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想像力の世界
「想像力を鍛えよう」というが、鍛えたからといってなかなか想像力は身につかない。
想像力が欠如しているところには、恐らく様々なことが欠如していると思われる。
思うに、相手がどう感じるか、想像してみよう、といったところで、全くわからないのである。
共感的に感覚が近い人と近いイメージでわかりあう、というのはあるだろう。だが、真っ直ぐに見える道を、隣に立っている人と全く同じように私たちは見ているだろうか?
それこそ嵐のメンバーのひとりひとりをこれだけ大勢のファンの人達がいて、私を含め、きっと誰ひとり完全に同じように認識していないはずだ。
私の見ている大野くんと、誰かの見ている大野くんは全く同じではないはず。100人、大野くんを見ている人たちがいたら、100通りの大野くんが存在している。
そう考えるとひとりひとり、自分の世界を持っている。それらは決して重なることはない。
そんななかで想像力を駆使するとしたら、自分の視点から見ていることを忘れずに、他人もその人の視点で世界を見ているということを想像してみる。
少しでも相手の痛みや想いをその人の世界に近づいて感じることができたら。だからといって、他人に共感してその世界を想像して、誰かの世界の言いなりになれ、ということではない。
人はひとりひとり違う世界を生きながら、想像力を使って誰かと繋がることができる。そこをわかっているのと、いないのとでは随分人との関わり方が違ってくるのではないだろうか。
何を優しいとするかは人によって違うし、優しさに付け込む人もいるから何でもひとくくりにすることは出来ないが、想像力を鍛えることによって、お互いがお互いの世界を認め合う、そんな風になれたらいいな、と思う。