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2021年6月の俳句。

夏至暮るる 風の向こうの 街の声

夏至といっても 案外 雨天や曇りの日が多いものだが、今年の消しは 美しい夕映えに恵まれた。気持ちの良い風が吹き渡り、その風に乗って 遠くの人の話す声や笑いや鳥のさえずりが聞こえていた。


薬局と 間違い電話 されし梅雨

ときどき 薬局に間違われることがある。それはどちらも名前が「〇〇堂」という名前で似ていることもあるが、電話番号自体が四桁のうち三つまでが同じ数字だということもある。
最近はアドレス帳に登録して利用する人が多いと思うのだが、そうでもない人もいるようだ。
その日は突然思いつめたような女性の声が飛び込んできた。
「あのう この前に いただいた薬 間違っていたんじゃないでしょうか」
それは曇天の梅雨空を思わせるどんよりとした声だった。



夏の雨 トンネルひとつで 知らん顔

隣の大原はどしゃ降りだったらしいよ。こっちは一滴も降っていないのにね。
トンネル一つ ぬけると 違うんだね。
数日前にもこんな会話が交わされた。
夏の雨は馬の背を分けるということばがあるようだが まさにその通りのことが起きたようだ。
それにしてもその土砂降りの町と一滴も降らない町の境界線はどうなっているのか、確かめてみたくなる。


緑陰に サンドウイッチ こぼしながら

よく聞けば 日本語らしき 夏の鳥

最近は通りを歩く人からも外国の言葉を耳にすることも少なくない。
英語ばかりか アジア系のことばも聞く。だからなにか聞こえてきても日本語とは限らない。しかしその逆に 外国語でも話しているのかと思ってよく聞いてみたら日本語だったということもある。
遠くで聞こえていたときは外国語のように思ったのに 近づいてみたら日本語だったということもある。
そればかりか最近は日との声ではないのに日との声のようにきこえることもある。
機械の音や動物の声などなにかの表紙に日本語のように聞こえてきたりするから不思議だ。


信長も 家康も食はめり まくわ瓜

夏になると子供のころはよく黄色いマクワウリを食べたものだが最近は聞かない。
あの頃は メロンといえばマスクメロンで 桐の箱に入っているような高級品であった。
今はメロンも手の届く価格になってきているので もうマクワウリを求める人もないのだろう。
しかしこのマクワウリは戦国時代の英雄たちも好んで食べたのだという。信長、秀吉家康も鉱物だったらしい。
そもそもこのマクワウリという名前そのものが戦国時代の舞台となった 岐阜県のまくわ村の産物であったところから来ているという。
家康などはわざわざ江戸の府中にまくわ村の農民を移住させて作らせたという。


五月雨を 海に逃のがして 滴したたれる

三年ぶり プール掃除の 音高し

梅雨晴れや  朝市通りに茶碗買う

百合の香かと 洗濯女が 夜の庭

庭にある鉢植えのカサブランカが一斉に開花した。
夜の庭に出てみると庭全体がシャボンの香りにつつまれていた。
そこにはあたかもシャボンの香りに包まれた女の人がたたずんでいるような気がした。


荷風散人 足裏涼し 籐の椅子

荷風散人とは作家の永井荷風(1879年(明治12年 - 1959年(昭和34年)のことである。
荷風の代表作の一つである日記の断腸亭日乗』(1917年 - 1959年、を手掛かりに 荷風の東京における暮らしと東京の都市文化について書いた 川本三郎の「荷風と東京」上下を読んで いままでおぼろげにしかなかった荷風の人となりが具体的な印象として浮かび上がってきた。
結婚するもすぐに破綻、大学教師の仕事も三十台半ばに辞めて、隠居生活を宣言する。
その後、生涯単身者として過ごす。東京の山の手の人間でありながら下町の江戸情緒にあこがれ 庭の草花と落ち葉焚を愛し、遊蕩に親しむ。
文人趣味と仏文学を愛し、株による財テクにも心がける。
胃弱で親しい医者のそばに住まいをし栄養注射など打ってもらいながら結果として昭和の動乱を乗り越え 79歳の寿命を全うする。
だれしもが背負わなければならない生活者としての重力を独特のバランス感覚で軽やかに生きた人という印象が立ち上がってきた。
荷風散人というのも彼のそういう人生に与えられた称号のようにも思われる。


※以下は散人についての辞書による解説
《役に立たない人、無用の人の意》
1 世事にとらわれず、のんきに暮らす人。また、官職に就かない人。
2 文人・墨客?(ぼっかく)?が雅号に添えて用いる語。「荷風散人」

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