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流行りは回る、されど踊らず

「流行に疎い」という自覚は、とてもある。

あの映画見ましたか! ――ごめんね、みんなが映画を見る時間、僕はスポーツを見ているんだ。
ネットで流行っているこのサービスしましたか! ――あーっ、これね。でも、これと似たようなやつ前も流行らなかったっけ? まあ、すぐ廃れると思うから、やらないでいいや。
このお店のこれ、食べたかい! ――うーん、夕食は家で自炊するし、これと似たようなヤツならそこのコンビニでも売ってたような…

……我ながら酷い天邪鬼である。「空気が読めない」と怒られても仕方がないだろう。しかしまあ、思い出せないのだ。「流行りの〇〇」とやら自分が興じたという体験が。

思い出した。あれは小学校5年くらいのときだったろうか。突然、うちのクラスだけコマが流行ったのだ。ベイブレードではない、糸をくるくる巻き付けるタイプのコマである。

1日目、スクールカースト的に言えば上位の人間が突然、学校裏の駐車場でコマ回しをやり始めた。僕もそれに乗りたいと思った。近所の駄菓子屋に行ったが、コマはもう売り切れていた。でも、家になぜかコマがあったので助かった。僕は父親からコマの投げ方を教わり、家で練習を重ねた。
2日目、休み時間は男子の十数名が総出で駐車場付近に集まり、戦いに興じた。まさに熱狂的な集団だった。上手く投げられない者も少なくない中、僕は練習の甲斐もあり、まずまずの実力を見せた。
3日目、噂を聞きつけた隣のクラスからも挑戦者が現れた。年配の先生方も野次馬に集まり、不思議そうにコマ回しの様子を眺めていた。まさに学校中で、このブームは広がるかと思われた…

3日で終わった。4日目の中休み、コマを持って駐車場に集ったのは、僕を含め3人。
5日目、学校にコマを持ってくる者は皆無だった。

流行に乗った思い出を探しているうちに、辿り着いたのは「流行が終わったのを目の当たりにした瞬間」だった。この思い出が、もしかしたら僕の頭のブレーキになっているのかもしれない。流行なんて、回るコマのように他力であり、ぶつかったら儚く終わるものだと…なんてね!

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和良 拓馬
どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)