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デンマーク留学⑥ 他人をジャッジすることで得るもの・失うもの

 
こんにちは、ryoです。
デンマークで、紅葉が進み、すっかり秋・冬らしくなりました。
 
学校では先週、前半のタームが終わり、学期間の休みに入っています。
いわゆる、秋休みのような期間。この時期には学校がStudy tripといって修学旅行のようなプログラムを提供しています。

もちろん、学校内で過ごしたい人向けにDIYやアート系の様々なプログラムも。

私が参加しているのはInnovation関連の社会に変化をもたらすためには?といった、実践的(?)な内容のプログラム。
その一環で、ノルウェーのオスロに小旅行にいき、今日学校に帰ってきたところです。
 
今回は、小旅行中に感じた、他人をジャッジすることで失うものとは?ということについて考えてみます。
 

そもそも他人をジャッジする、判断するとはどういうことでしょうか?
 


それは、自分が相手を分類し、理解しようとする思考・行動だと思います。

例えば、

◎見た目が貧相な人をみて、あの人はお金がなさそう
◎ブランド物の洋服やバッグを持って入るから、お金持ちそう
◎自分が話しているときに、相手がスマホをみていて、相手は自分の話に興味がない

などなど。
 
つまり、自分が相手の行動・言動を解釈して、判断しているということです。
 
この行動で得られるものは、自分なりに相手を判断して、関係性を深めるか遠ざけるか。簡単にいえば、この人と合うか合わないかを見極めているとも言えると思います。
 

反対にこの行動をして失うものとは何でしょうか?


それは、無意識のうちに自分の選択肢を狭めていることです。

なんとなくこわそうだから、あの人には近づかない、なんとなく合わなそうだから、あの人とは話さないなど。なんとなくの感覚で、今後に繋がる何かがあったかもしれない可能性をなくしてしまう。

これが相手をジャッジすることで失ってしまうものではないでしょうか。
 

私自身、初対面の人に話しかけるのが得意ではないですし、よく他人をジャッジしてしまう

特に留学中には、様々な国籍や外見の人と出会い、勝手になんとなくこわそう、話しかけにくそうで、関わる人を選んでしまう場面もあります。
 
ただ、それで可能性を狭めてしまうのはもったいない。何より、どれだけ国籍や外見が違っても、人間であるという点では同じ。

悲しいときもあれば、嬉しいときもある。誰かに愛されたいと思う瞬間もあるし、1人でいたいと思うこともある。

そう考えると、少しだけ自分の居心地の良いところからでて、見知らぬ誰かに話しかけることができました。もちろん毎回ではないですが(苦笑)

少々長くなりましたが、今回はこの辺で。また来週~!
 

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