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将来設計のすり合わせ
これまで夫婦のことについて書いてきた記事はこちら。
そもそもの話なんですが。
何でそんなに結婚前にお互いのことを話す必要があったか?
私が。(現在結婚20年弱の子なしアラフォー夫婦です)
ひとえに、私が、①基本結婚したくない、②子どもが欲しくない、という考えがあったから。
それを前提に考えると。
大人になってから、結婚以前に、相手を付き合うという関係に引っ張り込んでしまうにはおそらく面倒臭いし、相手の人生も振り回してしまうだろうから。
さらっと言ってしまうと、将来子ども欲しいんだー(おっと終了フラグ)、みたいなことです。私としては。
もし、結婚したいと思って相手も自分も信じられて、ある程度子どもが欲しいと思ってたら、わざわざ言わなくても、まぁ普通こうだよねー程度で済んだのかもしれない。
普通こうだよねーを押し付けられる前に、確認しておきたいことが山ほどあった。確認してダメならすぐ去りたかった。
だから、相手の考え方や希望を知っておきたいと思っていたのかもしれない。
相手のために曲げることも考えはしてた。たぶん。
あと、話してて相手が自分に合わせてるだけかも、本心はどうか、などなど相当疑り深かったのではと思う。うっわ面倒くさいな。
基本的に、石橋を叩いて渡る、ではなく、壊れるまで叩く、または、気が済むまで叩き続ける、疲れてもういいやと思うまで叩き、それでも壊れなかったら、叩きながら恐る恐る渡る。
傍迷惑以外の何物でもない。
①基本結婚したくない
基本結婚したくない、というのは、結婚願望がないわけじゃなくて、結婚できればいいけど、嬉しいけど、そんなにハッピーエンドを信じられないというか。
裏を返せば、とても結婚に憧れてたってこと。結婚して壊れるのが怖くて、結婚したくない、という結論だった。
人間関係なんて脆いものだし、恋愛なんて尚更。人の感情なんていつどうなるかなんて分からない。
付き合うならまだしも、結婚となると、別れるというのも色々大変だし、じゃあそもそも結婚しないで付き合えばいいのでは?と。
関係が壊れる理由なんて、浮気とか不倫とか、単に冷めるとか、いくらでもありうる。
それこそ、子どもが欲しくないなら、結婚するリスクの方が高いと個人的には思ってた。
経済面をいっこにして、何かあって別れるとなったとき色々面倒くさそうだし、一緒に暮らしてから別に暮らすっていう作業も面倒くさそう。
一緒にいて邪魔じゃない存在なんてある?まず。数年じゃなくて数十年それができるなんてある?もちろん世の中にはそんな奇跡がいっぱいあって目にしたこともいっぱいあります。
壊れる前提で考えると、何が面倒くさいかなんて数え上げたらきりがない。
まぁー、色々考えてたくせに、夫と一緒に住みたいと両親に話した時点で、まず籍を入れるようにとの話をされ、入れます、ということでほぼ即決。
そこに至るまでに、前に記事にした通り、夫とはありとあらゆる話をしてきていたので、この人なら籍を入れようと入れなかろうといいかな、なんとかなるかな、と思ってました。だめならだめでしゃーない。
②子どもが欲しくない
今はとてもライトというか、よく分からないけどかわいいなーと思うようになった。
泣いてる声が聞こえても、私が泣きたい時の代わりにあそこまで泣き叫んでくれている、もはや清々しい。そう思って夫とよく話してる。
以前はただ、激しく子ども嫌いだった。話が通じない、というところで意思疎通ができるとも思えない存在だし、と思ってた。(昔の話です)
まぁ、話が通じたところで意思疎通ができない人間なんていくらでもいるんだけどね。
まだ猫の方が理解できる。ある意味言葉という邪魔なものがないからこそシンプルというか。
夫婦関係が円満に続くという自信がまず持てないのに、子どもを産んで、場合によっては自分1人で育てることになると考えた時、こんな自分でというところで子どもに申し訳なくて。
シングルマザーがどうという話ではなく、さして子ども好きでもない自分が身近な親という存在で申し訳ない、という、私個人の話です。あくまで。曲解なきよう。
あと、親同士の付き合いとか、まず、自分が人付き合い苦手なのに、それによって子どもが不利になるとか考えた時点でもうだめ。子どものために頑張れって言うかもしれないけど、多分私は病む。確定。
