『わたし』を生きる力
苦しみは自分自身の全てが統合されることで、苦しみではなくなる。
「こうしたい!」という欲求を表現できてこそ、人は人間として生きられる。
それができない状態にあるということは、
『自分』そのものから、
どれだけ遠く離れてしまったか。
ズレてしまったか。
他の誰かや外側の何かは、
決してこの『わたし』を助けてはくれない。
他でもない
自分自身が全身全霊をかけ、
この『わたし』を慈しみ、どんな時も受け入れていけるか。
誰かに認めてほしい、とか、誰かに愛してほしい、とか、そこに振り回されているうちは
自分の価値に気づくことはできない。
私以外の一体誰が
この『わたし』を知っているだろう。
『わたし』を選び、この世界に現れたその瞬間から、
どれだけ私として生きてきたのだろうか。
「全ては始めから完璧である」
という言葉の意味は、
何もしなくても完璧だということではなく、
自分自身の全てを、自分が尊重し愛しぬいているから、どこからもつけいる隙もない、
唯一無二の『わたし』がいるのだ。
『わたし』王国にとって最高の王様でいよう。
人生に間違いというものはない。
他人が『わたし』王国に酷いことをしてきたら、
すぐに出ていってもらおう。
本来、権利は尊重と共にあって、
お互いに何かを押し付けようとするものではない。
理解できない者を力で抑え込もうとするのは、
虐待である。
人は自分で選択して成長することができる。
「こうしたい!」という欲求も、
お互いの王国が確固たるものであれば、
全ての人に、同じように欲求を表現する権利があり、
それを尊重しあうのだから、
戦争など起きようもない。
そして今、
目の前でどのような状況が起きていても、
それが非常に歪んだ状態だとしても
それはそのままであるがままで完璧なのだ。
その歪みを変えたい場合に必要なのは、
自分自身の気づきである。
どのような状態であれ
いついかなる時でも、
必ず私たちは「生きる」ために突き動かされるようになっている。
自分自身に組み込まれている力を信じて
明日を迎えよう。