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自由じゃないなと思うなら

自由=何でもかんでも自分の思い通りにすること。
自分の欲望を全て叶えること。

ではない、ということは
なんとなく皆思っているのではないだろうか?

このイコールと思っていると、なかなか自由にはならない。

欲望を、自分らしさ、自分の解放とからめて正当化することは、むしろ自分を追い詰めていく。

欲望を抱くのは別に悪いことではない。
その欲望を自分が抱えていることを、
認めて受け入れること。

自由になるのは、そこからではないだろうか。

自由になりたい!自由になろう!
自由になるために自分自身を解放しよう!
等々の声を多く耳にする。

自由と等しく自己責任を負うことをよしとして、
その自由が周囲の人からどう思われようが、
たとえば「カッコ悪いな」とか
「不幸だな」とか
何と思われようが、
その『自由』を突き進みたい人が
どれだけいるのだろう。

欲望は、叶えた時点で一旦収束するが
何かを望み続けている限り満たされることはなく、
なんでも叶えることのできる自由という名のもとに、次の欲望へとまた移っていく。

自由であることは、自分であることである。

自分であることは、時として苦しく感じる時もあり、凹む時やあきれる時もある。
その全てを受け入れ、自らの言動に責任を持ち
成長し続けていくこと。
自分の価値観を大切に、他人と社会と関係を築きながら、生きていくことである。

こんな風に書くと、
「普通のことだな…」
と思われるかもしれない。

やりたい放題で、欲しいものを全部得るのが自由!
というとこから考えると
おもしろくもなんともないかもしれない。

もちろん、やりたい放題が心の底から自分が喜ぶ価値観の人は、そうしたらいい。

もしその価値観を採用することによって
罪悪感に苛まれるくらいなら、
やりたい放題の自由になる必要はない。

人間なのだから、理性として、罪悪感があることも当然で、それをまた何重にも責め立てて、自由になれない!と、声を荒げる必要もない。

言葉はとても重要で
その意味を丁寧にくみ取ってみるだけで、かなり自由になることも多い。

好き放題にしなきゃ!と自分を追い詰める前に、もう一度自由であることの意味を、よく考えてみるといいかもしれない。

私たちはいついかなる時でも、
自由な選択することができるのだから。




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