気な子どもだった。
それが急に難病を患い、歩けなくなり、食事もほとんどとれなくなり、入院生活が始まった。花澄は一度も小学校に行ったことがない。
花澄は周りに心配させまいと家族にも僕にも元気に振る舞った。花澄は僕に学校生活の様子を詳しく聞いてきた。担任の先生やクラスメイトのこと。学校行事や授業のこと。給食や清掃のこと。
「小学校ってそんな感じなのね! 早く元気になって、私もナオキと一緒に学校へ行きたい!」
それが花澄の口癖だった。
それなのにあの日は、珍しく弱気だったんだ。
•ー•ー•ー•ー•
二日前、少し前に退院していた僕は通院帰りに、花澄の病室に立ち寄っていた。
「ナオキ、私もうダメかも。一緒に学校、行けそうにないや」
「何言ってんだよ。花澄らしくないよ!」
僕は悲しくて、怒って帰ってしまったんだ。
•ー•ー•ー•ー•
「今日ね、カナがユイを怒らせてさ。仲直りは早い方が良いって偉そうなこと言ったんだけど、自分はこのザマだよ。花澄、目を覚ましてよ。仲直りしたいよ」
花澄の母親は慰めるように言った。
「花澄、朝からずっと穏やかな顔をして眠っているの。楽しい夢でも見ているのかしらね」
僕は花澄の枕元にある、皴になった紙を見つけた。
「あぁ、これね。先日、先生が持って来られたの。調子のいい時に書けたら書いて下さいって。あの子、こんな……」
言い終わらないうちに花澄の母親は泣き崩れた。それは昏睡状態に陥る前に書いた花澄の作文だった。
【私の夢】
私の夢は、普通の生活を送ることです。朝、母に怒られながら起こされて、家で朝食を食べて、「いってらっしゃい」と見送られて、自分の足で小学校へ行く。
友だちと好きなアイドルの話をして、時々喧嘩も仲直りもして、一緒に走ったり歌ったり遊んだりする。
そんな小学生が普通にしていることをするのが私の夢です。
その夜、花澄は静かに息を引き取った。
***
翌日、僕は体調があまり良くなかったが、学校へ行った。昨日と同じく小さな声で隣の席に声をかける。
「おはよう、花澄」
花澄の机の上には、カスミソウとクリスマスローズが一輪、手向けられていた。
花の上をそっとレースのカーテンが撫でる。
≪クリスマスローズの花言葉
――私を忘れないで――≫
了
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