基礎情報学という領域のはなし

こんにちは、waranziyaです。
今回は基礎情報学という分野と、その理論の一つ・HACSについて、イントロの部分を話していきたいと思います。
調べればわかることを書いてもしょうがないかなとも思ったのですが、アドカレぐらいは好きなことを書いても、いいんじゃ、ないかな、このアドカレ割と皆さん好きに書いているようなので

この記事は、outré Advent Calendar 2024 18日目の記事です。

基礎情報学とは

基礎情報学は、西垣通という情報学者が東大情報学環の教授だった時に研究・提唱した領域です。
それが2000年ぐらいだったので、学問の中では新興も新興ですね。そのため、内容も相まってフワフワした印象があり、学問:内輪ノリ=7.5 : 2.5 ぐらいに感じます。
学会も欲しいところですが、「基礎情報学会」はありません。「基礎情報学研究会」はあります。ただしこの集団は基礎情報学を教育現場に布教しようとすることが主な目的であるっぽく、学会とは異なる活動集団です。基礎情報学の研究を発表しているのはむしろネオ・サイバネティクス研究会ですね。これは東大の西垣研究室を母体に西垣先生の教え子たちが中心となって立ち上げた集団で、学会に近い活動をしているのはこちらです。

基礎情報学の目的

「情報」という単語は、あまりに多様な文脈で使われます。生命が個体間で発信しあう「情報」、単に我々が日常的に「知識」と同じ意味で使われる「情報」、情報工学で扱う機械的な処理を施す対象としての「情報」、各国のインテリジェンスが日々収集し通信している国防に供せられる「情報」…

情報量の多い画像

基礎情報学は、こうしたある種無造作に使われている「情報」を、情報の意味内容の側面も含めて捉えなおし、生命・コミュニケーション・社会システムを統一的に扱おうという壮大な展望を描いています。
様々な学問領域を横断する話なので、いろんなところから概念や理論を援用しています。代表的なものでは、生命について語る際にはマトゥラーナとヴァレラのオートポイエーシス理論、伝達について語る際にはマクルーハンのメディア論、機械について語る際にはシャノンの情報理論など、風呂敷を大きく広げています。
本書ではこれらの諸分野を同じフィールドで扱うために様々な理路や理論が展開されます。これらの中でも大きな存在感を見せる枠組み、それがHACSです。

HACS

HACSとは、階層的自律コミュニケーション・システム(Hierarchical Autonomous Communication System)の略称です。HACSは、生物のレイヤーではオートポイエーシス理論、社会のレイヤーではニクラス・ルーマンの社会システム理論などを参照しています。というか、オートポイエーシスを取り入れたルーマンの社会システム理論を「情報」の観点から整理しなおした発展形といった形ですね。
そのため、二つの理論についてまずは簡単に説明しなければなりません。

オートポイエーシス理論は、構成素が環境との相互作用によって変容していく際に、常に自らを作り続けていくというモデルです。
細胞というシステムを考えてみましょう。細胞は他の細胞などとの物質やエネルギーのやりとりを行うので、このレベル(「構造」)では他律的です。一方で、オートポイエティックな点(「有機構成」)から見ると、自身のシステムを産出し続けているのは自分自身であるという意味で、自律的と言えます。
また、一つのシステムと他のシステムが構造のレベルにおいて交流を行い、互いの産出を構造のレベルから助けている状態を「構造的カップリング」と呼びます。

オートポイエーシス理論のイメージ図

このシステム論を生命のレベルから社会のレベルにまで拡張したのがルーマンの社会システム論です。拡張にあたり、自律システムたるヒトが集まってできる社会は自律システムとならないのではないか、という問題がありました。ルーマンは「コミュニケーション」という視点を導入してこの問題を回避しました。「人間が社会を作ってるんじゃなくて、人間同士が行うコミュニケーションが社会を構成しているんだよ」ってことですね。
個人的にはなんかずっこい気もしますが、とにかく生命から社会への拡張はなされました。
この理論には、注目すべき点があります。下位システムと上位システム両方に自律性を認めることには成功しましたが、この両者間の関係はもはや上位‐下位ではなく、システム‐環境という間柄になる、という点です。ルーマンはこのあり方を「相互浸透」とよび、システム間の階層性を否定しました。