あと、漠然とだけど、自分が亡くなったあとの、次世代の子どもが生きていく未来が明るいと到底思えなかった。
好きな人との子どもがどんなでどんなふうに育つのかは興味があっても、ハイリスクすぎる。
私の人生に対するこうありたい、というものは、何より基本穏やかに、日々を楽しく仲良く、いろんなことに興味を持ち、チャレンジして過ごしていければ、それでもう充分なんだよね。
いろんな考え方があるよねって時代で良かったし、私自身何か言われてもそんなに気にしないというか。
私の人生を私は歩むし、あなたの人生はあなたでどうぞって思ってます。
まぁ夫婦となると、まぁそうもいかないから話し合いに次ぐ話し合いが必須。
で、まぁ、最近Youtubeでちょいちょい、人それぞれ色々な人生観があって幸福論があって、あんまり土足で入るもんでもない、という部分に触れられてつらい、とか、結婚して、子どもがいないと、子どもはどうするの?って聞かれるという話とか、聞いて、あぁーまだそういう人いるんだ、と思った。
人それぞれの考え方があるからこそ、聞く自由もあるだろ、と言われてしまえばそれまでだし、当たり前としてきた時代から考えればお天気の話をするのとさして変わらないのかもしれない。
けれど、デリケートな部分ではあると思うので、特に20代、30代のうちは、聞かないでおいてあげるのがいいのでは、と個人的に思ってる。
自分のことを振り返ってもそう。
20代前半で結婚して、そもそも結婚が早かったから授かり婚か、と聞かれることも多かったし。
うーん、30代前半はちょっとうーん、まぁ、できればいいなぁくらい、とか、うやむやに答え始めて、ねぇー子ども欲しいなら動かないとですよねぇーなんて状況によっては返して。
30代後半からは、あーいないですねぇ、くらい。事実を淡々と述べる。実際、今は聞かれても何とも思わなくなった。
当たり前に子どもの話が周りでもちろんいっぱいあって、今身の回りで、子どもがいないアラフォー夫婦と考えると確かに少ない。少数派。地域的にも田舎だから、というのもあると思う。そもそも私人付き合いしないし。
今、子どもを産まなかったことに後悔しているか、と言われたら、即答でいいえといえる。
元々ほしくなかったのもあるし、なんというか、もちろん私の歳で初産で子どもを授かる人もいるけれど、もうね、言い方考えずに言うと、解放された気がするの、やっと(笑)。
子どもどうするの、ってところから、解放された気がするの。周りから言われるだけじゃなくて、自分がどうしたいか、を、常に問うわけじゃない?本当は欲しいとか思ってないかな?後悔しないかな?を、常に問う。
まず自分の希望を分かっていなければ、自分が満たされると思えるわけがないわけで。徹底的に自分の希望を洗い出さないといけない。確認作業をしないといけない。それを怠ると、戻れないから。
周りよりも一番怖いのは自分だと思ってる。本当に子ども欲しくないかな、大丈夫かな、の確認が一番シビア。
30代後半で、あー子ども欲しいなら動かないと、この歳で動き出したところで何とかなるかなんて一切何とも言えないけど、動くなら最後の砦というか、そういう年齢だなと。
それを超えて、あー楽になった。自由になった。解放された。羽が生えた感じ。
結局最後まで自分自身の、こうあるべき、この社会で女性で結婚したらこう、っていうのに、自分で自分を縛り付けていたんだなってよくわかった。
ほんっとに、最後は自分なんだよな。無意識に自分自身で縛ってる部分が必ずある。
最後に
ごちゃごちゃ書いてるうちに、将来設計のすり合わせからずれて、今現在の子どもに関する考えみたいなこと書いてたけど。
結婚願望がさしてない(裏を返せばすごくある)とか子ども欲しくないとかさらっというには大きいこと過ぎる、と思ったので、深堀して書いてみました。
結婚って、たとえばある日突然自分が倒れて寝たきりで意思表示できなくて、の状態で、自分が判断して表現できないとき代わりにしてくれるのが配偶者、だと思ってます。
それだけ重要な立場に置く相手だと思うので、結婚前に色々話したり確認したりしたなぁ、というのを結婚前を振り返って書いて。
それでさらに、今回の結婚したくないとか子ども欲しくないってところ2点を今回別枠で深堀しました。
ほんとわりと思い付きで書いてるのでまとまりがないですが。
誰かの心が少しでも軽くなるといいな、と思います。
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