2021年9月の俳句。
明るさへ 伴走者となでしこと 観客と
2021年9月5日 日曜日 東京パラリンピック最終日に行われたマラソンの最後を飾った 視覚障害 女子マラソンの部で 道下美里選手が伴走者(前半 青山由佳、後半 志田淳)と共にトップでゴールを切った。
ゴール直後二人はかたく抱き合った。後続のランナーの多くもゴールインすると感動のハグを交わしていた。
伴走者はガイドロープと呼ばれる短いロープを通じて 視覚障害のランナーを 正しいコースに導くために共に走る人であるが、
ある瞬間から伴走する者と伴走される者との境界線が消えて 一つの存在となっていく。
それが観ているわたしたちを世界の明るさに導いてくれているような気がした。
ここでの なでしこは日本の女子アスリートを差している。
ベーカリーのパンハシハシと 九月食む
少し乾いて固くなっているベーカリーのパンをトースターで軽く焼く。
独特の歯ごたえがあって ハシハシ いわせて食べる。
この少しかたく乾いた感じは九月の空気のようだ。
立ち話の 声遠ざかり 秋の浜
子を連れて 真昼の海へ 秋日傘
モロコシや 人形の髪 いただいて
モロコシは トウモロコシのこと、トウキビともいう、円筒形の実を包んでいるさやから茶褐色の毛髪のような毛をこぼしている。
さやを剥くと中からふさふさとした毛が出てくる。
ひげとも呼ばれるこの毛は花のめしべで、とうもろこしの一粒の実に対して一本ずつ生えている。
風によっておしべの花粉を受粉すると実が成熟する。
雨やんで 午前三時の 虫の声
夕刻からあれほど勢いよく鳴いていた秋の虫たちも 午前三時となると その勢いを失い まるではなやかなパーティの周縁を告げる 静かな室内楽のようである。
秋彼岸 少し迷って 父母と会う
秋の彼岸が始まる少し前に父母の墓参りをすませてきた。
この日一緒に言ってくれるガイドヘルパーさんはお墓の場所を知らないので だいたい このあたりという所を説明しながら歩いて行ったが、紛らわしくも私のお墓の周辺には同姓の渡邉が数軒もあり、まっすぐにはとうたつできなかった。
「ここじゃないの」「いやいや 違うよ」
そう言いながら少し迷ってから彼女が母親の名前を終に墓標に発見。
「ああ、ここだここだ」
私が目印にしているのは墓の入り口にある玉ねぎを乗せた小さな石灯篭だが、それも手で確認できた。
小さな玉ねぎに着いた砂埃を手ではらいながら「ここだ、ここだ。」と私は再び肯いた。
昔ここに 豆腐屋の在り 秋の寺
小窓から 町ギシギシと 野分前
野分とは台風の古語、台風が近づくと 町全体がぎしぎしときしんだような音がしてくる。
おおきなマドは風にそなえて雨戸を閉めてしまうが、小窓には雨戸がないのでそこから外の様子をうかがうことができる。
小窓といえば 大阪の下町を舞台にした「泥の河」という 宮本輝原作の映画では主人公の少年が小窓から台風で水嵩を増した河を眺める場面が印象的だった。
河のぬしとも呼ばれる巨大な鯉を偶然目にするという場面があったような気がするが、記憶はさだかではない。
兎と亀と 新幹線と台風と
これは見立ての俳句である。兎と亀の競争の話は有名である。
ここでは新幹線を兎に 台風を亀に見立ててみた。
新幹線は 人知の結晶である。
これに対して台風は南の海から生まれる自然物であるが、最近の地球温暖化に見られるような人為的な影響も受けている。
人はこのような思いがけないパワーを持った存在を怪獣として空想することがある。
南の海でた核実験に影響されて生まれたというゴジラは有名だが、ガメラという亀の怪獣もそうした空想の産物なのかもしれない。
最高時速300キロを誇る新幹線と自転車ほどの速度で進行する台風はまともに競争すれば台風に勝ち目はないが、新幹線が暴風雨にそなえて駅で足止めされている間に 台風ガメラはまんまと北上していくのだ。