2021年5月の俳句。
窓開いて ギター教室の 五月かな
ギター教室の生徒が自分の課題曲や合奏のパートを思い思いに練習している。
クラシックギターの弦楽の響きが初夏の空気を震わして 窓からこぼれだす。
花菖蒲 湯菖蒲抱いて 届きおり
豆めしや 笹かまぼこと 卵焼き
青々と きゅうりのにほい 双葉から
初めてミニきゅうりの種を蒔いてみた。
500円ほどの大きさのボードに種を蒔いて水を差す。
しばらくして双葉が数本出そろったところでそれをプランターに植えなおしたのだが、そのとき根っこの方からすでにあのきゅうりの独特のにおいが感じられたのだった。
浜五月 暮れて薄墨 鳥の声
午睡して薄墨の世に 目覚めおり
この間の日曜日 眠気に巻けて少し横になったところ思わず長いこと午睡してしまった。
五時を回りかけていた。この時期だとまだまだ明るい時刻だが 今日はおりからの曇天で夕日もささない。そのうえコロナということもあって周囲は静まり返っていた。
遠くで波の音と鳥の声が聞こえるだけで他には何の音もない。まるで水墨画の薄墨色の世界に入り込んでしまったような感覚に捕らわれた。
車の音も近所の話し声もしない。水墨画の世界にたった一人入り込んでいた。
そんな感覚が入浴を終えるまで二時間ほど続いていた。
色々の ポロシャツ買こうて 花は葉に
花は葉にとは 葉桜のこと。
俳句の世界では葉桜は花が終わって残念ということよりも 青々と葉に包まれたみずみずしい季節の到来を語るものとして使われる。
若葉雨 シンボルツリーが 包まるる
若葉雨は 新緑の季節に降る雨である。それは植物たちを育ててくれる。
我が家のシンボルツリーは オリーブである。庭らしい庭がないので樹木にあこがれる。せめてもの思いで シンボルツリーをわずかな土地に植えた。それが十年ほどして こんもりと育ってくれた。オリーブの細かな緑の葉が細かな雨を受け止めていた。
遠慮なさらず 前世虞美人 草だとて
虞美人草とはゲシ化の植物で雛罌粟「ヒナゲシ」の異名。
また夏目漱石が明治40年に発表した小説のタイトルでもある。
自我の強い高慢な女主人公藤尾の失恋を通して、利己と道義の相克を描いたともいわれる。
人にはおおむね二種類のタイプがあるようだ。一つは経験したそばからどんどん忘れていくタイプ。経験したことが自信の表かに反映されることはすくない。
もう一つのタイプは経験したことを自分の内側にため込んでいくタイプである。経験とはいいことばかりは続かないのでこういう人は自己評価が低くなりがちである。
私ごときがこんな所に入ってきてよいのでしょうかという気分をどこかにいつも持っている。
そんな人には 遠慮なさらずとも お入りくださいと言いたくなる。
短夜や 眠りのポーズ 解いて解いて
夏が近づくと夜は短くなっていく。これを短夜「みじかよ」と呼び 夏の季語とした。
眠りに着こうとするとき からだを静止させて眠りに落ちるのをまつことになる。
しかしなかなか眠りに落ちていけないとまるでじぶんのからだが何かのポーズを取っているかのように固まっていることに気づく。妙に腕に力がはいっていたり 足首を組んでかたまっていたりする。
はっとしてそれに気づくと 固まった姿勢を解いてリラックスしようとするのだが、気が付くとまた静止したからだは固まっているのだった。