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脳性麻痺を持つ人々との暮らし in ベルギー
こんにちは、ryo です。
今回はひょんなことから、脳性麻痺を持つ人が住む施設でボランティアをすることになりました。しかもベルギーで。
そのきっかけや、感じたことを紹介しますね。
個人的にはかなり衝撃を受けた体験でした。
きっかけは、国際ボランティアを行なうNICEのプログラムに参加したこと。
現地でのボランティアと現地NPOの事務局インターンができる1ヶ月のプログラムで、ちょうど海外NPO・NGOでの経験を積みたいと思っていた私にはぴったりでした。
募集を見つけ次第、志望動機を書いて、すぐ応募。
無事プログラムへの受入が決まり、ベルギーに飛べることに!
ただ、このときにはボランティアの概要しかわからず、詳細は分かりませんでした。
参加の1週間前に、プログラムの詳細が現地NPOから届き、それは脳性麻痺を持つ成人が住む施設でのボランティア。しかもフランス語必須とのこと。
フランス語知識ゼロの私は、面接でもちゃんとフランス語話せないってはなしたんだけどなぁ。。と思いましたが、これも何かの縁と思ってそのままベルギーへ。
最初に施設にはいった瞬間、
あ、自分はここにいられない。逃げ出したい。
と思ったことを覚えています。
誤解を恐れずに言えば、
あまりにも、脳性麻痺を持った人々が電動車いすで生活している姿をみて、とても感情的に耐えられないと感じました。
今思うと、大変失礼ですが、
彼らは生きているのではなく、生かされている。
そんな風に思ってしまいました。
電動車いすに座って、プロジェクターに映し出されたテレビを眺めている。
スタッフ(ベルギーの人はEducator と読んでいます)が介助して、やっとご飯を食べられる。食べているというより、食べさせられている。
せっかく食べても、食事が上手くかめず、戻ってしまう。
(Me before you という映画を見たことにも影響を受けていました。)
部屋に案内されるやいなや、頭を抱えて、
これは、unacceptable. 耐えられる気がしない。と直感的に感じていました。
人間のストレス反応は、ストレスに遭った瞬間、
「Flight or fight 」戦うか逃げるか。
私の場合は、一択。逃げる。逃げたい。そう強く思いました。
ところが、ベルギーまできて、そう簡単に逃げ出せるはずもなく。。
部屋にこもりがちな日々が続きました。
ボランティアとしてきているので、最低限のボランティア活動はしながらです。
すると、不思議なことに少しずつその状況に適応してきている自分がいました。
一緒にご飯を食べる、話しかけやすい人に話しかけてみる。ある種の不安からちょっと居心地が悪いなぁと感じても、その場に残ってみる。
それを繰り返すことによって、彼らがもつ障がいだけでなく、彼らの生活や好き嫌い、彼らを支える家族の存在を感じられるようになってきたのです。
個人的なハイライトがあります。
それは、施設で暮らしている障がいを持つ子の母親にあったとき。
脳性麻痺の障がいを持つ彼は、口で話すことはできないけれど、指文字や唇をかむ、イラストを指し示すことで、意思疎通をしていたのです。
しかも、とても楽しそうに。
そのとき、ここで暮らす人々は生かされているのではなく、自分の意思で生きているのだと感じました。
振り返ってみると、彼らの生活には多くの選択肢がありました。
毎週、午前と午後にアクティビティと言われるゲームやみんなで食べるご飯を作る機会がある。その他にも絵を描いたり、感情を表現して今の困りごとをスタッフに伝える時間もあります。
そして、大事なことは彼らがそれを選べると言うこと。
やりたいこと、やらなきゃいけないことを選ぶ。その他は、別に参加しなくても、やらないという選択があっていい。
その意味で、彼らの人間性は尊重されている。と強く感じました。
もちろんここで書いたことだけが、彼らの全てではありません。
まだまだ、自分ではわからない部分、将来時間を経て、振り返ってみたら解釈が変わることもあると思います。
そのときの、自分はそう感じていたんだという記録を残す為に、書きました。
最後まで読んでもらってありがとうございます!
それでは、また。