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歴史を感じる場所
古門前通と新門前通という通りが京都にはある。
そこは、僕にとっては歴史をもっとも感じる場所だ。
その通りには、江戸時代から、いやもっと前の時代から生き残り続けている
道具たちがそこにいるからだ。
茶碗、掛け軸、根付、和服、花瓶、毛筆、書物、果ては、部屋のしつらい品まで
あらゆる道具たちが様々な人の手に渡りながら、生き続けている。
その道具たちのことを、一様に「骨董品」と呼ぶ。
この茶碗はどう言った人たちによって、その道具を手にした人々を楽しませてきたのだろう。そう考えるだけで、僕はワクワクする。
今、断捨離なんて言葉が流行り、モノを持たないなんて人が増えているけど、
僕からしたら、なんてもったいない、面白みのない生活なんだと思ってしまう。
もちろん人ぞれぞれ興味関心があるわけで、一概に骨董品を愛でろとはいえない。
だけど、モノに愛着を示し、執着することによって、モノを大事にするという気持ちも育つのじゃないだろうかと思う。
ディスカウントストアで安く買い揃え、壊れたらまた新しいものを買う。確かにそれは効率のいいことかもしれない。
効率はいいけど、それでいいのか。
何百年という歴史を生きてきた道具たちから、僕らは学ぶべきものがあるんじゃないだろうか。
一見すると無駄なモノ、ことに思えることでも、そこには大切な何かがあるんじゃないのか。僕はそう思えてならない。
歴史を感じ、その時代に想いを馳せながら、次の時代へその道具たちを送り届ける。そうすることで僕自身の思いも次の世代へ届けられる。そんなことを考えながら、今日も、僕は、骨董屋の暖簾をくぐる。