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2020年9月の俳句。

とろ箱の 田にも黄金や 稲雀

トロ箱とはさかななどを運ぶときに使われる箱のこと。
知人の娘さんが稲の生育を体験学習していた小学校から余った苗をもらって来た。
トロ箱に水をはって育てていたら背丈は低い物の一人前に稲穂が実ってくれた。
せっかくだからあしたはおにぎりにして食べてみようかしらと親子で話していたら、翌朝にはすっかり稲穂の実は食べられていたとのこと。
おそらくは雀の腹に納まってしまったのだろう。



楽園の ゲートにたわわ檸檬の樹

昔 みかん園を母と弟の三人で訪ねたことがあった。みかんは起伏のある土地になっていたが、門を入ると正面にレモンイエローのひかりを放つ 檸檬の樹が私たちを迎えていた。母親が他界する三年ほど前のことだった。



震災忌 空 消え去りて 空産まるる

九月一日は 大正一二年の関東大震災の日として 震災忌と呼ばれ 秋の季語ともなっている。
この震災においては 多くの人命が失われただけではなく、東京という年が江戸と決別する 契機ともなった。
失われたものは 人名や 建物だけではなく、空もまた失われたのではという気がした。


素麺の 束残さずに 九月入る

例年は 素麺を買っても 食べきらないままに夏を終えてしまうのだが
今年は うまく最後の一束をまで 食べおおせることができた。


理由もなく コンビニ混みて 秋暑し

コンビニに出かけて 混んでいると 今日はどうして混んでるのだろうと 理由を考えてしまう癖がある。
ただの偶然かもしれないが。理由を見つけて 納得したいのだろう。


稲妻や 目覚めて遠く トンボ沼

稲妻は雷と同じものだが、雷が夏の季語であるのに対して稲妻は秋の季語。
あの雷光が稲に収穫をもたらす力があるという。
それだけ聞くと 何やらまじないめいて聞こえるが、
昔オパーリンという学者の唱えた生命の起源という説では、
地球の海に 度重なる雷光が落ちることが生命の誕生をうながしたという。
SFの古典 フランケンシュタインでも人造人間のフランケンシュタインが誕生したのは雷の夜であった。
人々は雷鳴が生命活動に何かしら影響を与えることを 直感的に知っていたのかもしれない。

トンボ沼は 千葉県の南東部御宿町の北に隣接するいすみ市にある。もともとは農業用の貯水池だったが1994年に 自然公園として整備された。
多くの水生植物が生え、水辺を必要とする多くの動物たちが暮らす。中でもトンボはオニヤンマ アキアカネ チョウトンボ ギンヤンマなど 千葉県に生息しているあらゆる種類のトンボがみられるという。


菊日和 菊の名前の 人と会う

ティーシャツの小さき背骨に 秋の雨

丘を越えて イントロうらら 秋日和

これは「丘を越えて」という曲についての俳句である。
藤山一郎の歌で昭和六年に発表された。
もともとは古賀政男がマンドリンの合奏曲として作った「ビクニック」という曲に島田政文が詞を付けたものである。
そういうこともあり、歌そのものよりも長いマンドリンの伴奏が付いている。
長いイントロがあり、なかなか歌が始まらないのがこの歌の特徴ともいえるが、
このマンドリンのイントロが 丘をこえるようにいくつもの 起伏を軽快に超えて行く感じでなんとも気持ちよい。
この夏はこの丘を越えてのマンドリン演奏に挑戦。
なんとかこの長いイントロも暗譜して演奏することができた。
この曲を演奏していると 秋晴れの下で丘を越えて行く快さを体感できるような気がする。


雨音の 拍手喝采 野分来る

野分とは台風の古語、
不意に窓を打つ風雨の音は まるで大きなホールに湧きたつ聴衆の拍手のようだった。

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