では、これをふまえてHACSをみていきましょう。
まず、基礎情報学では「社会」を「コミュニケーションを構成素とするオートポイエティック・システム」と定義します。ここら辺は社会システム理論と同じですね。
ただし、基礎情報学は社会システム理論と異なり、システム間の階層性を認めます。

しかし、階層性を排除することは、基礎情報学においては容認しがたいと言わねばならない。基礎情報学の目的は、オートポイエーシス理論の純化発展ではなく、意味内容をふくむ情報作用を明らかにすることをめざしている。システム内部の視点のみに即した理論構築は、それ自身でいかに価値があろうとも、この目的に適してはいない。(中略)とくに多くの場合、コミュニケーションとは一対一の対等な関係ではなく、集団的・社会的な広義の権力関係にもとづいておこなわれるから、これらの拘束や制約を無視して情報作用を論じることはできない。そして、拘束や制約は社会的階層関係と関わっているのである。〔強調引用者〕

西垣通『基礎情報学 生命から社会へ』NTT出版, 2004, pp. 106-107.

要は、社会システム理論ではシステムと環境があまりにフラットすぎて、現実にある様々な制約を描写しきれているとは言い難い、というわけですね。人は社会によってさまざまな拘束を受けますし、細胞は器官からの制約を受けます。
階層性を認めるために、HACSでは「動的な視点の切り替え」を考えます。宇複合システムと要素システムを交互に(システムの内部から)観察し、そのシステムがシステム自身の行為によって境界を区切っているかを確認します。
ここで重要なのは、複合システムを観察するよ~ってなった時に、複合システムは当然自律システムとして観察されますが、要素システムはアロポイエティック、他律的な行動をしているように見えます。
システムAがシステムBの上位にあるとき、AとBは構造的カップリングしているが、Aから見てBはAの作動の中で機能を果たしており、確かにAとBは階層的である、ということができるということです。このとき、Bを観察するとき、BはAから拘束されているにも関わらず、Bは自分が受けている制約を感じません。Bは確かにB自体で自律性を保っているにもかかわらず、Aとは階層的関係にあります。
ルーマンの相互浸透というイメージとはだいぶ異なった在り方を見せていますね。

西垣先生はこれをヒトと社会にも当てはめています。
まず、ヒトの心的システムは「思考」を構成素とするオートポイエティック・システムです。「思考」は思考だけでなく、感じたことやら何やらを含めた言い方です。心的システムは「思考」をもとに「思考」を生み出し続けるシステムということになります(情報を「差異を生む差異」といった人を思い出しますね。)
この結果として、「思考」から「記述」が生まれます。この「記述」も当然筆記に留まらない、言表されうるさまざまな情報を含めています。これをもとに形成されるのがコミュニケーションです。そして先述したように、基礎情報学では「社会」は「コミュニケーションを構成素とするオートポイエティック・システム」と定義されます。社会から見て、ヒトの心的システムは素材を生み出してくれる部品ととらえられることになります。また、社会は不要と判断すれば、任意の心的システムを排除することが可能になります。蒙昧なことを言っているヒトのいうことは戯言として封殺されます。ヒトの言表は社会的に制約を受けることになるのです。

終わりに

今回は基礎情報学の概要とその理論の一つ・HACSについて何となく語りました。ちょっと着地点がよくわかんなくなっちゃったんですが、生命から社会まで情報という視点でまとめようとしているんだよ~ってことを理解いただければ幸いです。
こうした新興の研究領域は往々にして消えて無くなってしまいますが、基礎情報学はどうなるんでしょうか。シャバいと言われればそれまでですが、個人的にはあると楽しいし、今まで蓄積された研究を見ても、一定以上の知的財産を残す学問だと思います。
興味ある人は、日本十進分類法の007 情報学、情報科学あたりを図書館で漁ってみると面白いと思います。

じゃあまた今度お会いしましょう👋

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