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きづき

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きづき

そう。気づいたんです。どんだけ生きていてもずっと修行なんだなあというのは、毎回思わされるんですが、でも、これって生きているんだなあと

もう、修行しなくていいよ

って言われたら、それはそれこそ天国の階段、上段に上り詰めて、ドアのノブに手をかけている状態なんだろうなと

分別もあって、ある程度世の中のこともわかって、人間性の違いなんかも判断できると思っていても、状況が違ったり、出方もちがったり、自分が一番下の立ち位置でいるときと、自分が管理をする立場になったときと

これまた違う。配慮するポイントも、思考も変えていかないと、と、つくづく思い知らされました。

私は今までずっと、フリーランスの形や自営業の形式が多かったので、かっちりとした主従関係の中で仕事をすることが少なく、顧客や取引関係といったやりとりはわりと得意と思っていたので、その感覚のまま仕事をしていて

気が付いたら、自分がまとめる側になっている・・・はて。もしかして、こういうのって初めて?と、気づく時差感に翻弄されて。

でも、逆に若いうちに人の上に立つ立場になってしまうと、それはそれで苦労や心労が絶えないんだろうなあと、想像に難くない。

今だからこそ、俯瞰で物事をみて、客観視できるんだよなあ、ということがあります。

そう。

基本、今、人的環境には恵まれてはいますが、どんなにきれいなリビングだって、どこか汚れがあるように、汚れがあるからこそ、あ!きれいにしなくちゃ、という気持ちになるのであって

ずっときれいだったら、掃除する気にならないですよね。怠慢になっちゃう。

きっと、今の環境も、困った部分をどう対処していくかの修行なんだなと

思いました。困難は神様からの修行、課題。それをどうこなしていくか、経験値としてスキルアップ素材にできるかというのが

人間性を高められるかどうかにかかっている

と、強く感じました。自分の不幸をなげいているだけの人、そして不満の解消を他人を不幸エリアに置くことで解消しようとする人は、どんどん自分レベルを下げているということに気づかない。年を重ねても気づかない場合などは、気の毒にさえ思えてしまう

艱難辛苦を乗り越えた上での、勝ち取るしあわせ。どんなちいさなことでも、ああ、しあわせだなと思える心を持ち続けられる人は、最後の審判のときに

「良」

をいただけるんだろうなと

エアコンのきいた涼しいありがたいお部屋で考えた日でした。

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