4月の自選俳句。
神奈川県 相模湖 青野原にて
山里の 中のコンビニ 春の良い
空高く 犬吠えており 山の春
花むしろ 角石として 座りおり
花見というよりもピクニック間隔に近い。桜も葉桜になりかけている。
敷物を地面に敷いて、他に何もすることのないわたしはとりあえず花むしろの上に座る。
せめて風に敷物が飛ばされぬように私は敷物の角を抑える石となる。
潮騒を 消して通りに 初音降る(はつねふる)
初音とは今年最初に聞くうぐいすのさえずりのこと。
音響の路 うぐいすは 知っており
うぐいすの声は まるで時前のスピーカーでも持っているのではと想えるほどよく響く。
動物の声の物まねで有名な江戸や子猫さんは「ウグイスというのは自分がどの位置で鳴くと最もよく声が響くのかきっと知っているんだと想いますよと言っていた。
ヘルパーと 共同事業や 甘茶杓
甘茶杓は甘茶を仏像にかけるときに用いる柄杓のこと。
四月八日はお釈迦様の誕生日ということで菩提寺で甘茶の接待を受けた。
最初にたらいのような中に立っている小さな仏像の頭に柄杓で甘茶を掬って掛けてやる。
ヘルパーさんに手をそえてもらいながら柄杓で仏像に甘茶をかけた。
そのとき結婚式披露宴のケーキ入刀のときに司会の人が
「これがお二人による最初の共同事業であります」というセリフを思い出してなんだかおかしかった。
貝寄風や ビルの足場を 重ね行く
「かいよせ」とは四月に海岸で吹く強い春風。
貝殻が浜辺に打ち寄せられる様子から貝寄風とよばれる。
小船引く 車が行くや 青葉潮
青葉潮は青葉の季節の黒潮のこと。
ゴールデンウイークの海岸通りは人も車もごったがえしている。町営の大駐車場ではサーファーたちがボードを下ろしている姿がそこここにある。
サンオイルのにおいが彼らの方から流れて来る。
そんな光景を横目にみながらガイドヘルパーの人と歩道を歩いていたら、傍らの道路をモーターボートほどの大きさの小船に車輪を付けたものを引いて車が走って行った。
半そでの 腕まぶしけり バスガイド
犬を呼ぶ 口笛ほそく 潮干型
鯉のぼり ゆるり吹かるる 浜通り
亀鳴くや 春樹の本の 空気から
春になると亀の雄が雌を慕って鳴くという言い伝えが古い歌の中にあるが、実際には亀が鳴くことはない。
ある種の情緒が感じられるとして春の季語となっている。
句にある春樹の本とは村上春樹の小節のことである。最近村上春樹の「騎士団長殺し」を読んだ。彼の小節は幻想小説とも呼ばれるように事物の存在の深いところに潜んでいるものを幻想としてあぶり出す。常識の世界では見えない物聞こえない物を見聞きする小節である。それが亀鳴くという情緒とつながっているように感じられた。
春の宵 音一つなく 満たしけり
音一つない静けさが夜を満たしていると感じる瞬間がある。
静けさに満たされているときには人は孤独ではない。
なぜなら静けさが過不足無く夜を満たしているからだ。
売り家の 庭を横切り 四月馬鹿
四月馬鹿とはエープリルフールのことであるが、俳句では嘘話には関係なく広くその日のこととして扱われる季語である。
隣家の別荘が半年前に売りに出たのだか、なかなか買い手は見つからないようだ。
隣のよしみで、ある日自宅の裏庭から朽ちた木戸を抜けて別荘の裏庭に入ってみた。無人の家なのでひっそりとしている。三〇坪ほどの裏庭を横切って別荘のウッドデッキに腰を下ろす。もしもこの家を自分が買ったならどうだろうと想像する。うちには庭らしい庭がないのでここで潮風を受けながらからだを動かすのも気持ちがよさそうだ。海がそばだからここで知り合いや弟家族を呼んでバーベキューなどできるだろう。悪くはない。
しかしこの庭というやつが芝生ではなくコンクリートになっているのはいただけない。確かに芝を管理するのはたいへんだということはわかる。
それに実際のところどうだろう。バーペキューといっても年に一度か二度やるぐらいがせいぜいだということは青井芝生の庭を持っている知人の様子をみればわかる。
それに家をかんりするのは楽ではない。この辺は風が強いので台風がくるとかわらがよくやられるのだ。
たいへんなお荷物をかかえることになる。
やっぱりやめておいた方がいいか。
そんなことを思ってぼくは別荘の裏庭を出て自分の家にもどった。
・浜通りから坂を上がったところにある閑静な別荘地を歩く
道草の 路地を狭めて 竹の秋
在る地鳴き 庭にスズラン 広がりぬ
夏近し 波音高く 坂の家
日陰から 日なたへ一歩 暮れの春
暮れの春とは春の季節の終わりかけた頃をいう。
生協から届いたペチュニアの花苗をヘルパーさんに手伝ってもらって鉢植えしたのだが、表に出ると日差しがことのほか暖かかった。
午前中は風が冷たく日も出ていなかったのだが、夕方になって風は強いが日差しが暖かい。
強風の中をお日様がながされないように踏ん張ってこちらを照らしてくれている。
しかし日陰に入るとやはり風が吹いて寒々しい。
ぼくは寒と暖の間を一跨ぎしてまた日なたに戻った。